存在感を強く放つ木造三階の客室棟群-信州田沢温泉・ますや旅館
上田盆地が尽きるところ、数軒の宿と共同浴場のみのひっそりとした温泉地である田沢温泉。南側に丘を隔てたところにある立派な温泉街が形成された別所温泉とは対照的な姿である。
その中で圧倒的な存在感を示すのが明治元年創業の「ますや旅館」だ。木造三階の棟を連ねた姿はこの温泉場の印象の多くを占めるほどで、本館・新館・西館・東館や土蔵など全ての建物が登録有形文化財となっている。町並探訪として訪ねて以来この旅館に泊れないかとの思いを抱き続け、改めてこの温泉地を訪ねた。
到着後案内されたのは本館2階の角部屋であった。予約時に一番古い(伝統的な)部屋と希望していた。次の間付きで、障子を隔てた板張りの廊下からは本館の姿が見えた。他の部屋はお客が居ないようで、この階では一番良い部屋のようだった。欄間や床の間の意匠も古さゆえの格式を感じる。この旅館は島崎藤村が宿泊したことがあるとのことで、東館にあるその部屋は藤村の間と呼ばれ、宿泊当時の姿がよく残されているというが、そちらは先客があるようであった。
石畳の街路から見る土蔵と東館
玄関と本館
本館を裏側から見る
左から東館・本館・新館
浴室に向う廊下のためにより複雑な構造に見える
西館はある時期に一部を残して取り壊されたという 今はその位置に共同浴場が
大浴場は、ロビー横から渡り廊下で延々と歩いた随分先にあった。その間に新館につながる階段、そして何やら土蔵の外壁のようなところも通りながらようやくたどり着く。この浴室棟は割合新しいようで、奥に露天風呂があった。後で外から一通り全容を見て、この露天風呂の位置を確認すると玄関辺りからは相当離れたところにあるのがわかる。
泉質はやや硫黄の香がし、肌触りがよく湯温も低めで、到着後と翌朝じっくりと味わうことが出来た。またロビーから階段を下りた所には貸し切りの家族風呂があり、そちらも寝る前に入浴した。
温泉と食事も楽しみではあるが、とにかく旅館建物が一番の目当てでの宿泊だった。しかし、料理の好印象はあるいはそれに匹敵するほどのものだった。ご主人が随分力を入れておられる様子で、地の物にこだわり刺身は信州サーモンと鯉、馬刺の3種、そして今はキノコがふんだんに採れるのだろう、各種キノコがあちこちの小鉢に登場した。また鯉は煮物でも出てきた。これまで何度か東信地方に泊った時に味わったのは濃い醤油味の煮つけで、これが一般的な鯉料理なのだろうが、花椒を利かせた独特の風味で、斬新な感じがした。実は地酒も50種以上キープされているとのこと。もちろん私もご主人から勧められた中から、追加注文した。
宿を後にする直前になって、改めて玄関を入ってすぐのところに掲げてある明治初期の旅館の姿を描いた絵を見た。今の姿と結びつくのは表の土蔵とその横の三階屋くらいしかない。そのことをきっかけに、ご主人に色々伺うことが出来た。
絵の中で、渡り廊下でつながっているように見える奥の棟は私が泊った本館、その左側に続く西館は今は一部しか現存していないそうだ。「ロ」の字形に宿泊棟が並び、その中庭の位置に当時は混浴の露天風呂があったとか。その後新館が建てられたという。大浴場に向う途中に見る土蔵は絵の中にあるもので、今は建物の中に取り込まれたような形になっている。
宿泊中、ご主人と数人の女性の姿しか見なかった。ご主人によると今は基本1棟1組に限って予約を受け付けているとのことで、個人の経営ではこれだけの建物を維持するのは大変だといわれていた。各棟を回ってみると、客を受け入れる部分を限定し、その他はメンテナンスの外に置くことで何とか維持しているように見えた。
経済的補助の出ない登録有形文化財の建物を多数維持するのは、想像しただけでも大変だろうことがわかる。表向きは立派な旅館だが、泊ってみると色々な面も見えた。お客を多く取ると、稼働部分が増え維持費もかさむことになるようだ。どこかで上手くバランスが保たれ、長く続けられるとよいがと思いながら宿を後にした。
(2021.10.09宿泊)
玄関ロビーの様子
明治初年の旅館の様子が描かれた絵
案内された部屋 廊下から望む新館
本館の客室を結ぶ廊下
左は新館に向う階段 右は大浴場への廊下
新館に向う階段
新館点景
大浴場に向う途中には「ピンポン室(卓球場)」があった
大浴場に向う廊下の様子 土蔵の外壁沿いに進む部分も見られた
夕食
数々の地酒を紹介いただいた
朝食
by mago_emon3000 | 2021-10-31 11:11 | 関東・信越の郷愁宿 | Comments(0)