人気ブログランキング | 話題のタグを見る

元首相も宿泊したという老舗旅館-越知町・谷脇旅館



元首相も宿泊したという老舗旅館-越知町・谷脇旅館_a0385880_11003362.jpg



元首相も宿泊したという老舗旅館-越知町・谷脇旅館_a0385880_10535409.jpg

谷脇旅館の正面 玄関は少し奥まった位置にある



越知町は仁淀川中流の小盆地に町が開け、松山と高知を連絡する幹線道である国道33号が通るが鉄道沿線ではない。しかし町を訪ねて、予想外に大きな市街地が開けているという印象である。明治に入り商業が自由になると、山一つ隔てた佐川に負けぬほど発展したという。明治13年の新聞記事では「市街の戸数は凡そ二百軒ばかり、旅籠屋店舗等多数」とある。


この「谷脇旅館」もその頃創業した老舗の一つである。現在の旅館建物は昭和13年に建造されたものといわれ、高知方面から日用品・用品などを運んできた商人たちがここに宿を取り、旅館は盛況だったという。


旅館は中心街の一角に構えられていた。横が駐車場となっているため建屋側面も良く見え、かなり奥行きが深いことがわかる。特筆されるのが元首相の吉田茂氏が遊説中ここに宿を取ったことで、その部屋も当時のまま残されている。幸い予約時に希望しておいたのでその部屋に泊ることができた。玄関正面から見える棟から池のある中庭を隔てて奥の客室棟二階に位置する八畳間で、なるほど小さな旅館ながら格式を感じる設えであった。部屋からは裏庭が見渡せる。この形の部屋が隣にもう一つあった。


客室は全て確認できなかったが、この二階部には裏庭に面した2室と襖を隔てた部屋とがあり、一階にもやや簡素な部屋があった。そして玄関のある棟の二階に数部屋と、つごう10室近くあるものと思われた。


食事は玄関側の棟の一室で頂いた。見た目豪華な感じではないが鍋もの、ブリの焼物に自然薯、カツオのたたきというメニューである。たたきはさすがに新鮮で旨い。宿泊料からしても十分すぎる内容で、地酒「司牡丹」を追加注文した。


当日は一般の宿泊客は私だけのようであったが、玄関には常に幾つか他の靴があった。女将さんによると近くの病院で実習をしている学生が利用しているとのこと。後で見ると、玄関前の表側の部屋に泊っているようだ。夕朝食時に洗濯をしている気配や話し声が聞こえてきたのがそれらしい。その他、客は現場関係者や冠婚葬祭客などが主とのこと。


応対されたのは女将さんのみで、従業員を抱えずご主人とのお二人で切り盛りされているようだ。一部の部屋が予備室として物置代りになっていたほかは隅々まで清掃が行き届き、女将さんの日常からの気配りがうかがえる。そんな中で廊下や洗面所まわりなど、古いままの備品や表示が残され、老舗宿であることを主張しているようであった。

(2022.09.24宿泊)




元首相も宿泊したという老舗旅館-越知町・谷脇旅館_a0385880_10535047.jpg

広い奥行を有していることがわかる







元首相も宿泊したという老舗旅館-越知町・谷脇旅館_a0385880_10534451.jpg

玄関回り



元首相も宿泊したという老舗旅館-越知町・谷脇旅館_a0385880_10534876.jpg
玄関棟二階の客室



元首相も宿泊したという老舗旅館-越知町・谷脇旅館_a0385880_10534230.jpg




元首相も宿泊したという老舗旅館-越知町・谷脇旅館_a0385880_10533817.jpg




元首相も宿泊したという老舗旅館-越知町・谷脇旅館_a0385880_10533188.jpg

案内された部屋(吉田茂元首相が泊った部屋)




隣の部屋の様子




元首相も宿泊したという老舗旅館-越知町・谷脇旅館_a0385880_16231136.jpg

部屋から裏庭を見る



元首相も宿泊したという老舗旅館-越知町・谷脇旅館_a0385880_10532859.jpg

奥の客室棟から中庭を見る



元首相も宿泊したという老舗旅館-越知町・谷脇旅館_a0385880_10532657.jpg




元首相も宿泊したという老舗旅館-越知町・谷脇旅館_a0385880_10532201.jpg

奥の客室棟の階段取り付け部 必ずこのステップ部を通らないと部屋に行けない構造になっている なかなかアングルが取れなかった




元首相も宿泊したという老舗旅館-越知町・谷脇旅館_a0385880_10532098.jpg

ステップ部にあるスイッチ 各部屋の電源を管理するためか(下に部屋名が書いてある)




