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犬養元首相も宿泊した創業140年の宿―大和桜井・皆花楼


大和盆地の南東隅に位置する桜井市は南側の吉野地域、東側の宇陀地域の入口にも位置しており、街道の要地でもあり古くから随分栄えた所だ。

駅前から数分のところに創業140年を誇る老舗旅館「皆花楼」がある。老舗ということとその旅館名から格式高い佇まいを想像してしまうが、細い路地に面したつつましい姿である。小さな趣のある門をくぐると左側に玄関のある棟、少し控えた位置に主屋、右に離れと続いており、それらに囲まれ手入れの行き届いた庭がある。各部屋から庭が見渡せるような造りとなっていた。屋根を葺き替えた時に瓦に明治12年の刻印があったとのことなので、主屋は創業当時からの建物である。

玄関上のこじんまりした部屋に案内された。当日はもう一組お客がいるとのことだがまだ到着されていないので、簡単に館内を案内していただいた。主屋二階部分が最も良い部屋らしく、10畳間くらいの座敷にこの旅館の歴史を語るものが色々残されていた。象徴的なのが犬養元首相の直筆の書だろう。著名な書家・辻村史邑の書も掲げられている。元首相は何度か宿泊した記録があるとされ、政界・財界人をはじめ文人墨客の宿泊があったことは、この旅館の格式を感じさせるとともに桜井の町がいかに反映していたかを伝えるものであろう。

玄関から一番遠い位置にある主屋は12階ともに客室となっており、ゆったりした間取りから庭を存分に眺めることのできる造りになっていた。

かつては料理旅館をうたっていたとのことで、なるほど主屋二階の廊下の窓などに凝った意匠が見られ、贅を尽くしたという言葉も思い浮かぶ。この廊下ここを利用できたのはごく一部の裕福な客だったのだろう。

(現在はかなり低価格で宿泊することができる)

夕食・朝食は主屋1階、こちらは庭との間に廊下が巡っており、元客室ではないかと思われた。このように各部屋にはそれぞれ個性があり、客層や人数などに応じて使い分けられているようだった。

やや残念といえるのが、旅館の周囲の風景が駅前のビルや駐車場などで、風情満載の館内といささか釣り合っていないことだ。もっともご主人によると現在門のある位置は旅館の裏口だったそうで、南側の旧伊勢街道沿いに玄関があったのだという。今真っ先に眼に入る端正な庭は裏庭だったわけだ。通りから見える旅館の姿が今一つ控えめで写真映りが地味なのも、そのような理由からだろう。それではと翌朝伊勢街道沿いに廻ってみたが、かつての玄関は完全に塞がれたらしく面影は残っていなかった。

2020.9.19宿泊)



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旅館正面の門と門から見た旅館棟 玄関から続く主屋 右手に離れと続く




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中庭を望む




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泊った部屋 玄関上のシンプルな部屋だった




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主屋二階部の部屋




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主屋二階の犬養元首相の書(反射して上手く撮れないため旅館のサイトから拝借)



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主屋二階の書家・辻村氏の書




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離れ一階の部屋




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主屋二階の小間の続く一角 料理旅館らしい姿を残している




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小間の戸や窓周りには凝った意匠が見られる




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一角には招き猫の額が



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# by mago_emon3000 | 2020-10-18 15:44 | 近畿の郷愁宿 | Comments(0)

もとは旅館だった秘湯-庄原市・高尾の湯

庄原市とはいいながら市街地からは程遠い旧西城町の外れに篠原温泉という温泉場があるとの情報をふとしたことから得た。温泉街は形成せず、「高尾の湯」という日帰り施設のみという。確認すると芸備線と木次線の分岐駅である備後落合駅から国道を少し走った位置にある。こんなところに温泉などあったかなと思いながら別の目的も併せて訪ねることにした。

小さな標識を頼りに向うと、広い砂利の空き地の先に赤瓦の建物が見えた。小さな建物で駐車場?の広さと不釣り合いにも感じる。

年配の女性一人が受付と湯の管理を行われているようで、私が今日初めての客らしくこれから湯を入れるとのこと。見るとタイル張りの趣のある浴室で、昔の我が家といった感触を抱いた。湯はそばの渓流沿いから湧いているとのことで、それを沸かしているとのこと。火傷や皮膚病、胃腸病などに効能が高いとされ、昔から地域の方々に親しまれていたようだ。

PH11余りもあるとのことだが肌触りにそれほど特徴はなく、かすかに硫黄臭が感じられる。

浴室は男女別にひとつずつだが私しか客がいないので隣の女湯も確認してみた。こちらは窓の下に渓流が見え、川音を耳にしながらの湯浴みができる。

この「高尾の湯」は元旅館だったそうで、玄関側からは2階に見えるが、浴室が地下に降りたようなところにあり三階建てとなっている。受付のある1階と2階には客室があったらしく、現在は休憩室として利用されている。部屋の襖の意匠、木製の急な階段などに古くからの旅館らしい佇まいを残していた。受付の女性はもと女将として、宿を切り盛りされていたに違いない。

