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木造4階「斉月楼」は温泉街の象徴-渋温泉・金具屋(後編)


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この見取図は古いものだがとてもわかりやすい




8代当主による館内案内が始まった。「斉月楼」には昭和初期に腕を振るった宮大工たちの誇りとこだわりがあちこちに散りばめられている。各階をつなぐ階段一つとっても、踊り場に建つと窓の意匠、階段の手すりや裏の網代の模様など、それぞれ同じものはない。中でも富士をかたどった踊り場の窓は見事というしかない。

斉月楼にある客室は2階から4階に各2・3部屋のみの全7室で、当棟指定のプランもあるようだが基本的に部屋の指定はできないというからどの部屋にあたるかは着いてみないと判らない。いずれにせよ金具屋の中でも際立って格式を持つ客室であり、真骨頂といったところだろう。

御客があるので客室内部の見学はできないが、廊下だけでもずしりとした見応えがあった。廊下を通りに見立て、客室はそれぞれ玄関を持つような造りとなっており離れの一室のような雰囲気を漂わせている。廊下にも凝った造りの柱や屋根がある。それらは長年の使用、そして日々丁寧に拭い清められているのだろう、飴色の光沢を放っており独特の空気が漂っているようだ。

職人たちは歯車が好きだったのか、床にもはめ込まれているし階段手摺にも見られた。これらは水車に使われていたものなのか、また何かの機械の部品だったのか、詳細はよくわからない。格式の中にも遊び心が感じられ、これも特徴の一つであり興味深い。


斉月楼1階には客室はないが、廊下は帳場から各客室、また大浴場に向う客の動線にあたっており、泊り客は何度も行き来することになる場所だ。ここにもこだわりが感じられた。軒を張り出した長屋風の造りが続き、天井は青く塗られている。屋内にありながら店舗の連なる町並を歩いているような気分に浸れるようになっている。そして店になぞらえたその中には古くから使われてきた看板・道具類が展示されている。「陸軍省指定旅館」といった看板も見られた。

館内ツアーは参加者が多く、当主の説明に耳を傾けるだけで精一杯の様子だったので、これらは翌朝改めてじっくりと見て回った。


■斉月楼館内点描

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踊り場の富士山の意匠




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光沢を放つ階段




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壁に歯車の意匠が




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歯車は床にもはめられている




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こちらは長い一枚板の廊下




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客室の佇まい



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1階廊下は店舗が建ち並ぶ町並になぞらえた造り 青い天井は空を表すという




ツアーが終ると夕食の時間が迫っている。我々の席は「飛天の間」の最も奥に位置し、床の間に面した落着ける場所だ。さすがにここでは部屋食よりこちらで頂くのが良い。折上げ天井は高く開放的で、またその精緻な造りも見事である。むろん、食事内容も地元産の食材を出来るだけ使い、土瓶蒸しをはじめ品数多くいずれも美味であり、また使用される食器類一つとっても見応えがあった。


日が暮れて、改めて前の通りから旅館を眺めると、付近に人だかりがしている。多くは斉月楼に向け、スマホやカメラを構えている。「ここ(斉月楼を指して)に泊っている人もいるのか」という感想が聞かれた。宿付近より上流側を一通り歩いたが、外湯の湯めぐりの客など人の姿が目立ち、温泉街の風情が濃く感じられた。


翌朝は動画撮影などのため朝4時台から動き出すメンバーもおり、私も外泊先では早起きになるので昨日入れなかった大浴場に入ろうと「浪漫風呂」に向った。館内では最も有名な浴室で、正面向って一番左の「潜龍荘」という建物の1階にある。昭和25年に完成した浴場は窓などに洋風の意匠を取り入れ、ステンドグラスと円形浴槽、中央の丸く突き出した給湯口などが特徴で、ローマの噴水をモチーフにしたものだという。早朝ということで他に客はなく、じっくり味わうことが出来た。昨日入った「斉月の湯」はやや硫黄臭があったのだが、こちらは若干鉄分を含んだような入浴感があり、湯も少し濁りがあった。もう1箇所と、続いて斉月楼2階にある「子安の湯」にも入ったがこちらは昨日と同じ源泉のようだった。一人用のヒノキ風呂という極め付きの貸切湯で、昨夜最後の利用者から時間が空いているらしくぬるめだったので、新鮮な湯を蛇口から新たに投入して満喫した。

