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道後温泉本館裏にひっそりと佇む築100年超の宿-常磐荘


全国一有名な共同浴場というと、道後温泉の本館が真っ先に挙がることだろう。格式高いその構えは風格十分で、訪れる多くの人々が利用し夕方などは入場制限がかかるほど人気高い。

入口・受付は商店街の出口に面し、周囲は常に観光客で賑わっているが、その反対側は店舗などもなく、打って変わって静かな雰囲気だ。そこから少し道を辿った左側に見える木造二階建の古びた建物が目指す「常磐荘」大正9年創業・建築の建物である。

この旅館のことは随分前から知っていて、観光地的な大型旅館が主体の温泉街にあって逆に目立つ存在ともいえた。道後温泉自体は何度も訪ねた私だが、本館を利用したことがないのが引っかかっていて、この常磐荘に泊り本館の浴場と休憩室を利用してみたいと思い立った。


16時過ぎに玄関を潜ると、奥から60代位の女将(?)が現れ、二階の表通りに面した部屋に案内いただき館内についてざっと説明を受ける。最初に感じたのは建物内に古い旅館らしい雰囲気が淡いことである。女将によると、最近になって耐震化を含めたリニューアル工事を行ったとのこと。廊下の床や壁、天井は新しい建材に更新されている。部屋も一見古さを感じないが、太い梁など構造部分はそのまま残され、また通りに面した部分も以前のままだという。一番外側の窓の部分には「すがらないで」とのこと。よく見ると、室内や廊下あちこちにリニューアル前に使用していたらしい調度品、家具などが何の気なさげに置かれ、伝統的旅館であることを伝えていた。

改めて外から旅館建物を見ると、通りに面した部分はそのままとの言葉の通りほぼ原形のまま保たれ、伝統的宿としての威厳を保っているように感じた。


旅館には道後温泉本館と同じ源泉を引いた浴場があり、貸切で利用できる。建築当時そのままと思われる急な階段を下った先にあった。岩風呂風の旅館の規模に合致した風情ある造りで、混雑しているであろう本館を尻目に非常に落ち着くことが出来た。道後の湯はそれほど目立った特徴がない澄んだ湯のイメージだが、岩や床の所々には白い析出物が見られた。


夜は外で自由に食事をすることにしたが、朝は宿で頂いた。部屋出しなのがありがたい。名物じゃこ天をはじめ、手作り感の強い献立で満足した。ちなみに夕食は地魚などを使った会席料理が提供されるようだ。


場所としては本館の裏手にあたり、旅館前の道もどちらかと云うと生活道路で観光客の往来は思ったより少なく静かな夜を過ごすことが出来た。

内装が現代的に改装されている点で私にとってはやや不満足と言える宿泊となったが、この立地で流石に旧態依然のままというわけにはいかないだろう。大型旅館が主流のなかで孤軍奮闘といった風情を感じるこの宿が長く続いてほしいものだ。

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旅館正面全景




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玄関付近




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玄関付近(二階への階段)



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玄関横の現在使われていないスペース(左側は大広間)




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案内された二階の部屋




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部屋から道後温泉本館を望む




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外側の窓や天井部の梁はリニューアル前のままである



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浴室へ向う急な階段



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浴室




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朝食



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所々に見られる昔ながらの家具類や調度品


# by mago_emon3000 | 2025-04-27 10:44 | 四国の郷愁宿 | Comments(0)

隠れ家のような創業140年の宿-京都東本願寺南側・宿屋枳殻荘



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旅館全景


学生時代を過ごした京都の旅館に滞在しながら市内や郊外を探訪したいという思いは常にあって、定期的に実施したいと思う所だが、ここ8年ほどご無沙汰になっていた。何しろ京都市内の宿泊施設は、外国人観光客の急増で特にホテルの宿泊費高騰と言ったことが言われて久しい。また、宿も確保しづらいことから、大津市などへ代泊といったケースも少なくないと聞く。

