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うだつの町並の一角に―脇町・田岡旅館



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小路に面した田岡旅館の門



吉野川中流域左岸に位置する脇町は一帯で盛んに行われた藍の生産により裕福な商家が数多く生れ、重伝建地区として保存される商家群もある。そのうだつの旧家が建ち並ぶ町並の裏手はかつて河岸で、物資が積み降ろしされ、船が吉野川を往来していった。


うだつの通りから一本北の細道に、今回泊る「田岡旅館」がある。もともとは小路の反対側にあった呉服店の別邸として明治期に建てられ、その後大正に入って旅館として創業した。門と土蔵は別邸時代そのままで、主屋は旅館になってからの建築だという。


今回の宿泊は、例年初夏に町並探訪趣味の同士で会合を開催するメンバーのうち2名との同宿である。実は以前、会合先として当館が候補に挙がったことがあり、私もいつかは泊りに行きたいと思っていたところだ。そもそもこの旅館は1人客を受入れていないので、こうした機会でないとなかなか泊ることができない。


女将さんとその娘さんで切盛りされており、到着後は娘さんの案内によった。立派な庭の奥にある新しい外観の建物が我々の泊る部屋である。後で女将に聞いたところによると、消防法の改正で設備の規制が厳しくなり、10年ほど前に今残っている主屋部分は客室として使用することを止め、奥を建て直して、主屋とは別棟にしてそこを客室にしたという。二間続きの清潔で落着く部屋であったが、古い旅館の伝統的な棟に泊ることを期待していたので、この点はやや心残りに感じた。ただし、そのため宿泊客は1組限定で貸切だ。


16時頃の早めの到着だったが晩秋初冬の日暮れは早い。町並を少しだけ歩いて入浴しているうちにすっかり夜になった。夕食は食事処に内装を整えた土蔵で頂くことになっている。食事のみの提供もされているようで、割烹旅館を名乗っている。内部は一見かなり手が加えられているように感じるが、カウンター中央にある柱は建築当時のものという。磨かれて新しく見えるが見上げると梁組もそのままだ。


奥の個室に既に料理が並べられており、これだけでもかなりの量と感じたが、さらに鯛の塩焼きなど数品が追加され、大層なご馳走であった。材料も地物中心の逸品で、地元の銘酒「芳水」などとともに味わったが、満腹で全て頂くのが精一杯で、これだけ質量揃った食事は久々だった。一同、腹をのけぞらせて食後に出てきたデザートとお茶まで何とか頂くことが出来た。


もちろん、朝食もとにかく品数が多く、湯豆腐、焼き魚をはじめ、数えて見ると実に17皿あった。

しかし女将さんのお話では、余り景気の良い話が聞かれなかった。週末こそ宿泊や食事のみの会合の予約(この場合は宿泊は受けない)がぼちぼちあるが、平日の客はとても少ないとのこと。こうした伝統的旅館の一人客の需要は結構高いと伝えると、以前泊られた一人客の方で、少し困ったことがあったとか。また外国人客も少しずつ受けられてはどうかとか、幾つか意見をお伝えしておいた。


伝統的町並にある貴重な宿。需要は少なからずあるはずだ。


2024.11.30宿泊)


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見事な庭と主屋(左)泊った棟(奥)




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泊った二間続きの部屋



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泊った棟から見る中庭




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主屋玄関




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食事処となっている土蔵




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土蔵内部は改装されているが建築当時の柱・梁が残る




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夕食




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朝食



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# by mago_emon3000 | 2024-12-22 20:30 | 四国の郷愁宿 | Comments(0)

築300年の建物が現存-安芸吉田・いろは家旅館



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いろは家旅館の主屋


吉田の町は市街地西にある山地一帯に毛利氏による郡山城が構えられ、中世には既に大規模な城下町が形成されていた。江戸期になると山陰・山陽連絡の要地となり、商業も発達した。旧市街には、現在も所々に伝統的な建物が残り、古い町並が見られる。

町の一角に「いろは家旅館」がある。近くの辻には二階の立ち上がりの高い見栄えのする商家建築もあるが、それに比しては案外地味な外観である。しかし、当館の主屋は築300年を誇り、旅館としての創業は180年ほど前の江戸末期頃だそうで、それまでは酒屋など商売をされていたという。