後で知ったが館内では「浪漫風呂」だけ源泉が異なっており、浴槽の地下3メートルから湧出する金具屋で最も古い源泉という。5つの貸切湯、男女入れ替え制の2箇所の大浴場、さらに露天風呂もあり、1泊の内で全てを制覇するのは相当気合をいれないとなかなか難しいだろう。1部屋ごとに内装の異なる客室、さらに9箇所の外湯を含め、金具屋そして渋温泉を把握しようとすると、かなり通わないと難しいようだ。


大広間での朝食後、例年なら各自の予定に向け早々に宿を発つことも多いのだが、今回はさすがに名残惜しいか9時半出発としそれまで自由ということになった。私は再度館内を散策・撮影した後、旅館前にある9番目の外湯・大湯に入った。温泉地内の旅館に宿泊すれば、外湯にも無料で自由に入ることが出来るのである。ここの湯も金具屋が管理しているとのことで、湯は浪漫風呂と同じく鉄分を含んだ濁り湯だった。特徴的なのが脱衣所脇に源泉の蒸気を利用した蒸し風呂があることで、サウナの苦手な私は少し入るだけにしたが、天然の蒸気と湯気でサウナよりは柔らかい入り心地で、薬効もありそうに感じた。


最初に温泉街を歩いてその佇まいに感銘を受け、泊りたいと思い続けて12年。それが同士の面々との1泊という形で叶ったこともあり、今後とも強く印象に残る一泊になることだろう。

(2024.06.01宿泊)




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夕食の膳



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浪漫風呂 洋風の内装だ




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貸切湯・子安の湯




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神明の館屋上の露天風呂




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朝食




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# by mago_emon3000 | 2024-06-29 17:47 | 関東・信越の郷愁宿 | Comments(0)

木造4階「斉月楼」は温泉街の象徴-渋温泉・金具屋(前編)



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長野県北信地域は数多くの温泉地があり、志賀高原への入口に当たる付近には湯田中渋温泉郷と呼ばれる9箇所の温泉地からなる温泉地群がある。以前、湯田中温泉の小さな旅館には泊ったことがあり、その時には夕刻、渋温泉の町並を一通り歩いた。伝統的な旅館が多く建ち並び、土産物屋などとともに古い町並を構成していた。外湯巡りの客などで温泉街は大層な賑わいで、中でも中心付近にある「金具屋」の佇まいは温泉街を象徴する風景として、散策客が皆足を止めて撮影していたのが印象に残った。それ以来、いつかここに泊る機会は訪れないものかと事ある度に思った。


あれから12年が経過して今回、とうとうその「金具屋」に泊ることになった。私が所属している趣味のグループは、毎年この時期に宿泊しての定例オフ会を開催している。例年は元旅籠のような素朴なところを選ぶことが多いのだが、今回は20回目の節目である。運よくというか、今回は実質私が開催場所や日時の決定に主導権を持つ立場でもある。いつもよりは高級な所、有名な旅館での開催がよいのではとの思いが湧き、丁度開催予定日付近に空室があることも後押しして、晴れて金具屋での開催が決定した。


湯田中渋温泉郷には中小規模の旅館も多く、一人客を受け付けている宿も多いと思われるが、ここはやはり二名以上が条件のようだ。そのこともあり、この定例会で誘導できないかと以前より画策していたのである。それにしてもどの宿であっても、志を同じくする面々と伝統的な旅館に泊る機会があるということは、私の趣味的にもとても貴重なことだ。


旅館の略歴をざっと記すと、1754(宝暦4)年にこの地区を襲った土砂崩れにより、敷地内に温泉が湧いたことで、鍛冶屋から旅館へと転身したのが創業のきっかけであり、まさに老舗である。創業当初は「金具屋平四郎」という屋号だった。前身が金物を扱っていたことによるのだそうだ。

