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島津家御用達だった温泉場は足元湧出の良質湯 -湯川内温泉・かじか荘


鹿児島県北西部、出水の市街から南に山中に分け入った位置に湯川内温泉という小さな温泉地がある。鹿児島の麓集落や甑島などを訪ねる探訪を企画した際、比較的日程に余裕があることから趣のある温泉旅館に泊ることにもこだわってみたいと思い、県内の旅館を3泊予約した。一軒宿の「かじか荘」はこの遠征での最後の宿であった。


日の短い折、暗い山道を延々登りやや心細さを覚える頃、宿の明かりがみえてきた。案外と若いご主人が迎え入れてくれた。この受付のある棟の二階部に伝統的な客室があると聞くが、今は使われていない由。離れた位置にある宿泊棟に案内された。最近内装は更新されたらしく見た目は古さを感じないが、建物自体は100年超ともいわれ、湯治場の雰囲気が濃厚に感じられる。この旅館は長期滞在の客も多く、自炊のための調理室もある。


この旅館そして温泉はファンには意外とよく知られているという。その理由のひとつは高い泉質といわれる。江戸中期に発見された温泉は島津家御用達の湯として、明治以降は一般にも開放され、現在の姿となる。かすかな硫黄を含む湯は解毒作用が高いといわれ、滑らかな柔らかい湯触りも人気が高い。


さらに温泉ファンの注目するところとなっているのが浴室の姿だ。斜面に沿い二ヶ所の浴室(小屋)があり、いずれも足元湧出の新鮮な湯が豊富に湧き出ている。底に敷かれた石の間から時折気泡を交えながら湧き出る感触は独特なもので、ぬる湯であることもあってつい長湯をしてしまう。

到着してすぐ、夜遅くそして翌朝と向かい、合計すると3時間程度も入浴していた。その内1回は大阪からご夫婦で来られたという客と温泉談義をし、なかなか新鮮なひとときだった。


情報によると、先年の大雨等により現在は宿泊を受け付けていないようで、ネットの情報などを見ると今後も日帰り入浴のみの営業になりそうだ。宿泊してじっくり入浴時間を稼ぎ味わう形の温泉場と思うので残念なことだ。

参考にはならないが、宿泊体験記のひとつとして記しておきたい。


2020.01.04宿泊)



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受付のある建物(母屋?) 左に宿泊棟がある



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宿泊棟



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客室は比較的簡素なつくり



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階段は建てられた当時そのものだろう



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上の湯




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客室棟からすぐの位置にある下の湯



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下の湯と宿泊棟 左に母屋を望む



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浴室 良質の源泉が足元から豊富に湧き出ている


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温泉案内の看板 鹿児島の温泉番付では東の横綱とされている


# by mago_emon3000 | 2021-10-02 16:02 | 九州の郷愁宿 | Comments(0)

木造三階の本館が残る山峡の一軒宿-大洲・小藪温泉


肱川沿いの盆地に開ける城下町大洲。その市街地から20kmほど川をさかのぼり、そこからさらに支流沿いに山間の細道を進んだところに一軒宿「小藪温泉」がある。温泉は江戸末期の文久期には発見されていたとされ、温泉としての創業は明治9年といわれる。アルカリ単純泉で往古より霊泉として珍重され、湯治客や観光客に親しまれた。


旅館の魅力は何といっても大正中期頃に建てられたという木造三階の本館である。玄関部分は本館の二階部分に接続するような形で造られ、客室棟や浴室のある別棟へは階段を下りる形となる。


本館の一階部分は内部を改装し食事処などとして利用されている一方、二・三階は建築当時ほぼそのままで、二間続きの広間は欄間、床の間などのしつらえも格式が感じられる。板張りで木製欄干の巡る廊下も深い味わいがある。開放的なつくりで川音や鳥の鳴き声などが耳に入ってくる。


この登録有形文化財の本館は現在客室として使われていないものの、日帰り客の休憩所などとして二階部分が日中解放されている。以前は三階部も開放していたというが消防法の規制とかで今は閉鎖しているとのこと。