元首相も宿泊したという老舗旅館-越知町・谷脇旅館_a0385880_10531950.jpg




元首相も宿泊したという老舗旅館-越知町・谷脇旅館_a0385880_10530417.jpg

夕食と朝食



元首相も宿泊したという老舗旅館-越知町・谷脇旅館_a0385880_11054825.jpg




元首相も宿泊したという老舗旅館-越知町・谷脇旅館_a0385880_11055494.jpg



# by mago_emon3000 | 2022-10-09 11:08 | 四国の郷愁宿 | Comments(0)

安来駅至近の駅前旅館-朝日館


安来市は古く中国山地でたたら製鉄が行われた時代から鉄の町として栄え、その積出港として発展したところであり、市街中心には古い町並も展開している。


その町並地区からほど近く、安来駅からも至近の位置に昔ながらの駅前旅館といった佇まいの「朝日館」がある。国道にも面する二階屋は一見それほど古い建物のようには感じないが、「朝日館」と記された木製看板に歴史を感じさせる。


丁度山陰方面の用務があり、その機会を利用してここに泊ることにした。玄関をくぐると女将さんが現れた。1階奥にご主人か、人のいる気配はしたが翌日の出発まで応対は女将一人のみだった。

さっそく部屋に案内いただく。二間続きの部屋で玄関や部屋のある棟はそれほど古さを感じないが、清潔感があり好印象だった。


女将の説明によると創業はゆうに100年を超え、当初から旅館としての営業という。現在の建物は昭和26年に建てられ、その後昭和50年代になって表側の部分を一部建て替えたとのこと。正面からは余り古さを感じられなかったのはそのためだが、恐らく歴史は山陰本線開通と余り変わらない頃と思われる。


風呂場前の廊下辺りから後ろ側が古い建屋とのことで、風呂場を案内いただくついでに少し部屋も見せてもらった。1階部分には立派な書院付きの床の間、欄間の彫刻も見事な客室があった。掲げられた飾り物をふと見ると、昔の朝日館の宣伝チラシらしいものが挟まれていた。いつの物かわからないが横書きの方向からして少なくとも戦前の物であろう。「離れ座敷の新築方に成り設備頗(すこぶる)整ふ」とある。一代前の旅館建物、「離れ座敷」の風情は如何ばかりだっただろうかと、この文言からも想像が掻き立てられる。


洗面所は昔ながらの感じだったが、風呂場は現在の客にも十分快適なように改装されていた。

客層は仕事関係者や学生の団体などが主といい、宿泊料も安く気軽に泊れる駅前の宿といったところだ。ビジネスホテルなどが主流になるまでは、このような旅館が駅前の宿の普通の姿だったのだろう。


朝食後、帰り際に改めて道沿いを見渡すと、この旅館と向い合うように同じような構えの旅館の姿があり、今となっては貴重な風景のように感じた。

(2022.08.03宿泊)



安来駅至近の駅前旅館-朝日館_a0385880_10444274.jpg

旅館正面風景



安来駅至近の駅前旅館-朝日館_a0385880_10443550.jpg




安来駅至近の駅前旅館-朝日館_a0385880_10443166.jpg

玄関の様子



安来駅至近の駅前旅館-朝日館_a0385880_10442825.jpg

案内された二階の部屋




安来駅至近の駅前旅館-朝日館_a0385880_12592658.jpg

案内された部屋付近の廊下



安来駅至近の駅前旅館-朝日館_a0385880_10442574.jpg




安来駅至近の駅前旅館-朝日館_a0385880_10442198.jpg




安来駅至近の駅前旅館-朝日館_a0385880_10441846.jpg

1階奥にある最も格式を感じる部屋



安来駅至近の駅前旅館-朝日館_a0385880_10441458.jpg

部屋の飾り物に旅館の古いチラシが



安来駅至近の駅前旅館-朝日館_a0385880_10441066.jpg




安来駅至近の駅前旅館-朝日館_a0385880_10440716.jpg

風呂と洗面所まわり



安来駅至近の駅前旅館-朝日館_a0385880_10440324.jpg

朝食(ハタハタの焼物が特筆的)