明治から大正には上州との国境を控えた宿場的な役割もあり、どちらかと云うと湯治宿といった形での営業を続け、昭和のはじめに湯田中駅が開業すると、観光客も多く訪れるようになった。そこで地元の宮大工たちが全国各地の建築を見て歩き、着手したのが旅館敷地中心にある「斉月楼」の建設だった。7年の歳月を経て昭和11年に奥の大広間棟とともに完成した。戦後の団体旅行隆盛期を迎え、大型旅館であった金具屋は大口団体客も多数迎え入れた。高度成長期以後、多くの木造旅館はホテル型旅館に建て替わっていった中、木造4階の旅館建築が現役で使われているのは大変珍しい。良くぞ取り壊さず残されたものだと感謝を示したい。斉月楼と大広間の棟は登録有形文化財となっている。


客室のあるのは斉月楼を含め4棟あり、我々の案内されたのは1階に玄関とロビーのある「神明の館」という戦後に建てられた最も新しい棟であった。しかし、旅館内には一つとして同じ間取りの部屋がないとの情報の通り、二部屋あてがわれた部屋はそれぞれ印象が異なるものだった。一方には次の間というか小さな茶室のような小部屋があり、遊び心の様なものも感じる。温泉街に面しており、広縁の椅子に座ると散策客、外湯の中で一番有名な「大湯」のたたずまいなどを見ることが出来る。


17時半から館内の見所を旅館の方から案内を受ける館内ツアーに参加することにしており、その前にひと風呂浴びておきたいとの思いもあって中々忙しい。というのも館内には二つの浴場と5つの貸切湯、露天風呂がありそれぞれ趣が異なるからだ。貸切湯は空いていれば鍵を掛けて自由に入れる形になっているが、お客の思いは同じようで、空いている所は少ない。偶然ご夫婦が出て来られるのを見て入れ違いで入った「斉月の湯」は、木船を模した浴槽に富士山のタイル画が見事で、暫し独泉を楽しんだ。

それにしても、旅館内の建物配置はどのようになっているのだろう。部屋を案内いただいたときに大浴場の場所など簡単に説明を受けたが、階の移動以外にも不意に階段が現れたりして今どの位置にいるのかが把握しにくい。空いている貸切湯を探しているときにその辺を探ろうとしたが、迷いそうなので部屋に戻った。館内ツアーを受けると、少しは理解できることだろう。


ツアー希望者は大広間棟の最上階「飛天の間」に集合することになっている。そこは8階と呼ばれているが、棟自体は三階建である。客室棟が4階までで、5階は何故かなく大広間棟の1階部分が通しで6階と呼ばれている。大広間棟の建っている位置が斜面を挟んだかなり高いところにあり、客室棟からはあたかもその上に建っているように見えるためそう呼んでいるようだ。

3階に上って廊下伝いに少し歩くと不思議や不思議、エレベーターがあって7階までつながっている。最初どのようになっているのか判らなかったが、客室棟の裏にRC造りのエレベーター棟ともいえる構造があるようだ。最上階に着くと渡り廊下があり、そこから先が大広間の棟の7階となっている。

8階へ向う階段は手すりからして何だか個性的で、さまざまなものにこだわった色が感じられる。壁には巨大な絵画もある。何とも凝った空間ではないか。


大広間には既に予想よりも多くの客の姿があった。やはり、せっかく伝統的な旅館に泊るのだからその粋を見ておきたいとの思いがあるようだ。やがて8代目ご主人が130畳もの広さを誇る大広間「飛天の間」の成り立ちをはじめ、階段や踊り場の意匠などの説明を始めた。

(2024.06.01宿泊)


―後編に続く―



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昼間の旅館正面 奥が斉月楼 右手前が玄関のある神明の館




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建物配置を理解するには川の対岸から見るのが一番わかりやすいかもしれない。中央の朱色の屋根の建物が大広間のある棟、手前の屋号の見える建物にエレベーターがあり、その左下に斉月楼が見える




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ロビー奥の休憩室(斉月楼の1階)




