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豪商宅別邸を使用した老舗宿-瀬戸田港・住之江旅館



港町瀬戸田は古くから瀬戸内海海路上の中央部に位置していることから物資の往来が盛んで、三原城の外港的な役割も帯びて古くから繁栄したところだ。現在は西瀬戸自動車道が島を縦断し、陸路でのアプローチが一般的になったが、対岸に高根島を望む瀬戸田港が古くから最近まで島の表玄関であった。

港に接する一等地に今回泊る「住之江旅館」がある。旅館建物を見るときまず一番に目につくのが木造の重厚な建屋で、老舗であることを語るものだ。続いて南側に比較的新しい外観の建物が二棟連なっている。以前から気にはなっていたが泊る機会がなく、繁忙期を逆に利用して近場の宿に泊ろうと予約した次第。



玄関は正面から見て古い棟の左側に接する建物にある。まず印象的に感じたのは、玄関を抜けると廊下越しに見事な庭園が眺められることだ。廊下も庭側はガラス張りで木材を多用した趣ある意匠で、廊下にたたずんで庭を眺めるだけでも満ち足りた気分になるようであった。

実はこの庭園が旅館では最も古く江戸時代に遡るとのことで、この土地はもともと瀬戸田の豪商として海運業などを行っていた「堀内家」の別邸があったのだという。玄関横の立派な棟は明治期後期に建てられたてものといい、宿では貴重な別邸時代に遡る建物である。旅館としてスタートしたのは昭和30年と比較的遅く、その時に玄関棟と海岸沿いの客室棟を増改築したとのこと。

ちなみに主屋は港から少し入った所の街道沿いに立派なたたずまいを残し、最近になって別の宿泊施設の一部として再利用されているが、別邸ともども現在は旅客の泊りくつろぐところとして活用されているというのは喜ばしいことといえよう。その施設は、住之江旅館とは異って現代的な「古い佇まいを演出したチェーン旅館」的な雰囲気が濃いやに感じられるが、取壊されるよりはむろん良い。



通された部屋は海に面した増築部分の2階で、高根島の瀬戸が大きく見渡せる。明治の建物にも客室はあるが普段余り使われていない様子で、当日も空室だった。許可を得て少し中を見させてもらうと、立派な床の間や欄間、海側に回廊を持つ二間続きの部屋だった。別邸時代には堀内家の賓客が利用していたところに違いない。金箔に縁どられた立派な書も掲げられていた。

改めて二階の廊下部分から中庭方向を眺めると、明治の建物と玄関棟の接点を頂点にL字型に建屋が連なり、また庭を挟んだ右側にも廊下が伸び別棟(離れ)と浴室のある建物があるU字に近い並びとなっていた。かなり大きな佇まいで、また中庭の存在は宿泊しなければその存在もわからない。



当日は私の他に中年夫婦や学生らしい3人くらいの若い男性のグループ、後一人客が数組あるようだった。一人客は朝食のみしか提供されないようで買って入った寿司等をつまみながらの晩酌となったが、時折船の通過する夕暮れの海を見ながらのこのひと時は日常の慌ただしさを忘れられるようだった。

朝食は玄関棟の奥の部屋で頂いた。狭いながらも1階部分は客室が連なっており、その空き室を使用しているようだったが、これらを客室として使えばかなりの宿泊客が受け入れられるように見えた。サイクリング客の利用も多いということで、あるいはシーズンになるとこれらも客室として使われるのかもしれない。二階部分は大広間となっていて、少なくとも50名以上の宴会が行えるほどの規模だった。

(2023.02.11宿泊)



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旅館の外観(左側奥に玄関棟が少し見える)




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1枚目とは反対側から見た旅館外観




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玄関



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趣ある廊下の風景



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案内された部屋




部屋からの海の眺め(翌朝の様子)



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明治の建物二階の部屋




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廊下から眺める中庭




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中庭 灯篭や見事な石材も多数



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玄関棟2階の広間




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朝食




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# by mago_emon3000 | 2023-02-23 14:51 | 山陽の郷愁宿 | Comments(0)

大型旅館の陰で―川棚温泉・竹園旅館


川棚温泉は下関市街地より北へ25kmほどの西長門地方にある温泉地で、海岸から少し内陸に入った小盆地状の所に位置している。はっきりした記録が残るものとしても12世紀に歴史を遡ることが出来、湯本温泉や俵山温泉などとともに長門地方を代表する温泉地となっている。



