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文化人も泊った旅荘-東京本郷・鳳明館

東大のある本郷台地一帯は都心といってもよい地区にあって落着いた町並が展開し、さすが文教の地というべき風情が漂っているようだ。
そのような一角に昔ながらの旅館が現役で残っている。鳳明館は登録有形文化財にも指定された本館と台町別館、森川別館という別棟があり、本館の建築は明治38年という。いずれも昔ながらの和式旅館で、都内にあっては貴重な存在である。ちなみに泊ったのは2009年で当時はそれほどでもなかったのだろうが、最近は外国人旅行客の宿泊で賑わっているらしい。
本館と台町別館は同じ敷地にあり、どうやら「別館」の看板のある台町別館の方に泊ったようだ。
ようだというのはこの時は私個人でなく、グループでの宿泊で直接予約をいれたものではなかったからだ。それに今ほど古い旅館へのこだわりもなかったことから、記憶もやや曖昧になっているわけだ。
ビル街の只中に残っているのではなく、閑静な地区にあることで尚更高い価値が感じられる。
(2009.05.30宿泊)


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鳳明館(台町別館)の玄関

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極力現代的な改築を避けてきたことが随所に感じられる 階段周りの風景


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洗面所も昔ながらのタイル貼り


# by mago_emon3000 | 2019-12-11 22:02 | 関東・信越の郷愁宿 | Comments(0)

三瓶山南麓の共同浴場-鶴の湯

三瓶山の周辺には個性的な温泉場が意外と多くある。興味深く思っているのだがそれらを主目的に出かけようと思うと案外腰が重いものだ。しかし時折この近辺での仕事が入ることがあり、その時間の合間があれば、入ってみようではないかと探求心が湧く。今回は南麓にある志学地区にある共同浴場「鶴の湯」を訪ねてみた。
小さな商店も建ち並ぶ志学の町並の西端付近にあるこの浴場、券売機で入浴券を買い、受付が不在の場合は箱に入れて自由に入れるようになっている。私が入った時も無人で、誠におおらかなものである。
浴室は5・6人も入ると満員状態になるくらいの広さだろうか、いかにも共同浴場といった規模で、浴槽からは茶色く濁った湯があふれていた。源泉そのものが濁っているのではなく、鉄分が多く含まれるため空気に触れることによって赤褐色になる。口に含むと少し鉄錆味がする。加温しているとのことで、洗い場の傍らには源泉がそのままざぶざぶと桶に注入されており、こちらはぬる湯であった。なるほどもとは透明な湯だ。

浴槽内は腰掛ができるような段があって、それに委ねていると大変心地よく、思いがけず少々長湯をした。
私が入ったとき一人の地元の方らしい年配客、出た後には遠方からと思われる客を含め三々五々と。浴場内の写真は、たまたま客のない時を狙ってスマホで撮影したものであるため写りが悪い。

集落の東側にはこの鶴の湯と対をなすような名の共同浴場・亀の湯もある。こちらの方がレトロ感が満載というが、源泉が35度で夕方以降に加温されるとのことなので、時期と時間帯のこともあって鶴の湯を選んだが、今度は亀の湯の方に入ってみたいものである。
(2019.12.03訪問)
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鶴の湯の外観と玄関 受付不在の時は券売機で求めた入浴券を箱に入れて入浴する


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空気に触れると酸化する鉄錆色の湯 加温しない源泉(2枚目右上)は透明だ

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昔ながらの雰囲気の休憩室もある 今は使えない型のテレビは飾りか?


# by mago_emon3000 | 2019-12-03 22:52 | 山陰の浴場 | Comments(0)

中山道に面する木造三階-望月・井出野屋旅館

旧中山道のうち、信濃路と呼ばれる区間は江戸方からは険しい碓氷峠越えを果たすと爽やかな高原地帯が続き、浅間山を右に望みながらの行軍であった。そうした行程の途中にあった旧望月宿。町並も往時を感じさせる趣のあるもので、昔ながらの旅館も何棟か残る。その中で木造三階の見応えある外観の「井出野屋旅館」に泊った。
三階建であるから宿場時代からのものではなく大正期の建物というが、一時は遊興街としても賑わったといわれ、この旅館も芸者が置かれていた時期もあったという。
当日は9月の連休時期でもあり他にも何組か宿泊客があり、5・6名ほどのグループもあったようだ。私は詳しくは知らないが、この旅館は映画の舞台として使われたことでも知られているようだ。そのことが客を呼び寄せ、現役の旅館であり続ける源なのかもしれない。
外観からすると一見新しそうにも見えるが、廊下や階段は静かに歩いてもミシミシと軋み音がする。
階段にはお子様が廊下を走ったりすることのないようにと注意書きがあった。このような宿が普通の頃は、廊下の足音や隣の部屋から子供の泣き声などがするのは特に何ともない光景であったのだろうが、やはり今ではそぐわないだろうし、このような宿を慈しんで泊まる客向きなのだろう。
食事も地物が厳選された大変満足感のあるもので、鯉料理(煮物や刺身)鹿刺、川魚の焼物や蕎麦などが盛られ、これで1万円未満で泊まれるのは大変満足感のあるものだった。
こういう宿に泊まっただけに、翌朝の散歩も格別だった。
(2018.09.23宿泊)

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井出野屋旅館の外観


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廊下や階段は清掃が行き届き 長年の使用で光沢を放っていた

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# by mago_emon3000 | 2019-11-22 23:22 | 関東・信越の郷愁宿 | Comments(0)