入口は主屋の正面玄関ではなく、向かって右側の側面に増設された入口から建物に入るようになっていた。女将の話によるともともとの玄関は「方角が余り良くない」と判定された?とのこと。しかし、入って玄関回りを見渡すと、大きな柱時計が今も正確に時を刻んでおり、正面には太い柱が聳えている。恐らく補修をされてカバー被覆されているようだが、太い一本柱が貫いているに違いない。奥には立派な彫刻などがあり、「御本陣」と書かれた木札も見える。女将は良く判らないというが、創業後の幕末頃にそういった要人の宿泊もあったのかもしれない。


早速客室に案内を受けたが、今では宿泊客は主屋ではなく、向かって右側の後で増築された棟があてがわれているようだ。おそらく戦後築と思われ、私が本来泊りたい伝統的な客室という訳ではないようだ。しかし、広々として天井も高く、また二方向に広い窓がある明るい雰囲気の部屋である。この建屋に4部屋程あるようだ。


部屋で少し休憩し、さっそく主屋を一通りまわった。玄関の奥側は左側に調理場などのある廊下、さらに進むと大きく改装され新しい風呂場、洗面所が見えた。二階へ上がるとそこにも幾つか部屋が見えた。廊下から見える柱や梁は、300年前の建築当時そのままのようで武骨な太い材料が縦横に組まれ迫力を覚える。下を見ると、もとの正面玄関が見下ろせた。

さらに表側に進むと大広間があった。通りから見える二階部分である。立ち上がりが低いので、屋根の勾配がそのまま部屋の天井に表れ、梁がむき出しになっているのは少々変った趣の部屋である。しかし、会合・宴会があるときなど、今でも使われているのだという。さっき見た部屋も、少し覗くと綺麗に整えられている様子だったので、客の多い時には使用しているのだろう。


食堂は玄関からほど近い広間で、机と椅子が並べられていたがもともとは客室で、床の間や畳敷きを外してこしらえたように思えた。もともとは部屋出しだったか。別棟の階段は急で、運ぶのは結構大変そうである。食事内容は家庭的なものだが、宿泊料金的には十分すぎるものだった。

応対された宿の方は、最後まで女将さん一人だけだった。もともと1週前に予約を入れようとしたがスポーツ大会の関係で満室だとのことでこの日になったわけだが、このように地域の行事や合宿などにも利用され、細々ながら続いているようであった。

(2024.11.16宿泊)



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正面全体 付属棟を挟んで現在主に客室として使われる戦後建築の棟




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今の玄関は主屋側面に後付けされている




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玄関回りの様子 古い時計や「御本陣」と書かれた板が




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案内された部屋




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泊った棟の裏手から見る 主屋は奥深く建屋が連なっている




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築300年の主屋二階には当時そのままの梁組が残される




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主屋二階正面部の広間 梁組が露になった独特な造りだ




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二階に向う古い階段には虫食いの跡が




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食事した部屋と夕食・朝食 もと座敷を改装したもののようだ




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この手形は戦後に泊った力士のものという


# by mago_emon3000 | 2024-12-12 14:45 | 山陽の郷愁宿 | Comments(0)

看板猫のいる島の宿-小値賀・民宿千代



五島列島の北端付近にある小値賀島。半日もあれば一通り回れるほどの小さな島で、属島に囲まれ比較的波静かなところだ。その好立地のためか古くから海路が発達し商港が栄え、また捕鯨も盛んで賑わったところである。


今回、この島の集落群を訪ねたいと計画したところ、船便などの時間から島に泊らないと十分な探訪時間が確保できない事が判った。ネット等で見ると、島には10軒ほどの旅館や民宿がある。見る限りでは旅館は新装されたような外観のものが多いように思えたので、「千代」という民宿に電話で予約しておいた。佐世保から朝の高速船で島に到着、自転車で島を一周した後宿に向った。港の西側、少し小高い所にある宿は民宿の看板こそあるが、宿泊施設には見えない構えでどこか他所の御宅を訪ねるような雰囲気である。そして私の姿を見てか、数匹の猫が近寄ったり離れたりしている。