安来駅至近の駅前旅館-朝日館_a0385880_10443892.jpg

通りを挟んで駅前旅館が向い合っている


# by mago_emon3000 | 2022-09-11 13:01 | 山陰の郷愁宿 | Comments(0)

「真癒の湯」で知られる創業400年の温泉宿-川渡温泉・藤島旅館


「真癒の湯」で知られる創業400年の温泉宿-川渡温泉・藤島旅館_a0385880_15043766.jpg




「真癒の湯」で知られる創業400年の温泉宿-川渡温泉・藤島旅館_a0385880_15050350.jpg

藤島旅館の入口と玄関前の様子



川渡温泉は鳴子温泉郷の最も東側に位置し、江合川右岸に小さな温泉街を形成している。

古くから知られた温泉場で、江戸期に刊行された『諸国温泉効能鑑』では、仙台藩の温泉として鎌先・秋保・鳴子とともに川渡温泉が紹介されている。

「藤島旅館」はその中でももっとも古い歴史を持ち、既に江戸初期の慶長の頃には温泉の湯守として宿屋を始めたといわれる。藤島家は代々入湯客からの湯銭の一部を藩に献上し、今は19代目にもなるという。


旅館はその歴史を感じさせる佇まいを見せていた。正面に角屋のように張り出した玄関部分はコの字型に切り込まれた土間に板の間が囲み、一度に多くの客を迎え入れることが可能なつくりとなっていた。この旅館は宿泊よりむしろ日帰り客の方が多いようで、大きな駐車場も備える。到着した頃も次々と客が出入りしていた。玄関付近には売店も充実している。


案内された客室は玄関から向かって右側に廊下をしばらく歩き、階段を昇ってすぐの二階にあった。廊下や階段も年季を帯び、何とも言えない風情を醸し出している。部屋は16畳と広く、内装はシンプルながらも窓が大きく明るい部屋であった。見ると客室棟はもっとかなり奥に向けて延びているようだ。休憩後少し探索してみると湯治棟を思わせる雰囲気で、奥には干された洗濯物も見えた。長期滞在客もあるらしい。部屋にあった見取図を見ると、1階の玄関に近い辺りに松1号などと名付けられた上等な和室、私の案内された二階部に竹1号などの一般和室、その他に単に客室と書かれている部屋が20前後もある。それらが湯治客用らしい。


浴場は大浴場と中浴場、貸切風呂さらに案内にはないが温泉プールもあるらしい。宿泊客は貸切風呂以外無料なので中浴場に入って見ると、温泉情緒の高まる淡い硫黄の香りが漂っていた。薄緑色の濁りのある湯には黒い湯の花が漂っており、濃厚でいかにも入浴効果のありそうな湯だ。実際川渡温泉は薬効性が高いことで古くから有名で、特に神経痛や関節痛に効果が高く、「脚気の川渡」と呼ばれ多くの入浴客を迎え入れてきたという。日帰り客の多くは低料金の大浴場を利用するのか、しばらく貸切状態で湯を味わえた。

湯はその薬効性から「真癒の湯」と呼ばれる。そんな名湯が24時間掛け流しで、もちろん自由に入れるとは贅沢だ。但し翌朝一番に大浴場に行ってみると暗く、湯の量が少ないようであった。どうやら掃除の時間にあたっていたらしい。そのため、中浴場に入り直した。


藤島旅館は見事な庭園でも知られる。丘を背にした立地を生かし、池を中心とした回遊式庭園となっている。あいにく雨上がりで濡れた草に阻まれて全部を見ることが出来なかったが、池の小島に石橋が渡されるなど、風流な庭であった。池には多くの鯉も泳いでいた。


翌朝出発時に宿の人に少し聞いてみると、東北大学農学部の学生の下宿としても利用されているのだという。昨日見た洗濯物はその学生のものだったらしい。それぞれの郵便受けも玄関付近にあり、見ると5名ほどの学生の利用があるようだ。部屋は下宿らしいのだろうが、自由に温泉に入れるとは何とも贅沢な学生生活ではある。