そんなこともあって、市内の旅館に泊るといったことはなかなか叶わぬことと思っていた。しかも私のこだわりは、ホテルは除外、旅館タイプでも団体客中心の大型なものではなく、伝統的な構えの小規模な宿だ。それも町家を改装したゲストハウスといったものではなく、出来るだけ創業から旅館として続いている宿である。それで結構一生懸命に調べていたところ、正月明けの手頃な日にしかも比較的手軽な料金で宿泊できる宿を数軒見つけた。その中で、東本願寺の敷地の南側に接する位置にある「宿屋枳殻荘」に決め予約した。枳殻は「きこく」と読む。昨年10月頃のことだ。


場所は河原町通から少し西に入った閑静な所で、その佇まいは格式ある老舗宿というよりは、気安く泊まれる昔ながらの旅館といった風情だった。玄関先は打ち水がされ、清潔な暖簾が下がっている。白い暖簾には「接方来」と記されていた。

出て来られた女将さんに続きご主人の顔も見えた。この宿は、40代後半くらいと思われるこのご夫婦のみで切盛りされている。三代目とのことで、暖簾をはじめあちこちにある「接方来」という言葉は、お客に対する姿勢を示す言葉として先代から温められ続けてきた言葉なのだそうだ。時々旅館名に間違われることもあるという。

建物も旅館も140年と云うことで、今年から数えると明治18年になる。古い建物を大切にされ戦災にも遭っていない京都では驚かないが、それだけの間代々旅館として受け継がれた風情というものは、ホテルやゲストハウスでは感じることのできない特別なものがある。


旅館の屋号にある枳殻とは柑橘類の一種「カラタチ」のことで、東本願寺内にある渉成園・枳殻邸にちなんだ屋号で、前の通りも上枳殻馬場通と呼ばれる。ただし、読み難く通り名としても馴染みが今ひとつ薄いこともあり、河原町七条上ル西入ルなどと表記されることが多いようだ。

女将さんから滞在中のことなど一通り説明を受け、風呂場などの案内を受けるが、途中の廊下に朱色の橋が架かっているのに驚く。また階段には見事な彫刻も。先代がこだわりをもっておられたとのことで、廊下や階段の板材は建築当時のまま改装していないとのことだ。

その橋を渡り、階段を昇った左手にある部屋に案内された。小さな部屋だが、中庭に面し広縁から池が見下ろせる。内装も新しくはされているが落着きが感じられ、何となく隠れ家感がある。

風呂は岩風呂で広くはないが、部屋ごとの貸切制になっており希望した時間になると脱衣所から十分暖めていただいておりゆっくりと温もることができた。


翌日は宿に荷物を置いて、市内各方面を巡ることが出来た。出掛ける際、また戻った際には奥に居られる女将さんからお帰りなさいなどと声が聞え、温かく出迎えてくださった。細やかなところまでの気遣いが感じられ、しかしそれが過剰に感じることもなく、なんだかくすぐったいような気持にもなる。また、ゆかりのある町であることからの色々な話もでき、この宿を選んでよかったと心から感じることが出来た2泊となった。

基本素泊りでの宿泊だったが、最終日の朝食をいただくことが出来た。一階の廊下を通して中庭が見える部屋で、料理も全て手作りのもので女将さんの思いが感じられるものだった。


滞在中は年明け早々、中心市街地などは大変な人出で外国人観光客も多く雑踏していたが、この界隈はとても静かであった。二日とも他に数組のお客があったようだが、別世界のような静かな滞在を味わうことが出来た。

これまで記録してきた中でも、特にお勧めしたい宿の一つである。

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玄関先




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ロビーの風景 ここにも「接方来」の書が




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案内された部屋 中庭を見下ろせる




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一階廊下の朱塗りの橋




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階段脇には見事な彫刻が




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岩風呂




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朝食をいただいた部屋




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# by mago_emon3000 | 2025-01-19 12:26 | 近畿の郷愁宿 | Comments(0)

空襲に耐え奇跡的に残る建物は軍事施設でもあったー徳山・みぎた旅館


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「みぎた旅館」正面の風景



徳山は私が新社会人時代、数年間赴任したところである。既に30年前後が経過し、中心市街地から繁華街、商店街を一通り歩いたが、多くの所で様子が変わっていて、特に駅と駅前付近の面影は乏しかった。