玄関を開けると挨拶もそこそこにそのうち一匹が勢いよく入って行ってしまったので急いで知らせると、慌てる様子もなく何時ものことらしい。現れたのは70代後半と思われる叔母さんであった。

民宿をはじめられ40年ほどとのことだが、案内された部屋も廊下もとても清潔に保たれており、適宜手入れをされて快適に滞在できるよう工夫がされている。島の東にある野崎島が世界遺産の一部となってから訪問客が増えたという。宿に向う前に寄った歴史民俗資料館の人によるとこの民宿は評判が良いとのことで、小規模ながらお客さんが絶えないのだろう。しかし部屋数から3組が限度とか。宿の方は叔母さん以外見ることが無かったので一人で切盛りされているようだ。


夕食はもちろん叔母さんの手作りの献立で、ヒラマサの刺身、イサキの焼物、その他魚中心の期待通りのもので、刺身も新鮮で旨い。叔母さんと雑談しながらそれらをいただくのは民宿らしい泊り味である。

島への航路は外海を経由することから欠航になることもあり、島に来ても帰りの便が止まってしまって運悪く島に取り残されることもあるそうで、そういったお客の話などをされた。猫は少し餌付けをしていると次々寄ってきたと言い、夜部屋の窓を少し開け網戸にしていると、どこからか猫の鳴き声がして一匹が部屋をのぞき込んでいた。宿にはちゃんと飼われている猫もいて、見ると流石に毛並がよくおとなしい。叔母さんいわく「看板娘」とのこと。


当日もう一組客があったようで、宿に着きひと風呂後に別の部屋に若い男性客が見えたので軽く挨拶した。しかし、夕食、朝食時とも叔母さんと色々お話ししながらの一人での食事だったのでそれ以外は声を交わしていない。聞くと野崎島を目的とした数人のグループのようであった。

(2024.10.26宿泊)



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高台に建つ「民宿千代」



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宿の前には様々な花の苗が植えられていた



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清潔感のある部屋と風呂場



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夕食・朝食



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宿の周りには猫が



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宿の「看板猫」


# by mago_emon3000 | 2024-11-23 19:16 | 九州の郷愁宿 | Comments(0)

前泊にも最適な駅前旅館-早岐駅前・日吉屋旅館

佐世保線の早岐駅は大村線との分岐駅であり、かつては長編成の夜行列車をはじめ多くの優等列車が発着し、旅人がここで乗降しまた乗り換えていった。今では佐世保市の郊外にある、構えは大きいが地方の駅といった風情で駅舎も近代的な小ざっぱりとした構えを見せている。

翌朝の行程に合せると、佐世保市周辺に泊るのが便利と考えていたところ、この早岐駅のすぐ近くにあるという「旅館日吉屋」の情報が目に入り、料金も安く前泊に最適ということで迷わず予約した次第。


駅を出るとすぐ左側に「御旅館 日吉屋」の看板の見える伝統的な建物があった。一般家屋でいう妻入りの形を持ち、このような形のいわゆる「駅前旅館」が典型的な形で今に残るのは、かなり珍しいと言えるのではなかろうか。

受付奥の急な階段を昇ると、廊下の両側に客室が並ぶ構造で、6・7部屋ほどありそうだ。御手洗いと浴室は、受付とは反対側のこれまた旧階段を降りた先にあった。客室のある二階が、階段に阻まれて高みになっているような印象だ。風呂は家庭風呂ながら清潔で申し分ない。浴室入口には洗濯機もあり長期滞在客にも不自由はない。


案内された部屋は、予想に反して案外広々としており、立派な床柱のある床の間が目に入った。しかも天袋・地袋、違い棚など意匠が省略されていない。意外にといえば失礼だが駅前旅館としては十二分な部屋である。やはり固定観念、ステレオタイプ的な判断はいけない。今駅前の便利な所にあるビジネスホテルの原形で、観光地ではないため豪華さ、高級さこそないが商用目的の客にとっては貴重な宿泊施設である。