客室・浴室棟もその外観や内装は本館との釣り合いを図ったもので、好感度は高い。案内された部屋は川に面し、涼やかな雰囲気を味わえた。川の流れの音に混じり時間を追って刻々と変化する鳴く蝉の種類の変化、水や涼を求め水際にやってくる種々の鳥類。ただし、そのため夜明け前からヒグラシの声で起こされることにもなった。


浴室は日帰り客の受け入れもあるからか宿の規模に比べ大きく、湯は癖のない柔らかい肌触りのあるもので長湯向きである。源泉の温度は低く、加温・循環式ながら多少は新鮮な湯も追加されているのだろう。ちなみに当日は数組の宿泊客はあったがゆっくりと一人で味わうことができた。温泉は旅館建物すぐそばの川沿いから湧き出している。自然に湧く量だけでは不足するので、地下からポンプで汲み上げているという。泊った部屋からその施設が見えた。


食事も珍しいアマゴの塩焼きをはじめ質量ともに十分満足できる内容であった。山の宿らしく、海のものの刺身が出ないのはよいと感じた。

翌朝、朝風呂後再度本館二階でくつろいでいると、表側に小さなテラスが作ってあるのを見た。間近に本館の木製欄干の意匠などを眺めることが出来る特等席でもある。表の通りからは目立たないような造りで、外観を損ねないように配慮しているのがわかる。


それにしても、このような山深いところに明治・大正時代から立派な木造三階の旅館を従えた温泉地が賑わっていたとは驚きである。旅館の人は登録文化財では補助が出るわけではないので維持が大変だと言っておられたが、何とか生きながらえてほしい。それにはまず多くの客が訪れることだが、有名になりすぎて観光施設のようになるのも望ましくないし、その辺は複雑ではある。

2021.08.06宿泊)



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木造三階の本館



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本館二階の座敷と廊下



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客室だった名残が・・・・・




本館一階には囲炉裏のある部屋もあり 予約すればここで食事もできるそうだ



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玄関回り



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客室・浴室棟への接続部分




泊った客室




浴室



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夕食(アマゴの塩焼き) と朝食






# by mago_emon3000 | 2021-08-29 10:58 | 四国の郷愁宿 | Comments(0)

大型旅館群の陰で―長門湯本温泉・利重旅館


長門市の市街地から南へ5kmほど、清流の流れる谷間に沿い旅館の建ち並ぶ湯本温泉は長門地区随一の温泉地として知られ、多くの旅館が立地している。

付近への出張をきっかけに泊ってみたいと思い、団体客対応の大型旅館が多い温泉街にあって、外観・内部ともに正真正銘の古い旅館の「利重旅館」を選んだ。


旅館の建物は川沿いからは少し高い丘の斜面に位置していた。最近新装成った共同湯・御湯を見下ろす様な位置だ。一見木造三階のようにも見えるが、よく見ると別棟で一段高いところに建てられていた。いずれにせよかなり複雑な構造となっているのがわかる。

しかし、今のように外観をはっきりと目にすることができるのも最近になってからのことかもしれない。聞くところによると、少し前までは旅館の周囲には多くの建物があり、建て込んだ路地奥に位置していたとのことだ。共同湯の建て直しにあたり、周囲を大幅に整備したようだ。


玄関左に広いながらも急な階段を上り部屋に案内される。階段、廊下、その他様々なしつらえは昔ながらで、最近になって手を加えた個所はほとんどないように見えた。廊下の一部に敷かれた青いマットが例外のようだが、それが逆にどこか洋館の中にいるような感触を抱かせて独特な感触だった。


案内された部屋はむろんトイレや洗面所、冷蔵庫といった設備はない。そのようなものは似つかわしくないような旅館である。BSが受信できるのがむしろ不似合いに感じる。

浴室は一つのみで入るときは入浴中の札を入口に掛けておく仕組みだ。すぐに向かったがゆっくりと独占して入浴できた。アルカリ性の泉質で肌触りがよいが、やや加温しすぎの模様か水で薄めたが暑い時分、浴後に汗がなかなか引かなかった。しかし、大型旅館や共同湯などの大浴場は循環式なのに対し、当館では自家源泉を少し加温したうえで掛け流ししているとのことで、新鮮な湯そのものが味わえる。

