備前市の中心街の一つ・片上地区は江戸時代山陽道が通り宿駅が設けられ、また海にも面するところで港が発達し、美作方面の物資もここから積み出されていた。
残念ながら町並からは余り歴史を感じることはできない状態で、旅館もほとんどが止められている。その中にあってこの「ゑびすや荒木旅館」は安政3(1856)創業、街道を行く客そして港から上下船する客、海運関係など多くの客を受入れてきた。
旅館の隣が更地となっており、鰻の寝床状の奥行深い敷地が確認できるが、正面から見るといかにも地味な外観で、普通の住宅のようである。しかし玄関を抜けると長い廊下が伸び、土蔵のある中庭、そして客室棟と続く。増改築を経ているのか複雑な構造となっており、むろん写真に全体像を収めることはできない。
客室棟の裏側には小さな玄関がある。そこにも屋号が記され、ここから訪ねてくる客もあるのだという。これは恐らく、港からの客を迎え入れていた名残なのだろう。事実今でこそ海岸線まで少し距離があるが、かつては裏手から海が近かったとのことだ。このことからも陸海双方の客を迎え入れていたことがわかる。
ゑびすや荒木旅館の正面玄関(旧山陽道側)
奥行が深く複雑な建て方となっている
土蔵のある中庭 玄関からはかなり奥に位置する
裏手の玄関 港からの客に対応か?
現在旅館は女将と大女将とで切り盛りされているようだ。旅館の古い時代のことを大女将から色々説明を受けている中で驚いたものの一つが、二階部の大広間で昭和の有名歌手による、今で言うディナーショーが行われたということだ。
この広間は現在に至っても様々な集まりなどでよく利用されているとのこと。たまたま近くにそのような施設が少ないからかもしれないが、それもこの旅館が営業を続けられている理由だろう。
料理屋としても需要が少なからずあるようだ。
二階の大広間 旅館の規模からしてもかなりの広さだ
舞台の隅のこのスペース 芸妓がここで三味線などを弾いていたという
館内各所で歴史そして珍しさを感じるものはまだ沢山あるが、長くなるので一旦ここまでとしまた改めて掲載する。
(2019.07.13宿泊)