古い町並のランドマーク的存在-遠州横須賀・割烹旅館八百甚


八百甚旅館の正面および二階部の外観
遠州横須賀と呼ばれる掛川市横須賀地区。南を遠州灘に面し北は丘陵地帯を背負った温暖そうなところだ。天正4(1576)年に家康により横須賀城が築かれ、城下町が形成された。城下の街道沿いには各種商店が連なり、地域の中心として発展、幹線鉄道・道路は離れた位置にあり、現在も古い町並を残している。
そんな町並の中心に割烹旅館八百甚はある。実は10数年前に町並探訪として横須賀の町は訪ねており、その折にもこの旅館建築は大層印象に残った。当時はまだ古い旅館自体にはそれほど関心はなかったが、その後宿泊したという情報を時折聞くにつれ、泊ってみたいという思いを募らせていた。ただ、遠州地区の古い町並は多くが訪問済であったので、伊豆地区の訪問と併せ、前泊的にこの旅館に泊ることを企てた。
予定より早く到着したので、町並を一通り歩いてから宿へ向う。入り母屋屋根を持ち二階部分の立ち上がりも高く、遠くからもかなり目立つ存在だ。正面には割烹旅館 八百甚と毛筆体の看板が掲げられ、二階正面の木製欄干、軒の紅白のボンボリなど、大変豪勢な外観の建物だ。
玄関は立派な柱に古い時計が掛けられ(ただし動いてはいないようだ)、上り框の床材も二階部に向う階段も経年により独特の光沢と風合いがある。女将さんが出て来られ、二階正面の部屋に案内される。本日の宿泊は私一人で、街道に面した10畳+8畳の続き間を使ってよいと。何とも贅沢なことではないか。しかし、部屋に鍵がなく安全上の配慮から宿泊客は一組限定とされているとのこと。歪んだガラスの窓を少し開けると欄干を通して街道が見渡せた。女将曰く、嫁がれた頃(約45年前)は通りも大変賑やかで各種商店が並び、この旅館も富山の薬商をはじめ商人が滞在し、繁盛していたという。また、恒例の三熊野神社大祭の時には、関係者各位の宴会や宿泊を受け入れてきたという。
案内された玄関のある表側の棟と、その奥に続く棟とは別構造とのことで、奥の棟は明治後期、表側は昭和6年に建てられ奥の方が古いという。表側を建て替え(改装?)または建増ししたものか。
奥の棟の方向を見ると広大な座敷が広がっているのも驚きであった。女将によると、先週末は会食場として使われたとのことで、なるほど机が並んでいる。正面から向かって右側は客室が3室あり、通路を挟んで左側が広間だという。襖がすべて取り払われているので全て広間に見えたようだ。
その奥の棟のさらに奥、階段を下った先に風呂があると説明を受ける。その突当りには別の建物の入口が。旅館が併設しているビジネスホテルであった。商用客、現場関係者などの利用があるという。なるほどこちらの客入りがあるため、旅館部分を一棟貸切状態にできるといった側面もあるのだろう。しかし、家族とせいぜいごく少数の従業員で営業されているとみられるが、ホテルと会合の収入で旅館建物を維持するのは大抵のことではないだろう。
館内でくつろいで風呂と食事の前にと少し町を歩いてくると、玄関に二台の大型二輪が。おそらくビジネスホテルに宿泊する客のものだろう。風呂はホテル利用客と共用で、温泉ではないものの岩風呂風のなかなか本格的なものであった。
夕食はホテルの客も希望により二食付で受けているらしく、玄関横の部屋にて同席でいただいた。割烹旅館と云われるだけあり、地魚を中心とした献立であり厳選された刺身など新鮮で満足の内容だった。町並の中にある造り酒屋の銘柄「葵天下」もいただいた。
食事後、女将に旅館のことを少し聞いているとホテル泊の2人と一緒に二階奥側の部屋を案内して貰えることになった。到着後も見たが消灯されていて様子が良く判らなかったのでありがたい。三部屋それぞれに床の間があり、床柱もそれぞれ異なり、欄間の意匠も格式がある。小窓のある障子など大変な意匠の細やかさで、相当な手間と費用をかけて建てられたものであるのを感じる。本来の襖で仕切った状態にするとそれぞれが素晴らしい客室となるだろう。しかし隣室との境が襖のみでは、確かに現在の宿泊客にはそぐわないものになってしまったようだ。またそれを改装し鍵付きの部屋としないあたりは、あるいは伝統的旅館としての矜持といったところか。
翌朝の出発時、少しだけご主人とお話しすることが出来た。聞くところによると、ここに泊ることを目的に来られる方も結構あるらしい。その価値のある旅館であると思う。少しでも長く続けられるよう健闘を祈りたいものだ。
ちなみに宿泊料金については、設備はともかくこれほどの文化財級の旅館に上等な食事付きで、私にとっては恐縮するような金額だった。
【2022.04.09宿泊】

玄関の様子

階段を上から見た所






案内された部屋 木製欄干を通して街道沿いの風景が望める
奥の客室の様子
大広間
小窓付きの障子の意匠
宿の夕食
宿の朝食
by mago_emon3000 | 2022-04-25 15:38 | 東海・北陸の郷愁宿 | Comments(0)