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休憩室横の廊下には旅館で使っていた古い看板などが




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案内された部屋 二部屋の内一つには茶室調の次の間が




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部屋から見る温泉街 共同湯・大湯が望める




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夕食前に入浴できた貸切湯・斉月の湯





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同一階でも建屋の境などには不意に階段があったりする




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大広間に向う渡り廊下




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大広間の棟7・8階間の階段 凝った意匠があちこちに



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大広間「飛天の間」130畳の広さを誇る


# by mago_emon3000 | 2024-06-23 20:33 | 関東・信越の郷愁宿 | Comments(0)

旧中山道沿いに120年の歴史を持つ老舗温泉宿-下諏訪・鉄鉱泉本館


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鉄鉱泉本館のある中山道の坂道

江戸方から上州路を経て、難所碓氷峠を越え信濃路に入った中山道は、浅間山を仰ぎながら芦田宿、長久保宿、和田宿を過ぎると再び難所・和田峠を越える。その先にある下諏訪宿は甲州街道との合流点であると同時に、豊富な温泉が湧くところで、難所続きの旅人はその賑わいに触れ、身体を癒したことだろう。

現在も旧中山道沿いには本陣の建物や旅館街が古い町並を残し、信濃国一宮である諏訪大社下社(春宮・秋宮)もあり観光客も多く訪れるところである。

二つの諏訪大社の中間、中山道沿いの坂道に温泉旅館「鉄鉱泉本館」がある。隣には共同浴場・旦過の湯があり地元客を中心に入浴客の訪れが絶えない。温泉街の中心といってよい場所である。


玄関を潜ると無人の様子だったが程なくしてご主人が出て来られ早速部屋、風呂など手早く案内いただく。上がり框にはスリッパが一足しか用意されていなかったので、もしや貸切では?と思ったが、既に到着済の御客があるようだ。ただし、浴場は複数あるので案内された奥の建屋の岩風呂は、今から明日朝まで私専用の温泉である。


部屋は玄関棟から階段を昇り一つ奥の建屋に入り、そこからさらに急な階段を三階に上がったところであった。情報によると、表側の中山道に沿う部屋は格式極まるようだが、先客が利用されているらしい。しかし、入口の引き戸を開けると四畳ほどの間を挟み畳も新しく入れ替えた八畳間、床の間などの意匠は簡素ながら居心地はよく、十分である。それにしても、中山道沿いから旅館正面を見た感じからは想像がし難い複雑な建て方のようだ。奥の建屋からさらに左側にも階段があり、風呂や食事場所はまた別の階段を経由するようになっている。


食事時に料理を運んでこられたのは女中さんかと最初思ったが、恐らくご主人の娘さん(若女将?)ではないかと思う。何しろ今日の客は私ともう一人の女性客だけなので、丁寧に料理の説明をいただくついでに色々旅館のことをうかがうことができた。


  ・創業は明治37年、それ以前より旅籠業をされていたといい、今の玄関のある棟は当時のままである。

  ・私の泊っている部屋は築80年、さらに昭和後期?に増築されたRC造りの新館がある。

(翌朝、建物の裏に廻ってみるとその様子がわかり、私の泊った部屋部分のみが三階建てになっていた)

鉄鉱泉という屋号は、初代の女将が創業前に町の山間部にある毒沢鉱泉の宿で湯を扱う役をしており、温泉成分から俗に鉄鉱泉と呼ばれていたことから、新たに町中に温泉旅館を立ち上げるにあたり、鉄鉱泉と名付けたとのこと。


料理は一言でいえば大層なものであった。まず驚いたのが一品ずつコース料理風に供される形式だったことで、地物産の材料に徹底的にこだわり、メニューによっては創作感もある。ご主人のこだわりの品々なのか、女将ご不在とのことで若女将がこしらえたのか、又は専属の料理人でもいるのか、その辺りは良く判らない。しかし、この旅館の構えに似つかわしくないといえば失礼だが、ちょっとしたレストランのようにBGMも流れているではないか。実際の所、この食事だけでも商売できるように感じた。

馬刺しを入荷しているがどうかと到着時にご主人に聞かれ、いただきましょうと返事しておいたのも良かった。冷凍ものではなく実にまろやかな舌触りで、ビールに始まり諏訪地方の地酒、塩尻ワインと追加した酒類との相性も抜群だった。