今回ここに来た目的は当時の感慨にふけるためではなく、情報で得た旅館に宿泊することである。ふとしたことでこの「みぎた旅館」の存在を知ることになった。業務の客先の現地作業の行程表をたまたま見ていて、その宿泊先に記されていたのである。少し調べると伝統的な旅館のようで、それでリストに挙げることになった。それにしても、当時住んでいたマンションからは大通りを挟んで向い側と言っても良い位置にあり、玄関や看板は裏道にあるとはいえ、まったく認識がなかった。

しばらく実行するタイミングが取れなかったが、今回ようやく叶った。予約時に示された宿泊料金は本当にこれで良いのかと思わせるものだった。


「みぎた旅館」は細い裏道に立派な門構えを見せていた。ただし、玄関から何度か声をかけても返事が無かった。やむなく廊下を伝って奥へ向うも冷えた空気があるだけで、長々と続いた奥でようやく人声がした。完全に闖入者の状態で恐縮しながら再度失礼しますというと、ようやく誰かと話をされていたらしい女将さんが現れた。

1階の8畳間に通され、宿泊の目的を少しお話しすると、2階に良い部屋があると女将さん。上がると部屋には布団が多く畳まれた状態に。昨日は合宿客があったとのことで、それらや現地作業員などの用務客などが当旅館の主要客らしい。


それにしても格式のある見事な部屋だ。床の間、欄間も各部屋それぞれに異なっていて同じものが無い。欄間に菊の紋章が半分しか表現されていないのは、丸々一つだと「畏れ多い」からだったとか。また、床の間の付書院のデザインは、防府市にある毛利邸の座敷にある床の間の意匠を模したものなのだそうだ。合宿の学生は欄間にタオルや干し物をぶら下げたりと、まあしょうがないかと苦笑されていた。


旅館の特殊な歴史についても説明を受けた。徳山には大正時代に「第3海軍燃料廠」が置かれ、海軍における燃料供給基地となっていた。旅館近くにも施設があったとのことで、旅館はその宿舎として使われていたという。旅館建物の建築年について聞いてみたところ女将さんはよくご存じないようだったが、その歴史から遅くとも昭和戦前であることは間違いない。もともとの建築は軍事的な目的であり、高級感を出す必要はないように思えるが、上官などの宿泊が多かったからなのだろうか。

また徳山は戦時の空襲により中心市街地の多くが焼き払われているはずだが、この付近は焼け残ったとのことで、その点でも大変貴重なものであるといえる。


女将さんは一通り説明を終えると、宿泊料金を徴収して後は翌朝までご自由にといった感じで、今の実態はビジネス旅館なのだろう。表側の建物には人気はなく、一般の宿泊客は私だけのようだった。私は素泊りだが、調理場もあり大広間(これも格式あり)もあるので、食事の提供も行われている。検索を掛けると「割烹旅館」と表示されるものもある。


泊った部屋も立派な床の間のある十分趣あるもので、狭いながら中庭に面している。何とバストイレ付で、最初バスがあるのは知らず部屋から離れた所にある風呂を見つけてそこに湯を張ったが、他にも数箇所風呂場がある。客が自由に選んで利用するというのがここのスタイルらしい。

また、網代天井が多用されているのも特徴で、客室のみならず廊下、また扉などにも見られた。このように非常に手を掛けて造られた建物であることがわかり、宿泊料の数倍も重みのある一晩となった。


改めて旅館の建物を外から見ると、正面玄関のある建物が一番伝統的で、女将さんに案内を受けた二階の部屋もこの棟にある。裏手(大通り側)には後で増築されたらしい建屋が連なっていて、やや複雑な建て方になっている。最初足を踏み入れかけた廊下の奥はその部分につながっており、後で確認したところそこにも客室の扉があり、こちらには宿泊客があるようだ。洗濯機や大型の冷蔵庫などもあって、長期客用の棟らしい。