古くからの温泉街は住宅地の間に小さな旅館が挟まる閑静なところで、その一角にある「竹園旅館」を予約しておいた。

旅館は昭和14年創業、現在の建物も創業当時のものである。表から見える建屋の外装は塗り替えられるなど手が加わっているため一見古い建物には見えないが、正面二階には古びた木製欄干、戸袋には扇の意匠が見えるなど老舗旅館らしいところも残されている。二階部分が客室となっており、廊下を挟んで表側に三部屋ほど、裏側に二部屋あり、後者の一つに案内された。書院付き床の間のある本格的な客室で、部屋の内装の多くは補修等が必要な箇所以外は創業当時のままであるという。表からは見えなかったが、奥に別棟があって廊下でつながっており、食事会場にもなる大広間が見えた。



温泉街を一通り散策後宿に戻って別棟1階の浴室に向うと、5・6名ほど一度に入れる広さの浴槽に新鮮な湯が投入されていた。弱アルカリ性で肌触りがよく、すこし加温をしているようだが長湯に適した泉質であり泉温である。もう一つやや小振りの浴室があり男女入れ替え制となっている。別棟の奥側にも若干客室があるようで、後で聞いたところではもう少し浴室を大きくという要望もあったようだが余り大きく手を加えたくないという先代の意向から内装は変えたが基本はそのままという。この旅館の規模・部屋数だったらまあこの程度の小ぢんまりした風呂が相応しいように思えた。



大広間での夕食は名物フグ料理が振る舞われ、久々に刺身やちり鍋を味わうことが出来た。後ろ側の10名ほどのグループが賑やかだったが、当日は正月3日、恐らく親戚一同の会合か。まあ正月ということでと心に留めた。

朝食の献立には「温泉豆腐」が土鍋で出てきた。温泉そのものではないが温泉の成分を使用しているとかで、堅い豆腐も次第に柔らかくなり、食べ頃にはふわふわとした食感になるという。その頃合いがなかなか難しいらしくついておかなくてはいけないとは女中さんの話。その間に少しお話した所によると、以前は15軒ほどの旅館があったが今は3分の1ほどになっているとのこと。確かに昨夕一通り周囲を探訪してみても、川棚温泉に来る客の多くは1軒ある大型旅館を利用するようで、旅館の看板はあっても営業されていない宿もあるようだった。

歴史ある川棚温泉が大型旅館と共同浴場だけになるのは味気ない。踏ん張ってほしいものと思いながら宿を後にした。

(2023.01.03宿泊)



竹園旅館の外観



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二階部の意匠




ロビーより玄関を望む



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案内された部屋と各部の意匠



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客室の連なる廊下



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大きい方の浴場






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夕食の献立の一部



朝食



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# by mago_emon3000 | 2023-01-22 19:11 | 山陽の郷愁宿 | Comments(0)

美観地区中心の一等地に構える元商家の宿-倉敷・料理旅館鶴形


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旅館建物(倉敷川対岸より)




倉敷の重伝建地区には宿も多くあり、伝統的な構えの老舗旅館から町家を利用した民宿風のもの、元紡績工場の建物を利用した倉敷アイビースクエアといった特徴あるものなどさまざまである。付近を歩くと、早い時期から町並・建物の保全意識の高かったこの地区にあって、そのまま建物だけを保持するか、土産物屋などの店舗として活用するかなどとそれぞれに模索された様子がうかがえる。

そんな中で「料理旅館 鶴形」は美観地区の中心、倉敷川沿いに立地しており、まさに一等地といえる場所にある。

料理旅館ということで食事付きで宿泊してこそ価値のあるものだろうが、何かの記念でもない限りなかなか気軽に泊れない料金設定でもあり思いきれずにいた所、遅めのチェックインでの素泊りプランがあり、それを利用して泊ってみることにした。


宿に着いた頃は既に暗く、また夕食の準備等に忙しそうな様子だったので部屋に案内を受け、一通り建物内を歩いて感触をつかみ、風呂に入るくらいにとどめ、出来れば明朝旅館の色々を聞いてみたいと思った。どうやら夜勤の従業員に詳しい方がいるとのこと。

泊った部屋は玄関からずっと奥に進んだ突当りを左に曲がり、階段を上った一番奥にあった。シンプルな和室だが、よく見ると柱に接ぎ木をした跡がある。古い梁がそのまま使われている様子もわかる。

予備知識としては建物として280年の歴史を数えるもと油商の御宅で、保存地区内では本町にある井上家に次ぐ古さで、代表的な旧家・商家でもあるということくらいである。だが、古い商家の建物を旅館として活用しようとするとどうしても構造的な問題が生じて来るはずだ。そのような旧家は広い敷地に主屋、付属屋、土蔵などとそれぞれ別棟になっているのが普通だからだ。しかしいったん外に出たりすることも段差などもなく、普通の旅館と全く変わらないように部屋に到着できている。