もちろん温泉も到着後、就寝前、未明と三回味わい満足の1泊となった。「旦過の湯」と同じ源泉のものが引かれ、熱めの湯がかけ流され新鮮そのものであった。

書くタイミングを失ったが最後に記しておきたいのは、旅館の玄関を潜った時の重厚感、格式高い感じが見事なものということだ。旅館について最初に眼にする旅館内の風景だけに、非常に印象に残る場所だ。立派な木目の1枚板を用いた床材、高い天井には黒光りする梁材、階段奥に目立たないように配慮された受付部分。ご主人以下が到着した客に落着きと格式を感じてもらうように配慮されたさまが感じられる。


旅館周辺には、他にももと宿泊施設だったと思われる建物が見られた。丘の上の街道沿いには幾つか旅館が見られるが温泉地全体としての状況はどのようなものなのだろうか、若女将の話によると中山道を歩く趣味の方々の利用もあるといい、和田峠を越えてちょうどここらでという具合になるのだそうだ。長く続いてほしいものと願いながら後にした。

(2024.05.31宿泊)




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旅館正面



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玄関先のこちらも温泉



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玄関を入り見る風景




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二階への階段から玄関方向




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案内された三階の部屋




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裏側の道から見ると三階部分、増設の新館の様子が判った



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貸切で利用した温泉浴場




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コース料理的に運ばれる夕食の品々 馬刺は追加したもの




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朝食



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昭和的な案内標識と防火扉の文字 結婚式場もあるようだ




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# by mago_emon3000 | 2024-06-16 17:57 | 関東・信越の郷愁宿 | Comments(0)

数々の著名人を受け入れてきた城下町の宿-高梁・油屋旅館


岡山県中部への出張が山陰方面への用務と重なって泊り掛けになり、それではと思いついたのが高梁市にある「油屋旅館」への宿泊であった。高梁では最も歴史深い旅館で旅籠としての営業は江戸期にまで遡り、城下町、高梁川の川運などで発展した町一番の宿泊処として知られていたようだ。

明治期には一時他業に転業された時期もあったが、明治末期から油屋旅館として営業を続け、昭和に入ると歌人与謝野鉄幹・晶子夫妻、映画やドラマの撮影時には監督や俳優などが泊るなど多くの著名人が利用した。昭和46・58年には「男はつらいよ」シリーズでここ高梁がロケ地となり、宿舎として利用されたそうだ。


旅館は国道180号沿いに建っているが今の玄関側はもともと裏手であったという。木造三階の棟と玄関のある二階屋で構成され、三階屋や油屋旅館創業当初からの建物である。なお三階部の客室は消防法の関係で現在使用されていないようで、主に二階部分が客室に提供されている。

当旅館は鮎料理で知られ、夕食には必ず出されるとのことだが、今回は出張での利用であり宿泊料金を考慮して朝食のみとさせてもらった。高梁の町自体が鮎で有名とのことなので、いつか観光や探訪で再訪した時にぜひ味わうことにしたい。


17時過ぎに到着したが駐車場らしきものが無いので玄関を潜ると女将が現れ、乗ってきた乗用車を玄関内に入れて停めよとのこと。厳かな玄関先に何やら恐れ多い気がするが、それに従うことに。ただし、天井には燕が巣を作っており駐車場所には少々注意する必要がある。

玄関を入って右の応接室か休憩室の様なスペースにはロケ時の写真などとともに「岡山県庁指定御旅館」と旧字・異体字を交えて記された看板、その横には「学生及未成年者の出入を堅く御断り申候」と書かれた標識板が飾られている。いつの時代のものかわからないが酒を供する施設だからだろうか。その上には長い槍が3本ほど掛けられていた。何に使われたものかは聞きそびれたがそうした歴史を感じ取れる品々である。


応接室を抜けて中庭を見ながらしばらく進むと二階の客室に向う年季の入った階段があり、案内された道路側の客室に向う。広縁の椅子に座ってみると、城の白壁を模した川の堤防に遮られて高梁川の川面は見えないが、何だか優雅な気分になる。斜め向かいの部屋を見ると、本格的な床の間なども配備された格式の高い部屋であった。「男はつらいよ」のロケ時には渥美清さんがその部屋に泊り、私の泊った部屋には竹下景子さんが泊ったとのこと。