女将さんの話では、一度某コンビニから店舗用地として買い取りたいといった話を持ち掛けられたことがあったという。しかし、伝統のあるこの旅館建物を安易に手放すことは忍びなく、断ったという。この話が一番印象に残り、また泊ってよかったと思った。宿としての需要も細々ながらも途切れないようで、長く続いてほしいものだ。また泊りたい旅館である。

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奥行深く続く別棟



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玄関付近 網代天井など凝った意匠だ



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大広間




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大広間横の廊下




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泊った部屋 床の間の「前板」には端正な一枚板が使われている




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二階部分の部屋



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二階部分の部屋の各意匠 欄間もそれぞれ異なる





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二階 御手洗い入口の扉




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# by mago_emon3000 | 2025-01-12 11:26 | 山陽の郷愁宿 | Comments(0)

うだつの町並の一角に―脇町・田岡旅館



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小路に面した田岡旅館の門



吉野川中流域左岸に位置する脇町は一帯で盛んに行われた藍の生産により裕福な商家が数多く生れ、重伝建地区として保存される商家群もある。そのうだつの旧家が建ち並ぶ町並の裏手はかつて河岸で、物資が積み降ろしされ、船が吉野川を往来していった。


うだつの通りから一本北の細道に、今回泊る「田岡旅館」がある。もともとは小路の反対側にあった呉服店の別邸として明治期に建てられ、その後大正に入って旅館として創業した。門と土蔵は別邸時代そのままで、主屋は旅館になってからの建築だという。


今回の宿泊は、例年初夏に町並探訪趣味の同士で会合を開催するメンバーのうち2名との同宿である。実は以前、会合先として当館が候補に挙がったことがあり、私もいつかは泊りに行きたいと思っていたところだ。そもそもこの旅館は1人客を受入れていないので、こうした機会でないとなかなか泊ることができない。


女将さんとその娘さんで切盛りされており、到着後は娘さんの案内によった。立派な庭の奥にある新しい外観の建物が我々の泊る部屋である。後で女将に聞いたところによると、消防法の改正で設備の規制が厳しくなり、10年ほど前に今残っている主屋部分は客室として使用することを止め、奥を建て直して、主屋とは別棟にしてそこを客室にしたという。二間続きの清潔で落着く部屋であったが、古い旅館の伝統的な棟に泊ることを期待していたので、この点はやや心残りに感じた。ただし、そのため宿泊客は1組限定で貸切だ。


16時頃の早めの到着だったが晩秋初冬の日暮れは早い。町並を少しだけ歩いて入浴しているうちにすっかり夜になった。夕食は食事処に内装を整えた土蔵で頂くことになっている。食事のみの提供もされているようで、割烹旅館を名乗っている。内部は一見かなり手が加えられているように感じるが、カウンター中央にある柱は建築当時のものという。磨かれて新しく見えるが見上げると梁組もそのままだ。


奥の個室に既に料理が並べられており、これだけでもかなりの量と感じたが、さらに鯛の塩焼きなど数品が追加され、大層なご馳走であった。材料も地物中心の逸品で、地元の銘酒「芳水」などとともに味わったが、満腹で全て頂くのが精一杯で、これだけ質量揃った食事は久々だった。一同、腹をのけぞらせて食後に出てきたデザートとお茶まで何とか頂くことが出来た。


もちろん、朝食もとにかく品数が多く、湯豆腐、焼き魚をはじめ、数えて見ると実に17皿あった。

しかし女将さんのお話では、余り景気の良い話が聞かれなかった。週末こそ宿泊や食事のみの会合の予約(この場合は宿泊は受けない)がぼちぼちあるが、平日の客はとても少ないとのこと。こうした伝統的旅館の一人客の需要は結構高いと伝えると、以前泊られた一人客の方で、少し困ったことがあったとか。また外国人客も少しずつ受けられてはどうかとか、幾つか意見をお伝えしておいた。


伝統的町並にある貴重な宿。需要は少なからずあるはずだ。


2024.11.30宿泊)


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見事な庭と主屋(左)泊った棟(奥)