翌朝町並を一通り散策後、詳しい方とお話しすることが出来た。1970年頃、先代は宿泊施設として再出発させるという思い切った決断を行った。一旦建屋を解体し修繕されたとのことで、古い木材は使える部分は極力再利用したという。柱に接手があるのもそのためなのだろう。

またその解体修復時に一部つなぎの棟をこしらえたが、各建物の間に大きな高低差がないのでそれほど苦心することはなかったという。しかし不自然なく一棟に見せる技巧は見事といえる。明るくなって廊下の窓から見ると中庭を囲んで裏手の土蔵や複数の付属屋が連なっている様子が見え、その複雑な建屋群を旅館に仕立てた様子を目にしたかったものだが、当日は中庭に面した部屋にもお客があり、庭に出るのは遠慮してほしいとのこと。

それもこの宿の魅力あってのことであろう。当日は初冬の週末であったが、家族連れや若い男女、熟年夫婦など様々な客があり盛況のようであった。建物そのものはむろんのこと、宿の玄関を出るといきなり倉敷川沿いの「絶景」に接することが出来るというのはなかなか体験できないものだ。

(2022.12.10宿泊)



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旅館の夜景




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玄関回りの風景




フロントから続く廊下



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建築当時の梁がそのまま使われている



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案内された部屋 柱に継いだ跡が見られる



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浴場




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館内から中庭を望む



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二階廊下から 裏手の棟々の様子が見える



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旅館裏手の路地(左が旅館建物)




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# by mago_emon3000 | 2022-12-31 13:28 | 山陽の郷愁宿 | Comments(0)

大阪湾を眺望する明治期創業の老舗 岬町・龍宮館


大阪府の南端に位置する岬町はビーチやヨットハーバー、ゴルフ場などが点在するレジャー基地となっており、その歴史は南海電鉄が開通した明治期に遡るといわれる。

町の北部にある淡輪駅を出ると、正面右寄りに小高い丘が見える。愛宕山と呼ばれ春にはツツジの名所として知られており、眼下には港の風景、遠景には大阪湾と関西国際空港を見渡すことのできる景勝地となっている。


その丘の一角に本日泊る「龍宮館」があった。「海と眺望と魚料理」を謳う観光旅館とのことだが、その外観は少し大きめの民家のようであり、いかにも地味な佇まいであった。しかし玄関先には屋号を記した木製看板が掲げられ、伝統ある宿であることを示していた。



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旅館正面



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少し早く到着したので港付近の町並を探訪した後、16時を過ぎてから玄関を潜った。まず驚いたのが20足はあろうか、多くのスリッパが並んでおり賑わっている様子であることだ。聞くとお子様連れの家族客が2組あるとのこと。


龍宮館は創業明治37年という老舗で、明治期南海電鉄の開通にあわせてこの付近は保養地として多くの旅館が建ち、ここもそのひとつだった。しかし以後徐々に少なくなり今は当館だけとのこと。自家用車などなく鉄道網も整備されていない当時、鉄道で気軽に1泊旅行ができ、景色が良く料理も旨い名所だったに違いない。そのような旅館に「駅から徒歩10分」でたどり着けるのだから魅力的なところだったに違いない。


宿泊手続きをしながら少し宿の方に聞いてみると、建物は当時から抜本的には建て替えていないという。玄関回りは余り改修していないとのことだが他の部分は折に触れて改装したそうで、古い旅館とは余り感じられなかった。

ただ、ざっと館内を見まわした中で二階の大広間は圧巻だった。20畳ほどの広さで、窓の外一杯に大阪湾の夕景が広がり、意匠の凝った木製欄干や欄間、床の間も見事であった。これまでどれだけの客がここで宴会を開いたのだろうか。この広間を見るだけでもこの旅館を訪ねる価値があるといって過言ではなかろう。カラオケ・セットが置かれているので今も時々は使われているものと思われたが、翌朝には家族客の朝食会場に使われたようだ。早く到着して見ておいて良かった。


風呂はシンプルなつくりだが大阪湾が見渡され、早い時間だったので他の入浴客もなくゆっくりとくつろげた。時折外でモーターの音らしいものが聞こえる。温泉とは聞いていないが湯の肌触りが何となく柔らかい。後で聞いてみると、冷泉を汲み上げて使っていると聞いたとこがあるが、良く判らないとのことだった。


