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江戸末期創業の木造三階旅館-有福温泉・三階旅館



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三階旅館の全景(正面から)




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三階旅館の全景(左側面から)RC造りの建物は浴室棟





江津市の郊外、山あいに展開する有福温泉街。その歴史は1300年前にも遡るといわれ、多くの観光客・湯治客を受け入れてきた。

温泉街の入口に立つと斜面に沿って建物が並ぶ独特の風景が展開し、とりわけ正面の小高いところにある共同浴場「御前湯」と左手に見える「三階旅館」が目につく代表的な建物だ。三階旅館は屋号の通り木造三階の佇まいで、創業当初は「振縄館」といわれていたが、建築当時三階建の旅館はここだけだったことで三階さんと呼ばれるようになり、屋号を改めたのだという。現在の建物は明治維新後間もなくの建築である。また、向って左側に増設したRC造りのタイル貼りの建物は浴室棟で、二階屋上が庭園風になっている。


玄関を潜ると、案外現代的に改装された様子である。数年前に内装を更新したそうで、旅館としてはなるべく古い所をそのまま残したいという意向だったが、若い職人が「色々つついてしまった」とは女将の話。しかし、階段は昔ながらの急なまま残され歴史を感じる箇所は随所にある。お年寄りなどは少々不自由か。

案内された部屋は三階の正面の六畳間であった。簡素な造りながら目につくのが奥に見える木製欄干に似た造りである。通常は廊下に設えられるもののように思える。50年ほど前にこのような形に改装されたということだが、それ以前の様子は良く判らないという。しかし、手彫りでこしらえられたその意匠は精緻なもので、これだけで見ものである。

その他、最近100年振りに瓦を葺き替えたといい、古い建物の維持のためには多大な費用と労力がかかるものと改めて思った。


三階部分には「特別室」があると聞いているので、ぜひ見たいと思っていた。松の間と呼ばれるこの部屋は三間続きの座敷を有し、床の間の構造も省略されず格式高い風情であった。二面に窓を持ち明るい雰囲気を持ち、一方は増設した建物屋上の庭が接しているため三階とは思えないような風景となっている。

広縁の椅子に座ってみると温泉街を大きく見渡すことが出来、すぐ隣が共同浴場なので地元の人の世間話などが聞こえたりする。居心地が良いので、文庫本を持ち込んでしばらく佇んだ。


内湯は温泉ではないとか、使われていないという情報もあり共同浴場の利用を考えていたところ、聞くと今は温泉を引いているとのこと。外は雨だったこともあり共同浴場は明朝利用することにして内湯に入ることにした。他の客もなくゆっくり満喫することができたが、湯は独特の肌触りの滑らかさは感じたもののどうも塩素消毒が行われているようだ。まあこれは仕方ないところか。


朝食のみのプランだったので夜は惣菜と酒類を持ち込んだが、朝は地物の食材を多く使ったなかなか豪華なものだった。シジミ汁に使われる味噌もこの近くで造られているものだという。


温泉街は一度かなり寂れた印象だったが最近になって新たな風が吹き込まれているようで、新たに開業した旅館、改装して飲食店として使われている建物など変化が出てきている。そんな中で三階旅館だけが旧態依然のままというわけにはいかないだろう。館内の様子や宿の方のお話を聞いているとさまざまな努力をされている様子が伝わってきた。

ただ、旅館建物は流石長年の時の経過にもより実に温泉街に溶け込んでいるように思うので、建て替えや大規模な外観の改変は望ましくない。古いものを活かしつつ利用者の不自由のないようなバランスを保つことが必要だろう。

(2023.04.29宿泊)




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玄関先とロビー周りの様子




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通された部屋と部屋からの風景




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部屋の窓から戸袋の精巧な彫刻が見られる



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松の間の座敷




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松の間の広縁




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旅館の内風呂




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昔ながらの階段




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廊下の意匠 最近整えられたと思われるものも




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朝食




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# by mago_emon3000 | 2023-05-07 11:29 | 山陰の郷愁宿 | Comments(0)