元女将は少し足腰が弱られているようで、少しでも続いてほしいものだ。また近くを通った時には寄っていきたい。(2019.09.23訪問)



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「高尾の湯」の正面



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浴室は階段を下りた半地下のような位置にある



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タイル張りの浴室 外光も良く入り明るい雰囲気だ



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隣の浴室(当日は女湯)の窓からは美しい渓流が見下ろせる



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旅館だった名残も見え この部屋は現在休憩室として利用されている



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旅館時代を思わせる急な階段


# by mago_emon3000 | 2020-10-10 14:24 | 山陽の浴場 | Comments(0)

大正2年創業 地区では唯一の貴重な宿―下関市豊田町・開月旅館


下関市東部の小月地区で瀬戸内海に注ぐ木屋川の中流域、豊田町は古くから市が開かれ、西市という地名もある。響灘方面と日本海方面からの街道がここで合流し、宿場町としても栄えたそうだ。


そんな町の一角に、大正2年創業という「開月旅館」がある。木屋川の流れに面し、石州瓦系の赤瓦屋根、二階部分に控えめに屋号を掲げた姿は一見して昔ながらの旅館という佇まいであった。


玄関に入ると毛筆の書が掲げられており「開月楼」と書かれている。七十年輩と思われる女将さんによると、戦前までは料亭も兼ねていたとのことである。入口のすぐ上の壁には昭和6年当時という宿泊料金表が残されており、地味ながら老舗であることを語り継がれている。天井の太い梁も見事だった。聞くところによると玄関はもともと橋に向う道側にあったが、橋の架け替えなどによって道路がかさ上げされ、現在の位置に作り替えたのだと。なるほどもと玄関があった部分では路面が随分高い位置にある。このような話からも、この旅館の歴史の長さがうかがえる。


案内された部屋は玄関からは一番奥、二階の川に面した角部屋だった。この旅館では最も良い部屋と思われ、立派な欄間や床の間もあり格式を感じさせた。階段の手すりなどは昔のままの一方、内装は更新されており今の宿泊客にも快適に泊まられるように配慮されていた。小ぢんまりした外観だが、一通り見てみると結構な部屋数があった。風呂は家庭風呂のようなシンプルなものだったが、別にシャワー室も設けられていた。用務客のほか合宿の学生などの利用もあるという。


そんな客層のためもあってか、料理も十分な質・量のあるものであったのに廉価な宿泊料金であり、満足の宿泊となった。

当日は女将さん以外宿の人を見なかった。当日は出張での宿泊で、同行者一人との計2名のみしか客がいなかったが、合宿客などがある時には何名かで対応されるのだろう。


以前は他にも何軒か旅館があったというが、今はこの「開月旅館」のみになったという。今回は仕事の傍らでの宿泊だったが、ここに泊ると非常に便利な位置にあった。細々でも宿泊需要はあるように思う。末永く続いてほしいものと思いながら宿を後にした。

2020.08.31宿泊)


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開月旅館の外観(木屋川側より)



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開月旅館の外観(正面玄関側より)



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玄関の風景 女将さんによると廊下の部分はかつて通り庭(土間)だったらしい



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玄関の立派な梁組



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昭和6年当時の宿泊料金表



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「開月楼」の書 



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泊った部屋の様子



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階段の手すりや木製欄干などは建築当時そのままである一方 廊下の板などは張り替えられている



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夕食



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部屋にあった衣桁には鶴の意匠があった


# by mago_emon3000 | 2020-09-22 13:54 | 山陽の郷愁宿 | Comments(0)

自家源泉を持つ創業当時からの木造三階の旅館―玉造温泉・湯元玉井館


玉造温泉は三朝・皆生温泉などとならび山陰では有名な温泉地でありその歴史は奈良期に遡るという大変古いものだが、団体客に対応した大型な旅館が多く、温泉街の風情といった観点ではやや淡いものがある。

そんな中に温泉街中心を流れる玉湯川に玄関を向けて建つ木造三階建築の「玉井館」がある。付近には知名度も高い立派な建物の旅館もあるが、こちらは部屋の前が樹木に覆われていることもあっていかにも小ぢんまりとした風情である。玉井館には温泉街入口付近に大型旅館建築の別館もあるが、むろん私はこの本館を選択した。


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玉井館の外観




女将さんに迎えられ、一息ついたところで早速この旅館の建物はどのくらい経つのかと問うた。「創業当時からの建物で110年以上になる」ということで正確な年次についてはあいまいな答えだった。あるいは従業員の方だったので正確に答えられないだけだったのかもしれないが、このような旅館で思うのが老舗であることをあまり強調されないことが多いということだ。旅館名と創業年などと打込んでネットで検索しても、確認できることは少ない。とは言いながら110年余となると明治末期頃であるから、相当な老舗であることは間違いない所である。