北遠州・秋葉神社参りの客で賑わった宿-松本屋旅館

遠州地方の山間部、火の神様秋葉神社に近い位置に松本屋旅館という古い旅館があるとの情報を数少し前に得た。周辺は訪ねたい古い町並も比較的多くある地域だったので、この旅館に泊ることを核とした町並探訪計画を立てた。当初は9月の秋分の日がらみの連休の予定であったが、運悪く台風の影響を二度にわたって受け、11月初旬にようやく実行することができた。
延々と谷あいの道を辿って集落に着くと、なぜこのような所に伝統的な旅館があるのか不思議に思わせるところである。しかし気田川とその支流が合流するところに位置し、古くは舟運もあったというから、秋葉神社への客と商用客によって賑わっていたのだろう。以前は他にも複数の旅館があったらしい。
この松本屋旅館は明治10年創業といわれ、一度集落内を襲った大火により建物は大正期に建替えられたものだそうだ。今はご夫婦でこじんまりと営業されているが、かつては従業員も抱え賑わっていた宿と思われる。玄関のある棟とその奥の現在宿泊用として主に使われている棟、そしてその奥には宴会用の大広間のある平屋の建屋と続く。ここは石垣によって嵩上げされた上に建っており、玄関からは階段を二度上ることになるため宿の方は三階と呼ばれていた。

しかしその三階部分はこの旅館で最も見応えのある空間だった。襖をはずすと40畳の大広間になり、欄間や床の間などの意匠も凝っている。さらに書や絵画も随所に掲げられ、女将さんの説明の詳細は忘れたが要人の書もあるという。ご主人によると市の文化財指定を待っているとのこと。もちろんその価値は十分に感じられるし、この大広間の存在あってのこの旅館と思う。使用頻度は一時よりは低くなったのだろうが、昨日もここで宴会が行われたのだという。秋のこの時期は祭なども多く、結構な利用客があるそうで、そのことも私の宿泊日が延びた理由の一つだった。

玄関の佇まいも長い年月をかけてこその風合いが感じられるもので、古い柱時計(しかも今も動いている)、電話室なども残され、それはご主人が古いものを大事にされ、誇りに思ってこられた結果に他ならぬことだろう。

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松本屋旅館 二枚目右側が大広間のある別棟


食事も割烹旅館を名乗っているだけあって満足すべきものであった。特徴的だったのが山芋がふんだんに食材として使われていたことで、マグロの山かけ、とろろ蕎麦などもあり、仕上げにはとろろ飯をいただいた。その他新鮮で大柄な鮎の塩焼きなど、宿泊料金に比して十分すぎる内容だった。

後継者がなく4代目限りという情報も聞いていたがやはりその通りなのだという。このような古い宿が失われていくのは、宿泊客の減少のほかに経営者に跡継ぎがいない、老朽化した建物の維持費、そして後一つ大きなものが宿泊施設として義務付けられている消防設備への対応である。この旅館では費用を投じて消防設備は整えたというが、やはり後継者不在はいかんともしがたい。
宿泊客も以前は秋葉神社参拝の固定客も多かったが、最近は年末近くに訪れるわずかな団体くらいとのこと。鮎釣客なども多かったのに、最近はわざわざ旅館に泊る客はなく車中泊してしまうと女将さんは言われていた。

当日の宿泊者は私のみだったが、女将さんもご主人も親身になって接していただいた。家庭的な雰囲気が感じられる良い宿泊感が残った。少しでも永らく旅館として続いてほしいと思いながら後にした。
(2019.11.03宿泊)

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玄関に入ってまず驚くのが電話室と古い柱時計 時計は今も正確に時を刻んでいる
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別棟の大広間は襖絵や欄間の意匠 絵画や書などが掲げられた貴重な空間であった
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夕食の膳 とろろ料理が自慢だと云う
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宝塚歌劇団が宿泊したこともあるそうで 写真や色紙が飾られていた

# by mago_emon3000 | 2019-11-11 23:03 | 東海・北陸の郷愁宿 | Comments(0)

津軽海峡を望む濃厚な湯-下風呂温泉・大湯

下北半島の津軽海峡側に下風呂温泉という温泉場がある。江戸時代には漁村であるとともに温泉街としても既に知られており、共同浴場のひとつ大湯は貞享4(1687)年にその名が記録されている。
温泉街には近代的なビル型旅館も見られるが、一歩山手に入ると趣のある旅館が散見され、その一角に大湯はあった。
伝統的といった雰囲気よりもシンプルな昔ながらからの共同浴場といった佇まいで、午後のまだ浅い時間帯だったので他に一人入浴客があるだけだった。浴場内はヒバ材が床材として用いられ、湯でぬれた部分では足が滑る。浴槽が二つ並び、一つは相当熱いとのことだったのでもう一つの方に。驚いたのがその濃い泉質で、常時掛け流されている湯は白濁し、硫黄臭が漂う。
この後大畑の町並を散策後今日泊る温泉宿に向ったが、そこは素直な湯で、それよりもまだ下風呂温泉の匂いが体に染み付いているのを感じた。相客がシャワーの湯で体を流してから出ていた理由がわかった。
この共同浴場が閉鎖・移転するとの情報を耳にした。ちょっと調べると来年度中には行われるということで、この風情ある浴場ももうあとわずかのようだ。
(2018.04.30訪問)

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下風呂温泉大湯の建物

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浴槽が二槽並ぶ 浴室の床はヒバ材が使用されている

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付近の旅館街


# by mago_emon3000 | 2019-11-08 22:57 | 北海道・東北の浴場 | Comments(0)