明治から昭和まで歴史の積み重ねが見られる老舗温泉宿-瀬見温泉・喜至楼
山形県北部の最上地域は新庄市を中心に、最上川とのその支流沿いの盆地に町が開ける。この付近は大小さまざまな温泉地が点在し、魅力的な旅館も少なくない。中でも支流小国川沿いに位置する瀬見温泉「喜至楼」は旅館好き、温泉好きな人々、とりわけ伝統的、レトロ宿好きな方面の間ではある意味有名な旅館である。随分前から宿泊を検討していたが、新潟方面から庄内地域を経由する行程の中で、ようやく組み入れることが出来た。いつもより気合が入っていたからか、数ヶ月前から予約を入れておいた。
温泉街は川の左岸に展開し、商店などの中に幾つか旅館が見られ、また共同浴場もあって温泉街らしい雰囲気を感じることが出来る。現代風の旅館もあるが、やはり老舗らしい構えを誇る喜至楼がひときわ存在感を放っている。中でも、角地にそびえる木造三階(一部四階)の本館の堂々たる姿は偉容というに相応しいものである。
旅館は大きく4棟で構成されており、正面玄関があり宿泊受付を行う別館、明治建築の本館、それに続き本館の玄関棟があり、別館と本館の間には別の二階屋がある。本館側の玄関は現在では使用されていない。本館・別館ではおおよそ一階分の段差があるため、階段でつながれている。その部分も複雑な建て方がしてあるため、実際は何棟であるのかはっきりしない。時代を経て複雑な迷路のようにも感じ、1泊では全容はつかみがたい。なお本館玄関棟は明治元年築で、県内では最も古い旅館建築と云われている。
案内された部屋は本館二階の角部屋で、話によるとここが最も人気らしい。私は本館を指定しただけで特に部屋の要望はしていなかったが、予約が早かったので割り当てられたのだろうか、いずれにせよ幸運なことだ。部屋の意匠は比較的簡素ながら窓外には温泉街と川の流れ、対岸を行く陸羽東線の列車も眺めることができる。
一通り館内を確認したところ、本館2・3階のほか、別館にも多くの部屋があり、全体では少なくとも100人は宿泊できるのではと思われた。大口団体旅行隆盛の頃には、さぞにぎわいを示したに違いない。現在、新庄市内の自動車学校の合宿場としても利用されているようで、夏休みなどのシーズンにはどれ位受け入れるのかはわからないが、従業員の人数からしても今は縮小して営業されているようだ。しかし、これだけの規模の建物の維持だけでも一苦労ではと感じる。
本館玄関棟方向から本館を望む
別館の建物 玄関左の円形に張り出した部分が朝食会場でもとダンスホールだったという
宿泊受付を行う別館フロント付近 旅館全体で最も新しい部分である
別館から本館に向う辺りは複雑な建て方となっている
本館二階の泊った部屋の様子
泊った部屋から本館玄関棟方面(翌朝撮影)
本館側の玄関(現在は使用されていない)
次にはやはり温泉である。むろん、この温泉も楽しみの一つである。というのも館内には個性的な多くの浴室があり、いずれも現代風に改修されることなく使われているからだ。特に本館一階の「ローマ式千人風呂」は円形の大きな浴槽が特徴で、千人はオーバーとしても100人程度は入れそうに思える大浴場である。時間により男女入れ替えとなっており夕方は女性用となっているため、まずはその隣の「あたたまり湯」に入ることにした。楕円形の小さめの浴槽で、縁に丹念に貼られたタイルに趣を感じる。これはこれで落着く最初の一浴だ。源泉温度は60℃を超える熱い湯で、沢の水で温度調整を行っているとのこと、あたたまり湯ということでやや熱めに設定されている。
夕食は、別館横の二階屋でいただくことになっている。この部分にある客室が今は食事処となっているようで、個室なのでじっくりと味わうことが出来る。内容も期待を超えるものであった。分厚い馬刺し、蟹の出汁でいただく小鍋、アユの塩焼、豚肉のしゃぶしゃぶ風、山菜数種・・・それにとろろそばや汁物が続く。他に国産牛のステーキ付きの献立などもあるようで、食事内容には力を入れられているようだ。
食後腹が落着いたところでローマ式千人風呂に向う。開放感のある広い浴場、この存在だけで旅館が大勢の団体客などで賑わっていたことを証明している。柱のタイルが剥がれていたり、年季と温泉の成分の影響か一部変色したりしているのもそれはそれで風情がある。ぬるめの湯なのでじっくり浸かり、また終始「独泉」状態だった。当日は10名ほどの客と2名の教習合宿生といった宿泊陣容であった。
ローマ風呂は翌早朝も朝風呂として入った。朝の時間は男女別がなくいわゆる混浴となっている。湯上りに朝日に明るみが兆した浴場前の廊下を見ると、これもまた実に渋い風情ではないか。
朝食はフロント横の部屋が会場で、ガラス張りの明るい雰囲気だった。帰ってから得た情報によると、この部分はかつて「ダンスホール」だったのだという。団体客、社員旅行客などが主体だった頃の名残であろう。夕方になると各方面からのバスが発着し、陸羽東線を利用する個人客などもあっただろうし、往時の賑わいは如何ばかりかと思いを馳せるに十分なものがある。
朝改めて館内を見て回ると、装飾品や備品、案内看板などが以前のまま配置、掲示されている。あえてそのままにしているところが良いのだろう。どこか潔さに似たものを感じる。一方で廊下や階段は光沢を帯び、日々の清掃が行き届いていると感じた。別館の一隅に「オランダ風呂」と名付けられた浴室を発見したので、そちらにも入りに行った。窓が大きく明るい浴場で、無人のぬるめの湯に浸かっていると、外からは早くも蛙の鳴き声が聞こえてきた。
最後に外から一通り旅館建物を見ると改めてその複雑さを感じ、明治初期の本館、大正、昭和に入ってから建築された別館と、長きにわたり建増しが重ねられ歴史の重積が感じられた。それだけでも文化財級と言っても言い過ぎではない。設備云々と言われる方は向かないかと思うが、温泉が好きで伝統的な旅館の感じが嫌いでない方にもっと泊りに行っていただきたいと思った。
(2024.04.13宿泊)
本館1階 ローマ式千人風呂とあたたまり湯がある
あたたまり湯(男女別)
別館の廊下 旅館の以前の写真などが掲示されている
夕食をいただいた部屋 客室の一部を利用し個室で提供される
夕食
ローマ式千人風呂
別館のオランダ風呂
本館にはふかし湯と書かれた扉があったが使われていないようだ
朝食
by mago_emon3000 | 2024-05-05 17:46 | 北海道・東北の郷愁宿 | Comments(0)