さらに玄関棟の方向に戻る形で進むと、床が一段高くなり左手には大広間があった。玄関の真上の部分である。


当日の泊り客は私だけで、夕食を外で済まして戻ると玄関先の屋号を記した灯籠に灯がともって風情を醸していたが、館内で灯りが付いているのは私の客室のみであった。風呂や水回りは快適なように改装され、朝食のみであれば1万円以内と比較的気軽に泊ることもできる。道路沿いの客室は窓などに防音の配慮がされているため、若干気になる程度で想像よりは静かに夜を過ごすことができた。


朝は7:30からとのことだが、用件のため少しでも早めにというと7:00には準備いただいた。少しでもゆっくりと味わってほしいとの配慮は有難かった。

(2024.04.24宿泊)




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旅館正面(国道向いより)




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玄関風景




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応接室に展示された看板類や槍




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案内された部屋




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斜め向いのやや上級な部屋




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三階へ向う階段




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階段の踊り場にあった鏡




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朝食




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食堂に飾られた雛人形




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食堂にあったこれは電話室か




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# by mago_emon3000 | 2024-05-19 18:18 | 山陽の郷愁宿 | Comments(0)

明治から昭和まで歴史の積み重ねが見られる老舗温泉宿-瀬見温泉・喜至楼


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堂々たる喜至楼本館の建物 右側の車両で隠れている建物が本館玄関棟



山形県北部の最上地域は新庄市を中心に、最上川とのその支流沿いの盆地に町が開ける。この付近は大小さまざまな温泉地が点在し、魅力的な旅館も少なくない。中でも支流小国川沿いに位置する瀬見温泉「喜至楼」は旅館好き、温泉好きな人々、とりわけ伝統的、レトロ宿好きな方面の間ではある意味有名な旅館である。随分前から宿泊を検討していたが、新潟方面から庄内地域を経由する行程の中で、ようやく組み入れることが出来た。いつもより気合が入っていたからか、数ヶ月前から予約を入れておいた。


温泉街は川の左岸に展開し、商店などの中に幾つか旅館が見られ、また共同浴場もあって温泉街らしい雰囲気を感じることが出来る。現代風の旅館もあるが、やはり老舗らしい構えを誇る喜至楼がひときわ存在感を放っている。中でも、角地にそびえる木造三階(一部四階)の本館の堂々たる姿は偉容というに相応しいものである。

旅館は大きく4棟で構成されており、正面玄関があり宿泊受付を行う別館、明治建築の本館、それに続き本館の玄関棟があり、別館と本館の間には別の二階屋がある。本館側の玄関は現在では使用されていない。本館・別館ではおおよそ一階分の段差があるため、階段でつながれている。その部分も複雑な建て方がしてあるため、実際は何棟であるのかはっきりしない。時代を経て複雑な迷路のようにも感じ、1泊では全容はつかみがたい。なお本館玄関棟は明治元年築で、県内では最も古い旅館建築と云われている。


案内された部屋は本館二階の角部屋で、話によるとここが最も人気らしい。私は本館を指定しただけで特に部屋の要望はしていなかったが、予約が早かったので割り当てられたのだろうか、いずれにせよ幸運なことだ。部屋の意匠は比較的簡素ながら窓外には温泉街と川の流れ、対岸を行く陸羽東線の列車も眺めることができる。

一通り館内を確認したところ、本館2・3階のほか、別館にも多くの部屋があり、全体では少なくとも100人は宿泊できるのではと思われた。大口団体旅行隆盛の頃には、さぞにぎわいを示したに違いない。現在、新庄市内の自動車学校の合宿場としても利用されているようで、夏休みなどのシーズンにはどれ位受け入れるのかはわからないが、従業員の人数からしても今は縮小して営業されているようだ。しかし、これだけの規模の建物の維持だけでも一苦労ではと感じる。



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本館玄関棟方向から本館を望む



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別館の建物 玄関左の円形に張り出した部分が朝食会場でもとダンスホールだったという




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宿泊受付を行う別館フロント付近 旅館全体で最も新しい部分である