当日は平日ではあったが意外にも3組ほどの同宿客があり、いずれも観光客のようだ。夕食は玄関右側の部屋で頂く。フグ刺しや鰻入りの鍋などもあり、廉価な宿泊費のわりに非常に満足する内容だった。


こういう古い旅館に泊ると、やはり気になるのはその歴史についてである。最初に部屋を案内いただいた男性、食事の時に応対された女性にも創業や建物の歴史などについて聞いてみるも明確な返事は得られず、「ここでは一番古いのではないでしょうか・・」との答えにとどまった。最後の精算時にご主人らしき方が出てこられたが、出発時の慌ただしい状況でお話しする時間もなく、その点が少し心残りだった。

しかし見送りはご主人以下全員が出てこられ、恐縮した出発となった。こうした昭和的・家庭的な旅館の雰囲気が十分に残る旅館だった。

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複雑な構造を示す宿の外観



玄関の様子



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入口脇からすぐに客室(二階)への階段が始まっている



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洋風の雰囲気も感じさせる階段付近 川沿いを望むことができる



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廊下



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泊った客室



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浴室



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食事会場と夕食



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# by mago_emon3000 | 2021-08-14 15:43 | 山陽の郷愁宿 | Comments(0)

旧街道沿いで営業される創業100年超の旅館-和田山・旅館有斐軒

和田山は兵庫県但馬地方南部の中心で、古くは街道の要衝であり、現在も鉄道・道路交通の拠点となっている。

市街には旧街道沿いに古い町並も残っており、そんな中に旅館有斐軒がある。山陰街道に面した部分に旅館の看板があがるが、こちらの棟は客室としては使用されていないようで、案内されたのは裏道から少し控えたところにある建物であった。


この現在の宿泊棟のうち、玄関と向かって左の二間続きの部屋は昭和32年改築、右側の客室や廊下は平成になってから改装されたのこと。創業はと尋ねると、98歳になる祖母の幼少期から旅館だったので、100年は超えているのは間違いないが詳細は不明とは最初に応対された女将の話。表側の建物も、戦後に入って改築されたとのこと。


旅館は女将とその母親と思われる大女将で取り仕切られているようだ(もしかすると若女将と女将かもしれないがここではそのように呼ばせていただく)。

泊った部屋も床の間など和室としてのしつらえはあるが、やはり新しい部屋である。しかしそのため、小ざっぱりした清潔さを感じることはでき、それはそれで悪くはない。


二間続きの部屋は宿泊よりも宴会や会食に使われることが多いようで、大女将が生け花などをして準備されているのをお邪魔して、撮影させてもらった。明日は婚約者家族の顔合わせがあるとかで、今も需要は少なくないようだ。また、宿泊客も近年有名になった竹田城への探訪客の利用も多いとのこと。外国人客も多かったとのことだ。

有斐軒は料理旅館とのことで、出てきた夕食の献立も細かいところに趣向が凝らされており、満足の内容だった。夏場だが小鍋が用意されていたので尋ねると、ハモ鍋とのこと。この魚は夏が旬である。


翌朝の町並散策後、改めて街道側の棟内を見て回った。玄関をくぐると一直線に伸びる通路は、かつての商家や旅館によくみられる造りだ。そしてその通路の一隅には「料理屋営業」「和田山旅館組合」と墨書された古びた木製標識が置かれている。さらにその奥には古い木棚が。今はお役御免となっているようだが以前は客に出す食器や什器類を仕舞っていたものなのだろうか。


大女将が出てこられたのでその辺を聞いていると、玄関からすぐの応接室?の部分は改築にあたり創業当時からの梁や柱をそのまま使っていると。さらに通路側の柱基部には礎石がそのまま残されているではないか。さらに、通路に石が細長く敷かれているのは、以前は物資の出し入れのため台車が往来していたのかもしれない。とすると、旅館の前は商家であったのか。想像をたくましくさせてくれる数々のものがあった。