このように客層として一般の宿泊客、日帰り客、湯治客や下宿学生までが混然一体としているのは、現在では珍しい形であるといえよう。建物や温泉だけではくこうした旅館の形態も貴重なもので、続いていってほしいものだ。

(2022.07.17宿泊)


「真癒の湯」で知られる創業400年の温泉宿-川渡温泉・藤島旅館_a0385880_15043424.jpg



「真癒の湯」で知られる創業400年の温泉宿-川渡温泉・藤島旅館_a0385880_15043286.jpg

玄関回り



「真癒の湯」で知られる創業400年の温泉宿-川渡温泉・藤島旅館_a0385880_15042950.jpg

大浴場に向う廊下にある売店



「真癒の湯」で知られる創業400年の温泉宿-川渡温泉・藤島旅館_a0385880_15042303.jpg

廊下奥には客室が並んでいる



「真癒の湯」で知られる創業400年の温泉宿-川渡温泉・藤島旅館_a0385880_15041029.jpg

案内された部屋



「真癒の湯」で知られる創業400年の温泉宿-川渡温泉・藤島旅館_a0385880_15040883.jpg

案内された二階廊下は湯治宿的雰囲気が漂う



「真癒の湯」で知られる創業400年の温泉宿-川渡温泉・藤島旅館_a0385880_15040544.jpg

廊下に「温泉プール」の文字が



「真癒の湯」で知られる創業400年の温泉宿-川渡温泉・藤島旅館_a0385880_15040333.jpg

大浴場に向う辺り



「真癒の湯」で知られる創業400年の温泉宿-川渡温泉・藤島旅館_a0385880_15040160.jpg

浴場(中浴場)



「真癒の湯」で知られる創業400年の温泉宿-川渡温泉・藤島旅館_a0385880_15035743.jpg




「真癒の湯」で知られる創業400年の温泉宿-川渡温泉・藤島旅館_a0385880_15035487.jpg

夕食と朝食



「真癒の湯」で知られる創業400年の温泉宿-川渡温泉・藤島旅館_a0385880_15035325.jpg




「真癒の湯」で知られる創業400年の温泉宿-川渡温泉・藤島旅館_a0385880_15035028.jpg

宿に隣接する回遊式庭園



「真癒の湯」で知られる創業400年の温泉宿-川渡温泉・藤島旅館_a0385880_15034696.jpg

客室から見る旅館建物 (奥の瓦の建物が玄関のある棟で、この写真手前側も長屋のように客室棟が連なっている)


# by mago_emon3000 | 2022-08-21 15:13 | 北海道・東北の郷愁宿 | Comments(0)

水運で発展した町で創業250年を誇る宿-登米・鮱武(えびたけ)旅館



市街地の東を北上川が流れ、かつては川を通じて物流が盛んに行われ発展した登米町。古くは城下町でもあり政治・教育の中心であり、その遺構も色濃く残ることから「みやぎの明治村」と呼ばれ訪れる人も多い。



町の中心にある「鮱武(えびたけ)旅館」は創業250年という老舗旅館で、水運賑やかな頃から多くの旅人や用務客を迎え入れてきたことになる。店蔵や看板建築などの並ぶ古い町並の中心部に位置し、町を代表する旅館であることがわかる。



玄関は表通りから少し奥まった位置にあった。玄関回りは歴史を感じさせ、明治時代の建物という。一方、玄関横から角屋のように通りに向って伸びている建屋部分は比較的新しく見え、1階部分には牛タンの看板の見える飲食店となっている。このような古い旅館を訪ねると、表通りに面した部分を増築・改築し、現代風の外観に整えている例が少なくない。



案内されたのはその新しい建屋部分の2階にあった。実はこの宿はネット予約したのだが、コメント欄になるべく古い(伝統的な)部屋を希望と伝えておいたのである。女将によると先客があってとのことだったが、一般の客は基本的にこの新館部分に案内されているようだ。

古い部分の客室の様子を廊下からうかがうと、鍵のない広間風の部屋で、襖で仕切られている昔ながらの部屋のようだ。合宿の学生のようなグループ客、現場関係の長期滞在客などはまだしも一般の個人客には今や不向きな構造といえ、ここに案内するのは忍びなかったのだろう。勿論案内された部屋も小ざっぱりした6畳間で、落着ける雰囲気であった。