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別館から本館に向う辺りは複雑な建て方となっている



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本館二階の泊った部屋の様子



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泊った部屋から本館玄関棟方面(翌朝撮影)



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本館側の玄関(現在は使用されていない)



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本館の階段と廊下



次にはやはり温泉である。むろん、この温泉も楽しみの一つである。というのも館内には個性的な多くの浴室があり、いずれも現代風に改修されることなく使われているからだ。特に本館一階の「ローマ式千人風呂」は円形の大きな浴槽が特徴で、千人はオーバーとしても100人程度は入れそうに思える大浴場である。時間により男女入れ替えとなっており夕方は女性用となっているため、まずはその隣の「あたたまり湯」に入ることにした。楕円形の小さめの浴槽で、縁に丹念に貼られたタイルに趣を感じる。これはこれで落着く最初の一浴だ。源泉温度は60℃を超える熱い湯で、沢の水で温度調整を行っているとのこと、あたたまり湯ということでやや熱めに設定されている。


夕食は、別館横の二階屋でいただくことになっている。この部分にある客室が今は食事処となっているようで、個室なのでじっくりと味わうことが出来る。内容も期待を超えるものであった。分厚い馬刺し、蟹の出汁でいただく小鍋、アユの塩焼、豚肉のしゃぶしゃぶ風、山菜数種・・・それにとろろそばや汁物が続く。他に国産牛のステーキ付きの献立などもあるようで、食事内容には力を入れられているようだ。


食後腹が落着いたところでローマ式千人風呂に向う。開放感のある広い浴場、この存在だけで旅館が大勢の団体客などで賑わっていたことを証明している。柱のタイルが剥がれていたり、年季と温泉の成分の影響か一部変色したりしているのもそれはそれで風情がある。ぬるめの湯なのでじっくり浸かり、また終始「独泉」状態だった。当日は10名ほどの客と2名の教習合宿生といった宿泊陣容であった。

ローマ風呂は翌早朝も朝風呂として入った。朝の時間は男女別がなくいわゆる混浴となっている。湯上りに朝日に明るみが兆した浴場前の廊下を見ると、これもまた実に渋い風情ではないか。


朝食はフロント横の部屋が会場で、ガラス張りの明るい雰囲気だった。帰ってから得た情報によると、この部分はかつて「ダンスホール」だったのだという。団体客、社員旅行客などが主体だった頃の名残であろう。夕方になると各方面からのバスが発着し、陸羽東線を利用する個人客などもあっただろうし、往時の賑わいは如何ばかりかと思いを馳せるに十分なものがある。


朝改めて館内を見て回ると、装飾品や備品、案内看板などが以前のまま配置、掲示されている。あえてそのままにしているところが良いのだろう。どこか潔さに似たものを感じる。一方で廊下や階段は光沢を帯び、日々の清掃が行き届いていると感じた。別館の一隅に「オランダ風呂」と名付けられた浴室を発見したので、そちらにも入りに行った。窓が大きく明るい浴場で、無人のぬるめの湯に浸かっていると、外からは早くも蛙の鳴き声が聞こえてきた。


最後に外から一通り旅館建物を見ると改めてその複雑さを感じ、明治初期の本館、大正、昭和に入ってから建築された別館と、長きにわたり建増しが重ねられ歴史の重積が感じられた。それだけでも文化財級と言っても言い過ぎではない。設備云々と言われる方は向かないかと思うが、温泉が好きで伝統的な旅館の感じが嫌いでない方にもっと泊りに行っていただきたいと思った。

(2024.04.13宿泊)


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本館1階 ローマ式千人風呂とあたたまり湯がある



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あたたまり湯(男女別)




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別館の廊下 旅館の以前の写真などが掲示されている




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夕食をいただいた部屋 客室の一部を利用し個室で提供される




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夕食




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ローマ式千人風呂




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別館のオランダ風呂




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本館にはふかし湯と書かれた扉があったが使われていないようだ




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朝食




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館内に昔ながらの案内板や注意書きなどがあるのも風情を感じる




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# by mago_emon3000 | 2024-05-05 17:46 | 北海道・東北の郷愁宿 | Comments(0)