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修行の山への客を迎えて140年-川上村・朝日館


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通りに向き合う朝日館の建物


吉野地方の山間部を縦断する主要な道は西側の十津川村を経由する国道と、東側、川上村から上北山村などを経由し熊野方面に抜ける国道がある。いずれも奥吉野の山深い所を延々と貫き、紀伊半島の大きさを感じることが出来る。

東側の国道169号を吉野川に沿って遡り、柏木という地区で山側の旧道に入った所が今日の宿泊地だ。伝えていた時間よりやや早い到着だったので、集落内を一通りざっと歩いてみた。深い山間に突如現れるといった感じの家並である。ここは修行の山大峰山への登山口としてかつては大変賑わったところで、商店や旅館も多くあった。今はひっそりとしており寂れた雰囲気であるが、家並の南端近くにかつての賑わいを感じさせるような一角があった。街路を挟んで向い合う二棟の旅館建物は大変絵になるもので、これだけで古い町並といった風情を感じる。これが本日の宿「朝日館」である。


最初に出て来られた女性に山側の棟に案内される。現在客室はこの棟の2・3階のみで、谷側は大広間などがあるが大口団体などがあった際使われていたとのこと。玄関回りは意外にも綺麗に改装され、古いというイメージではなかった。5年ほど前に改装されたとのことだが、2階に向う階段から先は完全に明治前期に建てられた当時そのままの造りだ。光沢が出るほど磨かれた廊下、さらに中庭に面する部分は一面のガラス張りで、池や緑のゆがんだ見え方に歴史を感じる。二階に上がったのに目の前に庭があるのが不思議に思い尋ねてみると、急斜面に接したところに建てたため、二階部分の裏手に平場をつくり、庭をこしらえたのだとのこと。

その廊下に面した部屋に通された。襖を挟んだ続き間に布団が敷かれており、占有できるとは贅沢だ。街路側には椅子とテーブルがあるが、続き間さらに向うの階段のあるスペースまで筒抜けとなり長い廊下のようになっている。これは広縁の原形で、このような古い形がそのまま今に残されている。


部屋で案内を受けている間、幾つか旅館そしてこの集落のことを聞いてみた。下の国道は上流側にあるダム建設の際大型車通行のためにバイパスが建設されたものという。この集落内の道では普通車のすれ違いも容易でなかっただろう。

以前は集落内の店舗で不自由ないほどだったというが、現在は店の看板が出ている建物もあるが商売をされている雰囲気はなく、住まわれる方がいる住宅も数軒のみだそうで、立派な郵便局、駐在所があるのが却って異質に感じるほどであった。そんな中、「電話一番」と軒先に掲示された旅館風の建物が歩いていて目についた。聞くとやはり元旅館で、「川上ホテル」という立派な屋号だったという。今はこの旅館のみになってしまったがかつては他にも複数の宿泊施設があったといい、それだけ大峰山への登山客、観光客の需要があったのだろう。


当日は他に二組の夫婦の客があったが、浴室は複数あり貸切で利用できた。食事は玄関向って右手の食堂で出される。これも改装に合わせて整備されたといい、以前は部屋出しだったとのこと。

地物にこだわって出された品々はかなり手を掛けられた様子が伝わって来て、満足感の高いものだった。鹿の赤身の刺身、猪肉を使用した小鍋、鮎は酢の物、塩焼きそして朝食には甘露煮と三尾も味わった。今が旬なのだろう。最近になってネット予約に対応されるとともに、料金もそれなりの値段になったようだが、この建物の風格風情にこの料理なら全く文句はない。吉野の地酒「八咫烏」も味わった。

夕食時には最初に出て来られた女性のほか、男性とともに女将も出て来られた。家族で経営されているそうだが、女性と男性はせいぜい30歳前後に見え、女将からは随分若いように感じられた。しかしいずれにせよ玄関回りの一新とともに新たな客を迎え入れようとする心意気を感じる部分にささやかながらも頼もしさを覚えた。


翌朝一通り二階部分をじっくり見て回ったが、御手洗いや水回り、その他あらゆる部分の窓の意匠が凝っていて、模様ガラスが多用されている。いずれもとても貴重なものだろうし、今は同じものに取り換えることのできないものばかりだろう。ただ、廊下を歩くと音がするため、他の御客のある部屋の横を歩くときは静かにせねばならなかった。夜以降も何度か御手洗いを使ったが、途中から街路側の広縁を経由することにした。


翌朝出発時、谷側の棟を少し見せて貰った。これは前日お願いしておいた。山側棟とは異なって全く手が加えられておらず、登山団体などの名と指定旅館と書かれた古びた木札や、電話室もある。驚いたことに中にある電話は切替えさえすれば今でも使用できるのだという。

もう一つ見たかったのが奥の炊事場にあるかまどで、部屋に案内されたときにお茶菓子として出されたゆず羊羹もこれで造っているのだそうだ。また大口の客があるときもこのかまどで米を炊くことがあるという。煉瓦造りのどっしりとした窯で、天板にはめられたタイルは黒光りしている。大切に使い込まれたものであることがわかる。

この仙境のようなところで何日か滞在したいような、名残惜しいような1泊となった。今後若いお二人が継がれるのかどうか、聞くのを忘れたが玄関回りの改修や料理内容など「攻め」の姿勢が感じられる。珠玉の一軒宿として長続きすることを願いたい。

(2024.09.14宿泊)


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山側棟



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玄関回り



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案内された部屋は二間続きだった




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街路側にも廊下がつながっている





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山側廊下から中庭を望む 歪んだガラス張りが見事



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二階の他の部屋と欄間




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浴室 脱衣室のタイル張りが美しい



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一階玄関横の食堂




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夕食 写真は最初に並べられていたものでこの後多くの品が追加された




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朝食



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館内点景 古いガラスが趣深かった



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谷側棟の玄関付近




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谷側棟 電話室には今も使えるという電話機が




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羊羹などを造る昔ながらのかまど



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by mago_emon3000 | 2024-09-29 16:49 | 近畿の郷愁宿 | Comments(0)