古い旅館建屋部分を一通り巡ってみると、廊下は長年の使用により光沢を帯びており、玄関へ続く階段も重々しく格式を感じる。並んだ客室の一つを失礼して少し襖を開けると、立派な床の間付きの部屋であった。また、食堂と貼紙のある部屋もあり、宿泊客の人数やグループによっては食事会場として使っているようだ。



食事は部屋出しで、刺身盛合わせのほか鰹のタタキ、ホヤなどの酢の物のほか牛タン焼、鰻の蒲焼まである。料理屋を併設しているとはいえ、宿泊料金からすると大変なご馳走だ。観光地の旅館など、宿泊料金に対して食事内容が下回ることがしばしばあるが、このように大幅に上回るのは喜ばしい事である。それどころかこの料金で良いのかと思うほどであった。せめてもとビールと地酒を注文した。



翌朝町の裏手の北上川の堤防上から見ると、旅館の敷地はかなりの奥行きの深さを持っていることが分かった。創業の頃は川側から直接出入りできるようになっていたか。そのような想像を抱かせる風景であった。

(2022.07.16宿泊)


水運で発展した町で創業250年を誇る宿-登米・鮱武(えびたけ)旅館_a0385880_11071717.jpg

旅館正面の外観




水運で発展した町で創業250年を誇る宿-登米・鮱武(えびたけ)旅館_a0385880_11072172.jpg

増築部分から玄関を望む



水運で発展した町で創業250年を誇る宿-登米・鮱武(えびたけ)旅館_a0385880_11072599.jpg




水運で発展した町で創業250年を誇る宿-登米・鮱武(えびたけ)旅館_a0385880_11073290.jpg



水運で発展した町で創業250年を誇る宿-登米・鮱武(えびたけ)旅館_a0385880_11073507.jpg

玄関回りの様子



水運で発展した町で創業250年を誇る宿-登米・鮱武(えびたけ)旅館_a0385880_11073746.jpg

階段より玄関を望む



水運で発展した町で創業250年を誇る宿-登米・鮱武(えびたけ)旅館_a0385880_11074055.jpg




水運で発展した町で創業250年を誇る宿-登米・鮱武(えびたけ)旅館_a0385880_11074897.jpg




水運で発展した町で創業250年を誇る宿-登米・鮱武(えびたけ)旅館_a0385880_11074525.jpg

二階部分の様子



水運で発展した町で創業250年を誇る宿-登米・鮱武(えびたけ)旅館_a0385880_11074314.jpg

一階部分の廊下

水運で発展した町で創業250年を誇る宿-登米・鮱武(えびたけ)旅館_a0385880_11075140.jpg

増築部分の廊下

水運で発展した町で創業250年を誇る宿-登米・鮱武(えびたけ)旅館_a0385880_11075339.jpg

案内された部屋


水運で発展した町で創業250年を誇る宿-登米・鮱武(えびたけ)旅館_a0385880_11075667.jpg

豪華だった夕食


水運で発展した町で創業250年を誇る宿-登米・鮱武(えびたけ)旅館_a0385880_11075871.jpg

併設する食事処の案内


# by mago_emon3000 | 2022-08-14 11:10 | 北海道・東北の郷愁宿 | Comments(0)

奥州の薬湯と称される名湯-白石市鎌先温泉・最上屋旅館


奥州の薬湯と称される名湯-白石市鎌先温泉・最上屋旅館_a0385880_11172835.jpg

最上屋旅館の本館正面




鎌先温泉は南蔵王の不忘山麓の緑濃いところにありながら、白石市街地から10分余りと便利な位置にある温泉地。温泉は600年ほど前、木こりが水を求めて沢に降り、鎌で木の根辺りをかき分けたところ温泉が湧き出したとの言い伝えによるという。

江戸期には白石城主・片倉氏をはじめ仙台城主・伊達氏も訪れたと云われている。温泉街は狭い谷間の奥に重なるように建物が連なっており、小規模ながらも温泉気分が高揚する。入口に広い駐車場があり、そこから客はそれぞれの宿に向う形となっている。


「最上屋旅館」は温泉街の中心に位置し、創業は約200年前の江戸時代に遡る大変歴史の古い旅館である。到着して玄関をくぐると、少々慎ましやかなたたずまいながら建材は年季を帯び光沢を放っており、老舗旅館にふさわしい風情を感じる。案内されたのは二階の正面側の部屋、一度改装が入っているのか余り古さは感じないが、床の間と広縁のある落着きを感じさせる一間だ。