湯治宿の雰囲気を残す鉱泉旅館-いわき玉山温泉・藤屋旅館



いわき市の一部である四倉地区の郊外、山懐に玉山温泉という温泉地がある。古く平藩の時代、藩主の奥方の夢のお告げで発見されたという伝説があり、250年の歴史を持つ温泉である。探訪二日目の宿として、古い構えを残す延享元(1744)年創業の老舗「藤屋旅館」に泊ることにした。

玉山温泉は四倉地区の市街地から10分ほど、緩やかな丘陵に囲まれた自然豊かな場所にある。駅からは遠いものの常磐自動車道のICから近く、便利な場所にある。温泉街といったものはなく数軒の旅館のみの静かなところだ。川沿いに宿の看板を見ると、対岸に旅館建物の二階屋が望まれた。想像よりも大柄な建物で、玄関前の柱には「礦泉旅館 藤屋」との文字が見えた。


現在の建物は築120年とのこと。全体には改修が加えられそれほど古さは感じない中で、最も歴史を感じる場所は帳場周りだろう。フロントと呼ぶには余りにも旧態な様子で、帳場と呼んだ方がしっくりくる。20畳ほどの座敷には囲炉裏が置かれ、奥の算盤などが置かれた小机の裏には古めかしくも立派な金庫がある。天井も黒光りしており、新しい建物で伝統や古さを演出しようとしてもできないところである。その様子から元は商家だったのかと思い聞いてみると、創業当初から宿泊業とのことで、当初は近在の農家が農繁期の骨休めに利用する宿だったという。客は寝具や食料を持ち込み数日から1週間ほど滞在していたといい、まさに湯治宿だったわけだ。


案内された部屋は二階の二間続きの12畳間で、隣部屋とは襖で仕切られた昔ながらの構造である。しかし浴衣・洗面具をはじめ備品類は揃っており十分快適である。廊下には共同の冷蔵庫もあり、朝食のみで夜は持ち込みの私には有難い。このあたりからも湯治宿らしい風情を感じる。当日は春休み期間中でもあるからか、子供連れの客などで盛況のようであった。

温泉はアルカリ性の冷鉱泉で、時間により貸切利用も可能という。PHが10ほどのアルカリ性の泉質で、加温されているが丁度良い湯加減で、滑らかで肌ざわりの良い浴感であった。それにしても現在の温泉地の様子からして決して湧出量は多くなかったはずで、冷泉でもあり、江戸期の人がよく見つけたものと感心する。


翌朝は6時半から朝風呂に入れるとのことで、その前に宿の周囲を散歩する。宿の方が言われていた通り、様々な種類の鳥の声が聞えた。道路端にあった案内板を見ると、銅山や精錬所といった文字が見えた。鉱山とともに温泉が発見されたのかもしれない。宿の周囲は桜が花盛りであった。

朝風呂後、朝食は一階の広間で頂いた。湯豆腐やたっぷりの野菜など質量ともに十分なもので、温泉にも存分に入れて宿泊料的にこれで良いのかと思わせる安価さであった。設備云々を問わないのなら十分すぎる価値のある旅館である。


(2023.04.01宿泊)



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川岸から見る藤屋旅館


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藤屋旅館の主屋 玄関先に「礦泉旅館藤屋」の文字が



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帳場周り



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帳場にあった昔の精算道具類と金庫



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案内された部屋



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浴室




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時間によっては部屋単位で貸切利用が可能




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温度計 平市が存在したのは1966年までだがそれよりも随分古い時代のもののようだ



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朝食


# by mago_emon3000 | 2023-04-23 17:03 | 北海道・東北の郷愁宿 | Comments(0)

名物鍋の味わえる築120年の老舗温泉旅館-北茨城平潟港・砥上屋旅館


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砥上屋旅館の正面全景


茨城県の沿岸はあんこうの好漁場で、港町を訪ねるとあちこちにあんこうを供する店が看板を構えている。とりわけ冬場を中心に味わえるあんこう鍋が有名である。

県北端の平潟漁港にあんこう鍋が味わえる老舗旅館「砥上屋」があることは、以前から知人やネットの情報で知識を得ていた。この地域は町並探訪の面でもそのずっと以前の鉄道旅時代も含め空白地帯となっていた。部屋数は少なく、鍋の時期は予約しづらい旅館との情報があり、業務の繁忙期が終わる頃を狙って泊れぬものかと早めに連絡したところ、希望日に難なく予約することが出来た。3月末日ではあるがあんこう鍋もまだシーズン中だという。