当日、半分以上の部屋には入口の前にスリッパが見られた。これも金曜日の割には案外と思った。到着後に周囲をざっと歩いたところ、1軒ビジネスホテルが見られるだけであった。そのため生きながらえているのだろうか。または安価な宿泊代のためか。いずれにせよ嬉しい事である。早岐駅のアナウンスや列車の発着の気配が聞こえてくるのも駅前旅館ならではのものだ。


一つ残念だったのが、旅館に関する詳しいことが判らず仕舞いだったことだ。翌朝ご主人に色々お伺いしたかったがご不在で、到着した時にお話ししておけばよかったと思った。ビジネス旅館だから支払いも事前精算で、その辺は事務的に対応されているのだろう。今回は宿に泊るのが主目的ではなかったとはいえ、その点が心残りな一泊となった。

(2024.10.25宿泊)


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旅館日吉館の外観(駅舎側より及び正面)




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玄関回り



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階段を昇って案内された部屋




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館内移動は急な階段という印象だった



# by mago_emon3000 | 2024-11-09 10:55 | 九州の郷愁宿 | Comments(0)

全国でも有数の炭酸泉-山口市柚木慈生温泉


現在は山口市の一部となっている徳地町柚木地区、山間の峠下のような場所に柚木慈生(ゆのきじしょう)温泉がある。国道沿いに1棟温泉施設の建物があるだけで、日帰り中心だが泊ることもできる。この温泉は、以前からネットなどで情報を得ていて、その個性的な泉質を味わってみたいと思っていたところ、近隣を訪ねる機会に寄ってみたいと思いついた。正確には、他の目的と抱き合わせとはいえこの温泉も目的の一つとして訪ねた。


建物は白を基調とした余り秘湯感がないものだったが、玄関を潜ると正面に受付、左手に男湯・女湯の入口が並び、奥に休憩室がある。早速浴室に向うとややぬるめの湯が少しずつかけ流され黄土色っぽい濁りがある。浴槽は4・5名も入ると一杯のやや小さめのものだが、最初は他の客は1名のみだったのでゆっくり浸かっていたところ、当日は連休中ということもあり次々と客が入ってきて盛況となった。ふと手元を見ると、濃厚な泡が一面に付着している。噂通りの濃い炭酸泉だ。

以前炭酸泉で有名なある温泉地の湯に入るも、肌に気泡が付着することなくやや期待外れの感を抱いたことがあったが、水に溶解した炭酸(二酸化炭素)は適温よりややぬるい程度の温度を超えると蒸発し、浴感が普通の湯と変わらないものになる。そのためここではこの温泉口で源泉と湯を加えて浴槽内で初めて混ざり合い、気泡が消えない工夫がなされている。源泉は17℃ほどで、そのままだとぬるいからでもあるが、それだけでなく成分が濃すぎるとのことで、いかに濃厚な湯かがわかる。多くの客は長湯をされるようで、私も30分以上独特の浴感を味わった。浴槽の外には、析出物が結晶化している。


湯上り後主人とすこし話をするうちに、源泉を飲んでみるかといわれ受付奥の蛇口から紙コップに注いでくれた。見ると炭酸飲料のような泡が見られる。少し飲んでみるとしっかり炭酸が利いていて、まさに天然の炭酸水である。味わいは鉄錆味が感じられ、なるほどこれは成分が濃すぎるというのも理解できる。源泉には濁りがなく、水と交わりまた空気に触れることで濁るのだそうだ。


ちなみに宿泊すると温泉が貸切で利用が出来、加える湯の量を加減して好みの濃度で入浴することが出来るそうである。今は一般客でも予約できるが、以前は湯治目的の客のみ宿泊を受けていたとのこと。少し調べると優れた泉質が注目され、温泉遺産にも認定されているようだ。

(2014.10.13訪問)


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柚木慈生温泉の建物



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シンプルな浴場入口




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浴室(ネットより)




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休憩室




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源泉を紙コップに注ぐと、判りにくいが炭酸ガスの泡が沢山付着している




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成分表 特に遊離二酸化炭素の量が抜群という


# by mago_emon3000 | 2024-11-03 12:53 | 山陽の浴場 | Comments(0)