旅館は玄関のある本館のほか、玄関に向って左側には別棟さらに湯治棟と続く。大浴場もこの棟にある。反対の右側には鉄骨造の比較的新しい建物が続き、こちらは団体客が多かったころ増築したと思われる。とにかく本館の佇まいに似つかわしくないほどの規模の宿である。しかもご主人に聞くと、本館は大正末期築、湯治棟はさらに古いという。


しばし休憩し、階段や廊下を辿って浴室へ。この鎌先温泉は「奥州の薬湯」といわれ、特に外傷や術後の療養に効果が高いといわれ「傷の鎌先」とも称される。男女別入れ替え制の二つの浴場は黄金色の湯がそのままかけ流されており、口に少し含むと鉄分・塩分のほかやや複雑な味がした。いかにも効能がありそうな湯である。


浴室を取り囲むように湯治用の客室があり、二階を合わせると10室を超える部屋があるようだ。但し、当日湯治客はないようで、全体でも5人ほどのようだった。平日とはいえ部屋の見取り図を見ると湯治棟を除いても100人近くは泊れそうな収量力なのに少々寂しくはある。

一角には湯治客が利用する小さな炊事場があった。冷蔵庫も完備され長期滞在にも不自由ない様子だが、コイン式のガス自動販売機は珍しいものだった。料金を入れると一定の時間ガスがコンロに供給される仕組になっているのだろう。


食事は本館1階の別室で頂いた。標準的な献立だが私は牛タン付きを希望しておいたので、なかなかのボリューム感ある夕食となった。肉厚の牛タンも美味であった。

食後腹が落着いた後再度浴場に向い、満足の1泊となった。ただ当日夜は結構な大雨で、ゆっくり眠れなかったのが少々残念だった。外が明るくなり始めたのを見て、三たび薬湯に入浴した。

(2022.07.15宿泊)




奥州の薬湯と称される名湯-白石市鎌先温泉・最上屋旅館_a0385880_11172614.jpg

別棟(中央)と湯治棟(左)(奥は別の旅館建物)



奥州の薬湯と称される名湯-白石市鎌先温泉・最上屋旅館_a0385880_15114259.jpg

別棟と湯治棟を裏側より


奥州の薬湯と称される名湯-白石市鎌先温泉・最上屋旅館_a0385880_11171891.jpg




奥州の薬湯と称される名湯-白石市鎌先温泉・最上屋旅館_a0385880_11171794.jpg

玄関回りの様子



奥州の薬湯と称される名湯-白石市鎌先温泉・最上屋旅館_a0385880_11171405.jpg

年季の入った階段







奥州の薬湯と称される名湯-白石市鎌先温泉・最上屋旅館_a0385880_11172092.jpg

案内された客室



奥州の薬湯と称される名湯-白石市鎌先温泉・最上屋旅館_a0385880_11171210.jpg

本館の廊下



奥州の薬湯と称される名湯-白石市鎌先温泉・最上屋旅館_a0385880_11171155.jpg

別棟から湯治棟に向う渡り廊下



奥州の薬湯と称される名湯-白石市鎌先温泉・最上屋旅館_a0385880_11170669.jpg




奥州の薬湯と称される名湯-白石市鎌先温泉・最上屋旅館_a0385880_11170496.jpg

「薬湯」が掛け流される浴場



奥州の薬湯と称される名湯-白石市鎌先温泉・最上屋旅館_a0385880_11170113.jpg

湯治棟の炊事場



奥州の薬湯と称される名湯-白石市鎌先温泉・最上屋旅館_a0385880_11165844.jpg

炊事場にあるコイン式のガス販売機




食事をいただいた部屋



奥州の薬湯と称される名湯-白石市鎌先温泉・最上屋旅館_a0385880_11165463.jpg




奥州の薬湯と称される名湯-白石市鎌先温泉・最上屋旅館_a0385880_11165188.jpg

夕食と朝食



奥州の薬湯と称される名湯-白石市鎌先温泉・最上屋旅館_a0385880_11164504.jpg

部屋にあった宿の見取り図


# by mago_emon3000 | 2022-08-07 15:18 | 北海道・東北の郷愁宿 | Comments(0)