遍路道を見つつ歴史を重ねー志度・いしや旅館
高松より東に10km余りの志度の町。JRのほか琴電でも結ばれ志度線の終点でもある。駅から少し北に向うと古くからの街道に差し掛かり、それを少し東に向うと本瓦と虫籠窓の外観のまま営業されている「いしや(以志屋)旅館」がある。旅館前の街道を東に少し向うと、四国霊場第86番札所の志度寺に至る。界隈はその門前町として賑わったところである。
志度の町並は既に何度か訪ねていることもあり、16時前に到着するとそのまま宿に入り、一通り館内を見学したのち散歩に出ることにした。出迎えていただいたのは女将さんで、部屋へはご主人に案内いただく。玄関先に大きな年輪の刻まれた一枚板があったが、ご主人も何の木か知らないという。それほど昔からあったとのことであった。
この旅館の特徴は中庭を挟んで三つの棟が連なっていることで、今客室として使っているのは裏手の二棟の1階と2階にそれぞれ一間ずつ、計4室である。表の主屋は明治時代、二棟目は大正時代、一番奥は昭和初期と徐々に建て増しされたといい、それぞれが庭に沿った渡り廊下で結ばれている。表から見える姿からは想像もできないほど奥行深い。
案内されたのは昭和初期の棟1階の部屋であった。最も新しいとはいえ窓や床の間などの意匠は格式を感じさせ、廊下のガラスも昔ながらの歪みのあるものだった。
当日の宿泊は私のみとのことで全ての部屋を見せて貰った。中ほどの大正時代築の部屋も相応な格式を感じさせるものであった。廊下から庭を通して別棟の様子が望めるのも趣深い。
旅館には小さな居酒屋風の飲食店が併設されており、食事はそこで作られ、宿泊客は主屋一階の座敷で頂くことになっているようだ。廉価な宿泊料金だったが、オコゼの唐揚げをはじめ地物の魚を中心とした献立で満足の食事内容だった。せっかくなので地酒をというと、少し離れたところのもの(琴平の「金陵」)とのことだったがそれを頂いた。県内ではこの酒が最も有名なようである。
翌日、ご主人と少しお話する機会があった。遍路客専用の宿かと思ったが、料理旅館として創業し、増築しながら拡大していったとのこと。現在も春・秋の気候の良い時期は遍路客の利用も多いが、商用や現場関係者などの業務利用、盆や年末年始などの帰省客なども多いようだ。周囲にはホテルがないので幸いしているという面もあるようだ。
各棟は登録有形文化財となっているがほとんど近代的な手を加えた色がなく、わずかに風呂場が現代風に改装されている程度であり、貴重な姿といえよう。ご夫婦が経営の小さな旅館ながら、建物や中庭の維持だけでもかなりの労力と費用が必要と思われ、私のみだったこともあって誠に恐れ入る思いだった。少しでも長く現役であってほしいものと思いながら後にした。
(2021.04.24宿泊)
宿の外観
玄関付近(大きな一枚板が目につく)
宿泊した部屋の様子
他の部屋の様子(大正期の棟1階)
大正の棟より中庭・昭和初期の棟を望む
大正の棟二階より主屋を望む
中庭より大正期の棟を望む
渡り廊下と中庭
食事をした部屋の様子
夕食と朝食
隣接する居酒屋風の飲食店
by mago_emon3000 | 2021-05-15 19:57 | 四国の郷愁宿 | Comments(0)