平潟地区は地魚料理を提供し、また釣り船を利用する客などのための民宿が数多くある。そのなかで砥上屋旅館は格式のある旅館の形を取る唯一の宿といってよく、漁港の眼前に伝統的な外観を保っていた。漁港は近代的なたたずまいであることから、木造3階の古びた構えがある意味不釣合いであるともいえる。しかし実際に築120年を誇るこの建物は明治30年代からずっと港直前の一等地で地魚料理を提供し続けてきたわけである。


聞くと東日本大震災の時にもほぼ被害はなかったとのこと。周囲の木造建築は全壊したものもあったというが、柱が多く頑丈な造りの旅館建物は無傷で、また地震後に襲来した津波も建物前でちょうど工事が行われていて、深い溝が掘られていたためそこに海水が流れ込んで減衰され、浸水は免れたとのことである。港の傍らには津波の水位6.7mと記されている。これは運が良かったというほかない。実際玄関を潜ると頑丈な柱と梁組が見られた。


木造3階とはいえ奥行きは狭く、思いのほか小さな宿である。ご夫婦で経営されているようでもともと多くない客室を限定して受け入れているようで、当日の客は私のみとのこと。3階正面側の部屋に案内されると、広縁を通して全面に漁港の風景が望まれた。一通り館内を巡ってみたが、大きく現代的に改装されることなく建築当時の様子をよく留めている。廊下の床や天井、建築当時そのままと思われる急な階段の手すりをはじめ、長年の使用を経て光沢を帯びており、正面の黒板の印象からつながって実に渋い風情の宿である。3階部分は後から建て増ししたとのことだが、2階までとの違いは良く判らなかった。


この旅館には温泉も引かれている。付近は平潟港温泉と呼ばれる温泉場ともなっており、さっそく入って見ることにした。浴槽は小さいながらも宿の規模にふさわしいといえる。漁港風景を眺めながら開放感を覚える。湯は塩辛さがあるがむろん海水の影響ではなく温泉の成分によるもので、湯の表面にはわずかに虹の色合いが浮いているように見え、油分をはらんでいるようでもあった。濃厚な入浴感が味わえた。

温泉の説明書きには塩素消毒、循環などと書かれていたがそのような様子はなく、蛇口を開放すれば新鮮な湯が追加されるようだ。


夕食は2階の別室で頂くことになっており、言われた時間に向うと、地魚を中心とした品の数々が並んでおり、中央の刺身盛合せが目についた。品目はマトウダイ、ホウボウ、ヒラメ、イカとのことで、ホウボウはあの角ばった厳つい顔とは裏腹に甘みのある上品な白身であった。注文した地酒にも相性がよかった。

少し遅れてメインのあんこう鍋が運ばれてきた。既に調理済で軽く火を入れてから味わうと、何とも言えぬコクと適度な魚臭さが癖になるような味である。あんこうの身もむろん美味だが、この汁だけでまた地酒が進む絶品である。これを求めて多くの客が予約される理由が良く判った。女将によると、一般には味噌などで味付けをするというが、この宿では薄い塩味の出汁に身と肝のみで味を出しているとのこと。その分あんこうそのものの味を感ずることができる。出汁の残りを使った雑炊も逸品であった。


翌朝、まだ少し薄暗い早暁の朝5時台から何やら窓外が慌しい。港には昨夕はほとんど見られなかった多くの乗用車が集まっている。最初出漁の準備かと思ったが朝の散歩で見るとほとんどが北関東各地や福島県など他所のナンバーであった。後で宿の人に聞くと遊漁船の客という。今日は土曜日で多くの客があるようだった。

