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大正2年創業 地区では唯一の貴重な宿―下関市豊田町・開月旅館


下関市東部の小月地区で瀬戸内海に注ぐ木屋川の中流域、豊田町は古くから市が開かれ、西市という地名もある。響灘方面と日本海方面からの街道がここで合流し、宿場町としても栄えたそうだ。


そんな町の一角に、大正2年創業という「開月旅館」がある。木屋川の流れに面し、石州瓦系の赤瓦屋根、二階部分に控えめに屋号を掲げた姿は一見して昔ながらの旅館という佇まいであった。


玄関に入ると毛筆の書が掲げられており「開月楼」と書かれている。七十年輩と思われる女将さんによると、戦前までは料亭も兼ねていたとのことである。入口のすぐ上の壁には昭和6年当時という宿泊料金表が残されており、地味ながら老舗であることを語り継がれている。天井の太い梁も見事だった。聞くところによると玄関はもともと橋に向う道側にあったが、橋の架け替えなどによって道路がかさ上げされ、現在の位置に作り替えたのだと。なるほどもと玄関があった部分では路面が随分高い位置にある。このような話からも、この旅館の歴史の長さがうかがえる。


案内された部屋は玄関からは一番奥、二階の川に面した角部屋だった。この旅館では最も良い部屋と思われ、立派な欄間や床の間もあり格式を感じさせた。階段の手すりなどは昔のままの一方、内装は更新されており今の宿泊客にも快適に泊まられるように配慮されていた。小ぢんまりした外観だが、一通り見てみると結構な部屋数があった。風呂は家庭風呂のようなシンプルなものだったが、別にシャワー室も設けられていた。用務客のほか合宿の学生などの利用もあるという。


そんな客層のためもあってか、料理も十分な質・量のあるものであったのに廉価な宿泊料金であり、満足の宿泊となった。

当日は女将さん以外宿の人を見なかった。当日は出張での宿泊で、同行者一人との計2名のみしか客がいなかったが、合宿客などがある時には何名かで対応されるのだろう。


以前は他にも何軒か旅館があったというが、今はこの「開月旅館」のみになったという。今回は仕事の傍らでの宿泊だったが、ここに泊ると非常に便利な位置にあった。細々でも宿泊需要はあるように思う。末永く続いてほしいものと思いながら宿を後にした。

2020.08.31宿泊)


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開月旅館の外観(木屋川側より)



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開月旅館の外観(正面玄関側より)



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玄関の風景 女将さんによると廊下の部分はかつて通り庭(土間)だったらしい



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玄関の立派な梁組



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昭和6年当時の宿泊料金表



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「開月楼」の書 



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泊った部屋の様子



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階段の手すりや木製欄干などは建築当時そのままである一方 廊下の板などは張り替えられている



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夕食



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部屋にあった衣桁には鶴の意匠があった


by mago_emon3000 | 2020-09-22 13:54 | 山陽の郷愁宿 | Comments(0)