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泊った二間続きの部屋



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泊った棟から見る中庭




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主屋玄関




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食事処となっている土蔵




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土蔵内部は改装されているが建築当時の柱・梁が残る




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夕食




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朝食



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# by mago_emon3000 | 2024-12-22 20:30 | 四国の郷愁宿 | Comments(0)

築300年の建物が現存-安芸吉田・いろは家旅館



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いろは家旅館の主屋


吉田の町は市街地西にある山地一帯に毛利氏による郡山城が構えられ、中世には既に大規模な城下町が形成されていた。江戸期になると山陰・山陽連絡の要地となり、商業も発達した。旧市街には、現在も所々に伝統的な建物が残り、古い町並が見られる。

町の一角に「いろは家旅館」がある。近くの辻には二階の立ち上がりの高い見栄えのする商家建築もあるが、それに比しては案外地味な外観である。しかし、当館の主屋は築300年を誇り、旅館としての創業は180年ほど前の江戸末期頃だそうで、それまでは酒屋など商売をされていたという。


入口は主屋の正面玄関ではなく、向かって右側の側面に増設された入口から建物に入るようになっていた。女将の話によるともともとの玄関は「方角が余り良くない」と判定された?とのこと。しかし、入って玄関回りを見渡すと、大きな柱時計が今も正確に時を刻んでおり、正面には太い柱が聳えている。恐らく補修をされてカバー被覆されているようだが、太い一本柱が貫いているに違いない。奥には立派な彫刻などがあり、「御本陣」と書かれた木札も見える。女将は良く判らないというが、創業後の幕末頃にそういった要人の宿泊もあったのかもしれない。


早速客室に案内を受けたが、今では宿泊客は主屋ではなく、向かって右側の後で増築された棟があてがわれているようだ。おそらく戦後築と思われ、私が本来泊りたい伝統的な客室という訳ではないようだ。しかし、広々として天井も高く、また二方向に広い窓がある明るい雰囲気の部屋である。この建屋に4部屋程あるようだ。


部屋で少し休憩し、さっそく主屋を一通りまわった。玄関の奥側は左側に調理場などのある廊下、さらに進むと大きく改装され新しい風呂場、洗面所が見えた。二階へ上がるとそこにも幾つか部屋が見えた。廊下から見える柱や梁は、300年前の建築当時そのままのようで武骨な太い材料が縦横に組まれ迫力を覚える。下を見ると、もとの正面玄関が見下ろせた。

さらに表側に進むと大広間があった。通りから見える二階部分である。立ち上がりが低いので、屋根の勾配がそのまま部屋の天井に表れ、梁がむき出しになっているのは少々変った趣の部屋である。しかし、会合・宴会があるときなど、今でも使われているのだという。さっき見た部屋も、少し覗くと綺麗に整えられている様子だったので、客の多い時には使用しているのだろう。


食堂は玄関からほど近い広間で、机と椅子が並べられていたがもともとは客室で、床の間や畳敷きを外してこしらえたように思えた。もともとは部屋出しだったか。別棟の階段は急で、運ぶのは結構大変そうである。食事内容は家庭的なものだが、宿泊料金的には十分すぎるものだった。

応対された宿の方は、最後まで女将さん一人だけだった。もともと1週前に予約を入れようとしたがスポーツ大会の関係で満室だとのことでこの日になったわけだが、このように地域の行事や合宿などにも利用され、細々ながら続いているようであった。

(2024.11.16宿泊)



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正面全体 付属棟を挟んで現在主に客室として使われる戦後建築の棟




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今の玄関は主屋側面に後付けされている




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玄関回りの様子 古い時計や「御本陣」と書かれた板が




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案内された部屋




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泊った棟の裏手から見る 主屋は奥深く建屋が連なっている




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築300年の主屋二階には当時そのままの梁組が残される




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主屋二階正面部の広間 梁組が露になった独特な造りだ




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二階に向う古い階段には虫食いの跡が




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食事した部屋と夕食・朝食 もと座敷を改装したもののようだ




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この手形は戦後に泊った力士のものという


# by mago_emon3000 | 2024-12-12 14:45 | 山陽の郷愁宿 | Comments(0)