漁港周辺の散歩後、ゆっくりと朝風呂に入り朝食をいただいたが、昨夕とは違って朝日が差し込み、やや薄暗かった廊下周りも明るい雰囲気となっていた。この朝夕で異なった雰囲気が味わえるのもまた魅力的と言えるだろう。

伝統的建物、名物料理、そして温泉と魅力が三拍子揃っており、それを貸切で独占という形で味わえたということで忘れ得ぬ宿泊となった。

(2023.03.31宿泊)


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玄関回り 頑丈な柱と梁が見える



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黒光りする廊下と階段







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案内された部屋 眼前には漁港の風景が展開する




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部屋の天井も黒光りしていた



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隣の部屋




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温泉浴場は新鮮な湯が掛け流されていた



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夕食の献立と名物あんこう鍋(これにカレイの焼物が追加)



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朝食



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平潟漁港の風景



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# by mago_emon3000 | 2023-04-09 12:58 | 関東・信越の郷愁宿 | Comments(0)

豪商宅別邸を使用した老舗宿-瀬戸田港・住之江旅館



港町瀬戸田は古くから瀬戸内海海路上の中央部に位置していることから物資の往来が盛んで、三原城の外港的な役割も帯びて古くから繁栄したところだ。現在は西瀬戸自動車道が島を縦断し、陸路でのアプローチが一般的になったが、対岸に高根島を望む瀬戸田港が古くから最近まで島の表玄関であった。

港に接する一等地に今回泊る「住之江旅館」がある。旅館建物を見るときまず一番に目につくのが木造の重厚な建屋で、老舗であることを語るものだ。続いて南側に比較的新しい外観の建物が二棟連なっている。以前から気にはなっていたが泊る機会がなく、繁忙期を逆に利用して近場の宿に泊ろうと予約した次第。



玄関は正面から見て古い棟の左側に接する建物にある。まず印象的に感じたのは、玄関を抜けると廊下越しに見事な庭園が眺められることだ。廊下も庭側はガラス張りで木材を多用した趣ある意匠で、廊下にたたずんで庭を眺めるだけでも満ち足りた気分になるようであった。

実はこの庭園が旅館では最も古く江戸時代に遡るとのことで、この土地はもともと瀬戸田の豪商として海運業などを行っていた「堀内家」の別邸があったのだという。玄関横の立派な棟は明治期後期に建てられたてものといい、宿では貴重な別邸時代に遡る建物である。旅館としてスタートしたのは昭和30年と比較的遅く、その時に玄関棟と海岸沿いの客室棟を増改築したとのこと。

ちなみに主屋は港から少し入った所の街道沿いに立派なたたずまいを残し、最近になって別の宿泊施設の一部として再利用されているが、別邸ともども現在は旅客の泊りくつろぐところとして活用されているというのは喜ばしいことといえよう。その施設は、住之江旅館とは異って現代的な「古い佇まいを演出したチェーン旅館」的な雰囲気が濃いやに感じられるが、取壊されるよりはむろん良い。



通された部屋は海に面した増築部分の2階で、高根島の瀬戸が大きく見渡せる。明治の建物にも客室はあるが普段余り使われていない様子で、当日も空室だった。許可を得て少し中を見させてもらうと、立派な床の間や欄間、海側に回廊を持つ二間続きの部屋だった。別邸時代には堀内家の賓客が利用していたところに違いない。金箔に縁どられた立派な書も掲げられていた。

改めて二階の廊下部分から中庭方向を眺めると、明治の建物と玄関棟の接点を頂点にL字型に建屋が連なり、また庭を挟んだ右側にも廊下が伸び別棟(離れ)と浴室のある建物があるU字に近い並びとなっていた。かなり大きな佇まいで、また中庭の存在は宿泊しなければその存在もわからない。



当日は私の他に中年夫婦や学生らしい3人くらいの若い男性のグループ、後一人客が数組あるようだった。一人客は朝食のみしか提供されないようで買って入った寿司等をつまみながらの晩酌となったが、時折船の通過する夕暮れの海を見ながらのこのひと時は日常の慌ただしさを忘れられるようだった。

