隠れ家のような創業140年の宿-京都東本願寺南側・宿屋枳殻荘
旅館全景
学生時代を過ごした京都の旅館に滞在しながら市内や郊外を探訪したいという思いは常にあって、定期的に実施したいと思う所だが、ここ8年ほどご無沙汰になっていた。何しろ京都市内の宿泊施設は、外国人観光客の急増で特にホテルの宿泊費高騰と言ったことが言われて久しい。また、宿も確保しづらいことから、大津市などへ代泊といったケースも少なくないと聞く。
そんなこともあって、市内の旅館に泊るといったことはなかなか叶わぬことと思っていた。しかも私のこだわりは、ホテルは除外、旅館タイプでも団体客中心の大型なものではなく、伝統的な構えの小規模な宿だ。それも町家を改装したゲストハウスといったものではなく、出来るだけ創業から旅館として続いている宿である。それで結構一生懸命に調べていたところ、正月明けの手頃な日にしかも比較的手軽な料金で宿泊できる宿を数軒見つけた。その中で、東本願寺の敷地の南側に接する位置にある「宿屋枳殻荘」に決め予約した。枳殻は「きこく」と読む。昨年10月頃のことだ。
場所は河原町通から少し西に入った閑静な所で、その佇まいは格式ある老舗宿というよりは、気安く泊まれる昔ながらの旅館といった風情だった。玄関先は打ち水がされ、清潔な暖簾が下がっている。白い暖簾には「接方来」と記されていた。
出て来られた女将さんに続きご主人の顔も見えた。この宿は、40代後半くらいと思われるこのご夫婦のみで切盛りされている。三代目とのことで、暖簾をはじめあちこちにある「接方来」という言葉は、お客に対する姿勢を示す言葉として先代から温められ続けてきた言葉なのだそうだ。時々旅館名に間違われることもあるという。
建物も旅館も140年と云うことで、今年から数えると明治18年になる。古い建物を大切にされ戦災にも遭っていない京都では驚かないが、それだけの間代々旅館として受け継がれた風情というものは、ホテルやゲストハウスでは感じることのできない特別なものがある。
旅館の屋号にある枳殻とは柑橘類の一種「カラタチ」のことで、東本願寺内にある渉成園・枳殻邸にちなんだ屋号で、前の通りも上枳殻馬場通と呼ばれる。ただし、読み難く通り名としても馴染みが今ひとつ薄いこともあり、河原町七条上ル西入ルなどと表記されることが多いようだ。
女将さんから滞在中のことなど一通り説明を受け、風呂場などの案内を受けるが、途中の廊下に朱色の橋が架かっているのに驚く。また階段には見事な彫刻も。先代がこだわりをもっておられたとのことで、廊下や階段の板材は建築当時のまま改装していないとのことだ。
その橋を渡り、階段を昇った左手にある部屋に案内された。小さな部屋だが、中庭に面し広縁から池が見下ろせる。内装も新しくはされているが落着きが感じられ、何となく隠れ家感がある。
風呂は岩風呂で広くはないが、部屋ごとの貸切制になっており希望した時間になると脱衣所から十分暖めていただいておりゆっくりと温もることができた。
翌日は宿に荷物を置いて、市内各方面を巡ることが出来た。出掛ける際、また戻った際には奥に居られる女将さんからお帰りなさいなどと声が聞え、温かく出迎えてくださった。細やかなところまでの気遣いが感じられ、しかしそれが過剰に感じることもなく、なんだかくすぐったいような気持にもなる。また、ゆかりのある町であることからの色々な話もでき、この宿を選んでよかったと心から感じることが出来た2泊となった。
基本素泊りでの宿泊だったが、最終日の朝食をいただくことが出来た。一階の廊下を通して中庭が見える部屋で、料理も全て手作りのもので女将さんの思いが感じられるものだった。
滞在中は年明け早々、中心市街地などは大変な人出で外国人観光客も多く雑踏していたが、この界隈はとても静かであった。二日とも他に数組のお客があったようだが、別世界のような静かな滞在を味わうことが出来た。
これまで記録してきた中でも、特にお勧めしたい宿の一つである。
(2025.01.03・04宿泊)
玄関先


ロビーの風景 ここにも「接方来」の書が


案内された部屋 中庭を見下ろせる

一階廊下の朱塗りの橋


階段脇には見事な彫刻が

岩風呂


朝食をいただいた部屋


by mago_emon3000 | 2025-01-19 12:26 | 近畿の郷愁宿 | Comments(0)