建物そのものや泊った部屋には古い旅館と云った色が薄く、その点では不満足な宿泊ではあったが、これらを目に出来たことで価値あるものに変わった。もしかすると女将や大女将からは「あら探し」をしているようにも映ったかもしれないが、これらの歴史を語る構造や品々は、ぜひとも大切にしていただきたいものと思いながら後にした。

2021.06.26宿泊)



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宿の外観(旧街道側)



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裏道から見えるこの建物が宿泊棟



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宿泊棟の玄関まわり



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宿泊棟の二間続きの客室



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泊った客室



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旧道側の棟 玄関付近 建築当時の梁が見える



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旧道側の棟 古びた標識類が残されていた



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旧道側の棟の通路 敷かれた石は台車等が通っていた名残か 




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旧道側の棟 急な階段が残る



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旅館の夕食



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旅館の朝食


# by mago_emon3000 | 2021-07-11 11:46 | 近畿の郷愁宿 | Comments(0)

温泉津温泉・大正初期創業の宿-のがわや旅館


大口客の泊るようなビル型旅館は全くなく、歴史を感じられる旅館街の展開する温泉津温泉。その中心付近にある「のがわや旅館」に今回泊る機会を得た。

温泉街から見ると、一見現代風の建物に見えなくもない。しかし、その表に面した部分の客室は大正初期(1912年)創業当時の建物とのこと。裏に続く廊下を進み、階下に浴室、さらに奥に客室棟がある。表側の棟と奥の棟に囲まれた部分には狭いながらも中庭がある。二階からその中庭を通してみると、一連の木造の建屋群の西側に鉄骨造りが接しているのがわかる。その部分は階段と大広間として使われている。いずれにしても、表の外観からは全く想像できない造りであった。

これは数軒隣にある先年泊った「ますや旅館」にも共通しており、狭い敷地内で増改築を重ねた苦心の跡がうかがえる。

泊ったのは大正期築という表側の二階で、12畳間と8畳間が続いた広々とした部屋だった。もともとは別々の部屋だったと思われるが、襖で仕切られただけの部屋というのはさすがに現代の宿泊客には受け入れがたいものがあるのだろう。それぞれに立派な床の間があり、12畳間の方は見事な一枚板が用いられていた。詳しいことを知りたいので帰り際にご主人に聞いてみたが、材料など詳しいことは知らないとのこと。創業からかなりの時間が経過しているため、ご主人といえども細部まで把握されていないのは致し方ないところであろう。

浴室は3か所あり、いずれもこぢんまりとしており塩化物泉の源泉がかけ流されている小さめの浴槽と循環湯の大き目な浴槽が組み合わされ、貸切制でじっくりと味わうことが出来た。

夕食は部屋食、朝食は大広間での提供で、夕食は地物の魚介類を中心とした味わい深いもので、フグの湯引き、鯛の奉書焼きといったところが印象に残った。当日は連休中でやや割高の料金設定だったが、全体には比較的廉価な宿泊料の設定である。十分満足できる内容と言えるだろう。

現代の宿泊客にも快適に過ごせるよう手は加えられているものの、室内その他の設えの各所に古い姿が残され、老舗であることが伝わってくる宿であった。

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表通りから見る「のがわや旅館」


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泊った部屋の様子(12畳間)



泊った部屋の様子(8畳間)



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泊った部屋の意匠 床の間には見事な1枚板が


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表の建屋二階から中庭越しに見た様子(1)奥に見える棟も客室となっている



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表の建屋二階から中庭越しに見た様子(2)鉄骨造りの増築棟が接している


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中庭周りの様子



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浴室に向う廊下 この付近も古い建材がそのまま使われている




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浴室



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夕食の献立の一部


# by mago_emon3000 | 2021-05-30 19:36 | 山陰の郷愁宿 | Comments(0)