館内を一通り歩いて気付いたのは、共用部分は現代の宿泊客にも快適なように改装されている一方、古くからの物も大切に扱っていることだ。一例をあげると部屋のロッカーに年代物の箪笥が使われている。床の間の意匠や廊下の木製欄干なども建築当時のままのようだった。主張はしないものの老舗旅館であることが伝わってくる。

2つの浴室前の廊下に橋の意匠があるのも印象的であった。以前は遊興的色彩を帯びていた旅館なのだろうか。そのような想像を抱かせる。「湯元」と銘打つだけあって一つは地下から湧く源泉が掛け流された半地下構造の浴室、もう一つは露天風呂付の浴室となっている。当日他に二組の客があったようだが到着後、寝る前そして朝も独泉状態でじっくりと温泉を味わうことができた。

出張の傍らの宿泊であったので、食事は朝食のみとしたが地元の仁多米を直火の小釜で炊くなど手の込んだものであった。これならそれなりの宿泊料であっても納得だろう。そう思わせるものは他にもあって、フロントにビールサーバーが置いてあり、夕方は飲み放題となっていた。この時期には嬉しいサービスである。食後のデザート(アイス)もセルフサービスであり、部屋の冷蔵庫には冷水の入ったボトルが入っている。小さなことではあるがこういうサービスがあったらよいと思わせる所であり、印象の向上につながるものだ。

玉造温泉は昨年春にも大型の旅館に泊った。大きな露天風呂や豪華な夕食もあり満足ではあったが、一方でそこでは味わえない歴史や風情を感じ取ることができ、また別の満足を得ることができる。今やこの温泉街にあって貴重な宿といえよう。

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泊った部屋 外側のこのスペースがあるのが有難い


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旅装はこの古ダンスに




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玄関付近は近代的に改装されている



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一方通路などを見ると古いものを温存し大切にされているのがわかる



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浴室前の廊下には橋の意匠が



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源泉が掛け流される半地下の浴室



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# by mago_emon3000 | 2020-09-05 15:03 | 山陰の郷愁宿 | Comments(0)

甲武国境近くの民宿-三富川浦・民宿日の出荘

山梨県から埼玉県の山あいにかけて辿る探訪を計画し、初日の宿泊場所に少々迷っていたところ、この「民宿日の出荘」を見つけて予約した。甲府盆地と埼玉県秩父地方を結ぶ国道140号からほど近い。選んだのは日程上ちょうどよいという理由だけであった。

宿は「川浦温泉」のあるあたりから急な坂を上った集落にあるという。訪ねたのは9月下旬、日が随分短くなっており甲府盆地周辺の探訪を終えると薄暗く、集落の道を右往左往しているうちに、「日の出荘」の小さな看板を見つけることができた。それにしても、外観は一般の民家そのもので玄関先に小さな看板がなければ、なおもうろうろすることになったかもしれない。

子連れの客があるのか、玄関に向うなり子供の騒ぐ声が耳に入ってくると、何だかよそ様のお宅に闖入してしまったようだったが、お婆さんに部屋を案内されてようやく宿屋なのだという感触になった。玄関に入るといきなりピアノが鎮座しているのも民宿らしい。

建物は古いもののようだったが、内装は古さを感じなかった。ある時期にリフォームされたのだろう。しかし見た所客室は5室以上はあり、外見以上に大きな建物のようだ。田舎のお宅はこんなものなのだろうかと思う。なお風呂は、麓の「川浦温泉」にある共同浴場に入ってから訪ねたのでどのようなものかは知らない。

夕食は旅館並といっても良いレベルで、鹿肉、鮎の塩焼きのほか猪鍋も出てきた。看板に「いのぶた料理」との文字もあったので、豚との掛け合わせであるイノブタ肉だったのかもしれない。いずれにせよ地物を中心とした献立で、この料理内容で料金は6,000円余りだったと思う。

翌朝、朝食前に付近を散策すると斜面上に見応えのある集落風景が広がり、この宿もそんな中にあるのに気付いた。前日は暗くなってから着いたので様子がわからなかった。近くに最近重伝建地区となった上条集落があるが、それにも匹敵するような集落だった。

宿のお婆さんも客に過度に干渉することなく、逆にこちらの質問には親切に答え、このような対応が一番よいと思えた宿泊だった。

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民宿日の出荘の外観



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玄関先の風景 ピアノが置いてあった




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泊った部屋



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鹿肉・猪肉鍋なども盛り込んだ夕食



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看板に「いのぶた料理」の文字が(これは道端などに掲げられていて外されたものだろう)



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宿の周辺には見ごたえある山間集落が展開していた


# by mago_emon3000 | 2020-08-30 16:36 | 関東・信越の郷愁宿 | Comments(0)