朝食は玄関棟の奥の部屋で頂いた。狭いながらも1階部分は客室が連なっており、その空き室を使用しているようだったが、これらを客室として使えばかなりの宿泊客が受け入れられるように見えた。サイクリング客の利用も多いということで、あるいはシーズンになるとこれらも客室として使われるのかもしれない。二階部分は大広間となっていて、少なくとも50名以上の宴会が行えるほどの規模だった。

(2023.02.11宿泊)



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旅館の外観(左側奥に玄関棟が少し見える)




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1枚目とは反対側から見た旅館外観




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玄関



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趣ある廊下の風景



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案内された部屋




部屋からの海の眺め(翌朝の様子)



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明治の建物二階の部屋




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廊下から眺める中庭




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中庭 灯篭や見事な石材も多数



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玄関棟2階の広間




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朝食




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# by mago_emon3000 | 2023-02-23 14:51 | 山陽の郷愁宿 | Comments(0)

大型旅館の陰で―川棚温泉・竹園旅館


川棚温泉は下関市街地より北へ25kmほどの西長門地方にある温泉地で、海岸から少し内陸に入った小盆地状の所に位置している。はっきりした記録が残るものとしても12世紀に歴史を遡ることが出来、湯本温泉や俵山温泉などとともに長門地方を代表する温泉地となっている。



古くからの温泉街は住宅地の間に小さな旅館が挟まる閑静なところで、その一角にある「竹園旅館」を予約しておいた。

旅館は昭和14年創業、現在の建物も創業当時のものである。表から見える建屋の外装は塗り替えられるなど手が加わっているため一見古い建物には見えないが、正面二階には古びた木製欄干、戸袋には扇の意匠が見えるなど老舗旅館らしいところも残されている。二階部分が客室となっており、廊下を挟んで表側に三部屋ほど、裏側に二部屋あり、後者の一つに案内された。書院付き床の間のある本格的な客室で、部屋の内装の多くは補修等が必要な箇所以外は創業当時のままであるという。表からは見えなかったが、奥に別棟があって廊下でつながっており、食事会場にもなる大広間が見えた。



温泉街を一通り散策後宿に戻って別棟1階の浴室に向うと、5・6名ほど一度に入れる広さの浴槽に新鮮な湯が投入されていた。弱アルカリ性で肌触りがよく、すこし加温をしているようだが長湯に適した泉質であり泉温である。もう一つやや小振りの浴室があり男女入れ替え制となっている。別棟の奥側にも若干客室があるようで、後で聞いたところではもう少し浴室を大きくという要望もあったようだが余り大きく手を加えたくないという先代の意向から内装は変えたが基本はそのままという。この旅館の規模・部屋数だったらまあこの程度の小ぢんまりした風呂が相応しいように思えた。



大広間での夕食は名物フグ料理が振る舞われ、久々に刺身やちり鍋を味わうことが出来た。後ろ側の10名ほどのグループが賑やかだったが、当日は正月3日、恐らく親戚一同の会合か。まあ正月ということでと心に留めた。

朝食の献立には「温泉豆腐」が土鍋で出てきた。温泉そのものではないが温泉の成分を使用しているとかで、堅い豆腐も次第に柔らかくなり、食べ頃にはふわふわとした食感になるという。その頃合いがなかなか難しいらしくついておかなくてはいけないとは女中さんの話。その間に少しお話した所によると、以前は15軒ほどの旅館があったが今は3分の1ほどになっているとのこと。確かに昨夕一通り周囲を探訪してみても、川棚温泉に来る客の多くは1軒ある大型旅館を利用するようで、旅館の看板はあっても営業されていない宿もあるようだった。

歴史ある川棚温泉が大型旅館と共同浴場だけになるのは味気ない。踏ん張ってほしいものと思いながら宿を後にした。

(2023.01.03宿泊)



竹園旅館の外観



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二階部の意匠




ロビーより玄関を望む



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案内された部屋と各部の意匠



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客室の連なる廊下



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大きい方の浴場






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夕食の献立の一部



朝食



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# by mago_emon3000 | 2023-01-22 19:11 | 山陽の郷愁宿 | Comments(0)