旧街道沿いで営業される創業100年超の旅館-和田山・旅館有斐軒
和田山は兵庫県但馬地方南部の中心で、古くは街道の要衝であり、現在も鉄道・道路交通の拠点となっている。
市街には旧街道沿いに古い町並も残っており、そんな中に旅館有斐軒がある。山陰街道に面した部分に旅館の看板があがるが、こちらの棟は客室としては使用されていないようで、案内されたのは裏道から少し控えたところにある建物であった。
この現在の宿泊棟のうち、玄関と向かって左の二間続きの部屋は昭和32年改築、右側の客室や廊下は平成になってから改装されたのこと。創業はと尋ねると、98歳になる祖母の幼少期から旅館だったので、100年は超えているのは間違いないが詳細は不明とは最初に応対された女将の話。表側の建物も、戦後に入って改築されたとのこと。
旅館は女将とその母親と思われる大女将で取り仕切られているようだ(もしかすると若女将と女将かもしれないがここではそのように呼ばせていただく)。
泊った部屋も床の間など和室としてのしつらえはあるが、やはり新しい部屋である。しかしそのため、小ざっぱりした清潔さを感じることはでき、それはそれで悪くはない。
二間続きの部屋は宿泊よりも宴会や会食に使われることが多いようで、大女将が生け花などをして準備されているのをお邪魔して、撮影させてもらった。明日は婚約者家族の顔合わせがあるとかで、今も需要は少なくないようだ。また、宿泊客も近年有名になった竹田城への探訪客の利用も多いとのこと。外国人客も多かったとのことだ。
有斐軒は料理旅館とのことで、出てきた夕食の献立も細かいところに趣向が凝らされており、満足の内容だった。夏場だが小鍋が用意されていたので尋ねると、ハモ鍋とのこと。この魚は夏が旬である。
翌朝の町並散策後、改めて街道側の棟内を見て回った。玄関をくぐると一直線に伸びる通路は、かつての商家や旅館によくみられる造りだ。そしてその通路の一隅には「料理屋営業」「和田山旅館組合」と墨書された古びた木製標識が置かれている。さらにその奥には古い木棚が。今はお役御免となっているようだが以前は客に出す食器や什器類を仕舞っていたものなのだろうか。
大女将が出てこられたのでその辺を聞いていると、玄関からすぐの応接室?の部分は改築にあたり創業当時からの梁や柱をそのまま使っていると。さらに通路側の柱基部には礎石がそのまま残されているではないか。さらに、通路に石が細長く敷かれているのは、以前は物資の出し入れのため台車が往来していたのかもしれない。とすると、旅館の前は商家であったのか。想像をたくましくさせてくれる数々のものがあった。
建物そのものや泊った部屋には古い旅館と云った色が薄く、その点では不満足な宿泊ではあったが、これらを目に出来たことで価値あるものに変わった。もしかすると女将や大女将からは「あら探し」をしているようにも映ったかもしれないが、これらの歴史を語る構造や品々は、ぜひとも大切にしていただきたいものと思いながら後にした。
(2021.06.26宿泊)

宿の外観(旧街道側)

裏道から見えるこの建物が宿泊棟

宿泊棟の玄関まわり


宿泊棟の二間続きの客室

泊った客室

旧道側の棟 玄関付近 建築当時の梁が見える


旧道側の棟 古びた標識類が残されていた



旧道側の棟の通路 敷かれた石は台車等が通っていた名残か

旧道側の棟 急な階段が残る

旅館の夕食

旅館の朝食
by mago_emon3000 | 2021-07-11 11:46 | 近畿の郷愁宿 | Comments(0)