食事は部屋食で、到着したときは多くの客に煩わされるのではと少し危惧していたがその心配もなかった。食材は魚を主体とした会席料理風で、質量ともなかなかのものであった。地酒も注文しこちらもじっくりと頂けた。先代の息子さんが料理を担当されているとのこと。献立を記した説明書きはなかったが、何だろうかと確かめながら味わうのも楽しいものがあった。


ただ少々残念だったのが宿の方が多忙そうで、夕食を運んでこられたときにもう少し旅館のことを聞いてみたかったが遠慮せざるを得ず、どなたが女将さんかもよく判らず仕舞いだった。

食事しながら窓の外を見ていると、時折関西国際空港に到着する航空機の灯りが点滅しながら見えた。

(2022.11.19宿泊)



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玄関回りの様子 



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1階ロビーの風景



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泊った部屋の様子 大阪湾の眺望が開ける



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2階の広間 凝った豪華な意匠が見られる



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風呂場



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夕食(献立の一部)




朝食



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泊った部屋付近から 別の建屋を客室棟がコの字型に取り囲む



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愛宕山入口の看板


# by mago_emon3000 | 2022-12-04 11:12 | 近畿の郷愁宿 | Comments(0)

明治期から料亭を営んでいた老舗-和田山・旅館群鶴亭


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古くから但馬地方と播磨地方を連絡する交通の拠点であった和田山の町。旧市街には古い町並を残し、うだつを持つ商家の姿も見られる。

その一角に今回宿泊する「群鶴亭」がある。今回、同士5名とのこの方面への用件があり、付近に1泊ということでこの宿を選択した。


実はこの和田山では昨年他の旅館に宿泊している。町も歩いたがこの旅館は目に留まらなかった。何故かと思うと、表から見ると扉や窓は現代風の造りで壁も塗り替えられ、ちょっとした食事処かビジネス旅館といった佇まいだからだろう。しかし女将によるともとは料亭で、明治22年には料理店の登録として群鶴亭の名前があったそうで、少なくとも130年余の歴史を有する紛れもない老舗だ。屋号としては、江戸時代から受け継がれていると云われている。


かつて玄関は裏手にあり、そこがメインの通りだったとか。今玄関のある側の街路は後になって整備された道なのだろう。そのため何となく素っ気ない表情なのだろうと思った。翌朝裏手の道を歩いたが、玄関があった様子はうかがえなかった。通りもひっそりとして裏路地といった様子である。


通された部屋は2階の次の間付きの12畳間で広々としており、中庭を見下ろせる。早速、館内を一通り巡ることとした。女将に我々の趣向や目的を伝えると、1階の2部屋を案内いただいた。いずれも中庭を優雅に見渡せる広縁を持ち、一つ目の部屋は座敷の傍らに施された一枚板の板の間に驚く。長年の宿泊客により深い光沢を放っていた。もう一部屋も茶室と見紛うほどの凝った造りで、元料亭というのがうなづける二部屋の風情だった。女将の話では、和田山に支社を置く大企業の役員が定宿にしていたとか。


1・2階間の階段には窓などに洋風のしつらえもあった。旅館建物の詳しい建築年は不明とのことだが、大正から戦前にかけてではないかと思われる。その後道路整備に伴い内外装を修繕したが、1階の部屋や階段などに建築当時の姿が残されているのだろう。改めて見ると、あちこちの窓で歪んだ窓ガラスが残されていた。


夕食は小鍋や天婦羅、造りといった一通りの品々に地場の野菜を使った料理が並び、朝食も湯豆腐を始め品数も豊富で、廉価な宿泊費にしては十分すぎるものだった。特に朝食に力を入れられているという印象を受けた。


旅館は見た所ご主人と女将だけで運営されているようで、竹田城の観光に訪れる客の利用もあるようでまずまず繁盛しているのではという印象を持った。町を代表する老舗旅館として続いてほしいと願いながら後にした。

(2022.10.15宿泊)


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玄関付近にかかる昔ながらの看板



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玄関付近 年代物の靴箱が



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案内された部屋



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凝った構えの一階の部屋入口



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一階の客室 見事な一枚板が



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一階の部屋のしつらえ



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旅館裏手を見る かつてはこちら側に玄関があったとのこと



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洋風の雰囲気もある階段回り



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歴史を感じさせる窓の意匠



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宿の夕食(これに天ぷらが追加)



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宿の朝食


# by mago_emon3000 | 2022-10-29 13:13 | 近畿の郷愁宿 | Comments(0)