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木造4階「斉月楼」は温泉街の象徴-渋温泉・金具屋(前編)



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長野県北信地域は数多くの温泉地があり、志賀高原への入口に当たる付近には湯田中渋温泉郷と呼ばれる9箇所の温泉地からなる温泉地群がある。以前、湯田中温泉の小さな旅館には泊ったことがあり、その時には夕刻、渋温泉の町並を一通り歩いた。伝統的な旅館が多く建ち並び、土産物屋などとともに古い町並を構成していた。外湯巡りの客などで温泉街は大層な賑わいで、中でも中心付近にある「金具屋」の佇まいは温泉街を象徴する風景として、散策客が皆足を止めて撮影していたのが印象に残った。それ以来、いつかここに泊る機会は訪れないものかと事ある度に思った。


あれから12年が経過して今回、とうとうその「金具屋」に泊ることになった。私が所属している趣味のグループは、毎年この時期に宿泊しての定例オフ会を開催している。例年は元旅籠のような素朴なところを選ぶことが多いのだが、今回は20回目の節目である。運よくというか、今回は実質私が開催場所や日時の決定に主導権を持つ立場でもある。いつもよりは高級な所、有名な旅館での開催がよいのではとの思いが湧き、丁度開催予定日付近に空室があることも後押しして、晴れて金具屋での開催が決定した。


湯田中渋温泉郷には中小規模の旅館も多く、一人客を受け付けている宿も多いと思われるが、ここはやはり二名以上が条件のようだ。そのこともあり、この定例会で誘導できないかと以前より画策していたのである。それにしてもどの宿であっても、志を同じくする面々と伝統的な旅館に泊る機会があるということは、私の趣味的にもとても貴重なことだ。


旅館の略歴をざっと記すと、1754(宝暦4)年にこの地区を襲った土砂崩れにより、敷地内に温泉が湧いたことで、鍛冶屋から旅館へと転身したのが創業のきっかけであり、まさに老舗である。創業当初は「金具屋平四郎」という屋号だった。前身が金物を扱っていたことによるのだそうだ。

明治から大正には上州との国境を控えた宿場的な役割もあり、どちらかと云うと湯治宿といった形での営業を続け、昭和のはじめに湯田中駅が開業すると、観光客も多く訪れるようになった。そこで地元の宮大工たちが全国各地の建築を見て歩き、着手したのが旅館敷地中心にある「斉月楼」の建設だった。7年の歳月を経て昭和11年に奥の大広間棟とともに完成した。戦後の団体旅行隆盛期を迎え、大型旅館であった金具屋は大口団体客も多数迎え入れた。高度成長期以後、多くの木造旅館はホテル型旅館に建て替わっていった中、木造4階の旅館建築が現役で使われているのは大変珍しい。良くぞ取り壊さず残されたものだと感謝を示したい。斉月楼と大広間の棟は登録有形文化財となっている。


客室のあるのは斉月楼を含め4棟あり、我々の案内されたのは1階に玄関とロビーのある「神明の館」という戦後に建てられた最も新しい棟であった。しかし、旅館内には一つとして同じ間取りの部屋がないとの情報の通り、二部屋あてがわれた部屋はそれぞれ印象が異なるものだった。一方には次の間というか小さな茶室のような小部屋があり、遊び心の様なものも感じる。温泉街に面しており、広縁の椅子に座ると散策客、外湯の中で一番有名な「大湯」のたたずまいなどを見ることが出来る。


17時半から館内の見所を旅館の方から案内を受ける館内ツアーに参加することにしており、その前にひと風呂浴びておきたいとの思いもあって中々忙しい。というのも館内には二つの浴場と5つの貸切湯、露天風呂がありそれぞれ趣が異なるからだ。貸切湯は空いていれば鍵を掛けて自由に入れる形になっているが、お客の思いは同じようで、空いている所は少ない。偶然ご夫婦が出て来られるのを見て入れ違いで入った「斉月の湯」は、木船を模した浴槽に富士山のタイル画が見事で、暫し独泉を楽しんだ。

それにしても、旅館内の建物配置はどのようになっているのだろう。部屋を案内いただいたときに大浴場の場所など簡単に説明を受けたが、階の移動以外にも不意に階段が現れたりして今どの位置にいるのかが把握しにくい。空いている貸切湯を探しているときにその辺を探ろうとしたが、迷いそうなので部屋に戻った。館内ツアーを受けると、少しは理解できることだろう。


ツアー希望者は大広間棟の最上階「飛天の間」に集合することになっている。そこは8階と呼ばれているが、棟自体は三階建である。客室棟が4階までで、5階は何故かなく大広間棟の1階部分が通しで6階と呼ばれている。大広間棟の建っている位置が斜面を挟んだかなり高いところにあり、客室棟からはあたかもその上に建っているように見えるためそう呼んでいるようだ。

3階に上って廊下伝いに少し歩くと不思議や不思議、エレベーターがあって7階までつながっている。最初どのようになっているのか判らなかったが、客室棟の裏にRC造りのエレベーター棟ともいえる構造があるようだ。最上階に着くと渡り廊下があり、そこから先が大広間の棟の7階となっている。

8階へ向う階段は手すりからして何だか個性的で、さまざまなものにこだわった色が感じられる。壁には巨大な絵画もある。何とも凝った空間ではないか。


大広間には既に予想よりも多くの客の姿があった。やはり、せっかく伝統的な旅館に泊るのだからその粋を見ておきたいとの思いがあるようだ。やがて8代目ご主人が130畳もの広さを誇る大広間「飛天の間」の成り立ちをはじめ、階段や踊り場の意匠などの説明を始めた。

(2024.06.01宿泊)


―後編に続く―



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昼間の旅館正面 奥が斉月楼 右手前が玄関のある神明の館




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建物配置を理解するには川の対岸から見るのが一番わかりやすいかもしれない。中央の朱色の屋根の建物が大広間のある棟、手前の屋号の見える建物にエレベーターがあり、その左下に斉月楼が見える




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ロビー奥の休憩室(斉月楼の1階)




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休憩室横の廊下には旅館で使っていた古い看板などが




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案内された部屋 二部屋の内一つには茶室調の次の間が




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部屋から見る温泉街 共同湯・大湯が望める




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夕食前に入浴できた貸切湯・斉月の湯





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同一階でも建屋の境などには不意に階段があったりする




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大広間に向う渡り廊下




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大広間の棟7・8階間の階段 凝った意匠があちこちに



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大広間「飛天の間」130畳の広さを誇る


by mago_emon3000 | 2024-06-23 20:33 | 関東・信越の郷愁宿 | Comments(0)