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数々の著名人を受け入れてきた城下町の宿-高梁・油屋旅館


岡山県中部への出張が山陰方面への用務と重なって泊り掛けになり、それではと思いついたのが高梁市にある「油屋旅館」への宿泊であった。高梁では最も歴史深い旅館で旅籠としての営業は江戸期にまで遡り、城下町、高梁川の川運などで発展した町一番の宿泊処として知られていたようだ。

明治期には一時他業に転業された時期もあったが、明治末期から油屋旅館として営業を続け、昭和に入ると歌人与謝野鉄幹・晶子夫妻、映画やドラマの撮影時には監督や俳優などが泊るなど多くの著名人が利用した。昭和46・58年には「男はつらいよ」シリーズでここ高梁がロケ地となり、宿舎として利用されたそうだ。


旅館は国道180号沿いに建っているが今の玄関側はもともと裏手であったという。木造三階の棟と玄関のある二階屋で構成され、三階屋や油屋旅館創業当初からの建物である。なお三階部の客室は消防法の関係で現在使用されていないようで、主に二階部分が客室に提供されている。

当旅館は鮎料理で知られ、夕食には必ず出されるとのことだが、今回は出張での利用であり宿泊料金を考慮して朝食のみとさせてもらった。高梁の町自体が鮎で有名とのことなので、いつか観光や探訪で再訪した時にぜひ味わうことにしたい。


17時過ぎに到着したが駐車場らしきものが無いので玄関を潜ると女将が現れ、乗ってきた乗用車を玄関内に入れて停めよとのこと。厳かな玄関先に何やら恐れ多い気がするが、それに従うことに。ただし、天井には燕が巣を作っており駐車場所には少々注意する必要がある。

玄関を入って右の応接室か休憩室の様なスペースにはロケ時の写真などとともに「岡山県庁指定御旅館」と旧字・異体字を交えて記された看板、その横には「学生及未成年者の出入を堅く御断り申候」と書かれた標識板が飾られている。いつの時代のものかわからないが酒を供する施設だからだろうか。その上には長い槍が3本ほど掛けられていた。何に使われたものかは聞きそびれたがそうした歴史を感じ取れる品々である。


応接室を抜けて中庭を見ながらしばらく進むと二階の客室に向う年季の入った階段があり、案内された道路側の客室に向う。広縁の椅子に座ってみると、城の白壁を模した川の堤防に遮られて高梁川の川面は見えないが、何だか優雅な気分になる。斜め向かいの部屋を見ると、本格的な床の間なども配備された格式の高い部屋であった。「男はつらいよ」のロケ時には渥美清さんがその部屋に泊り、私の泊った部屋には竹下景子さんが泊ったとのこと。

さらに玄関棟の方向に戻る形で進むと、床が一段高くなり左手には大広間があった。玄関の真上の部分である。


当日の泊り客は私だけで、夕食を外で済まして戻ると玄関先の屋号を記した灯籠に灯がともって風情を醸していたが、館内で灯りが付いているのは私の客室のみであった。風呂や水回りは快適なように改装され、朝食のみであれば1万円以内と比較的気軽に泊ることもできる。道路沿いの客室は窓などに防音の配慮がされているため、若干気になる程度で想像よりは静かに夜を過ごすことができた。


朝は7:30からとのことだが、用件のため少しでも早めにというと7:00には準備いただいた。少しでもゆっくりと味わってほしいとの配慮は有難かった。

(2024.04.24宿泊)




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旅館正面(国道向いより)




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玄関風景




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応接室に展示された看板類や槍




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案内された部屋




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斜め向いのやや上級な部屋




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三階へ向う階段




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階段の踊り場にあった鏡




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朝食




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食堂に飾られた雛人形




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食堂にあったこれは電話室か




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# by mago_emon3000 | 2024-05-19 18:18 | 山陽の郷愁宿 | Comments(0)

明治から昭和まで歴史の積み重ねが見られる老舗温泉宿-瀬見温泉・喜至楼


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堂々たる喜至楼本館の建物 右側の車両で隠れている建物が本館玄関棟



山形県北部の最上地域は新庄市を中心に、最上川とのその支流沿いの盆地に町が開ける。この付近は大小さまざまな温泉地が点在し、魅力的な旅館も少なくない。中でも支流小国川沿いに位置する瀬見温泉「喜至楼」は旅館好き、温泉好きな人々、とりわけ伝統的、レトロ宿好きな方面の間ではある意味有名な旅館である。随分前から宿泊を検討していたが、新潟方面から庄内地域を経由する行程の中で、ようやく組み入れることが出来た。いつもより気合が入っていたからか、数ヶ月前から予約を入れておいた。


温泉街は川の左岸に展開し、商店などの中に幾つか旅館が見られ、また共同浴場もあって温泉街らしい雰囲気を感じることが出来る。現代風の旅館もあるが、やはり老舗らしい構えを誇る喜至楼がひときわ存在感を放っている。中でも、角地にそびえる木造三階(一部四階)の本館の堂々たる姿は偉容というに相応しいものである。

旅館は大きく4棟で構成されており、正面玄関があり宿泊受付を行う別館、明治建築の本館、それに続き本館の玄関棟があり、別館と本館の間には別の二階屋がある。本館側の玄関は現在では使用されていない。本館・別館ではおおよそ一階分の段差があるため、階段でつながれている。その部分も複雑な建て方がしてあるため、実際は何棟であるのかはっきりしない。時代を経て複雑な迷路のようにも感じ、1泊では全容はつかみがたい。なお本館玄関棟は明治元年築で、県内では最も古い旅館建築と云われている。


案内された部屋は本館二階の角部屋で、話によるとここが最も人気らしい。私は本館を指定しただけで特に部屋の要望はしていなかったが、予約が早かったので割り当てられたのだろうか、いずれにせよ幸運なことだ。部屋の意匠は比較的簡素ながら窓外には温泉街と川の流れ、対岸を行く陸羽東線の列車も眺めることができる。

一通り館内を確認したところ、本館2・3階のほか、別館にも多くの部屋があり、全体では少なくとも100人は宿泊できるのではと思われた。大口団体旅行隆盛の頃には、さぞにぎわいを示したに違いない。現在、新庄市内の自動車学校の合宿場としても利用されているようで、夏休みなどのシーズンにはどれ位受け入れるのかはわからないが、従業員の人数からしても今は縮小して営業されているようだ。しかし、これだけの規模の建物の維持だけでも一苦労ではと感じる。



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本館玄関棟方向から本館を望む



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別館の建物 玄関左の円形に張り出した部分が朝食会場でもとダンスホールだったという




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宿泊受付を行う別館フロント付近 旅館全体で最も新しい部分である



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別館から本館に向う辺りは複雑な建て方となっている



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本館二階の泊った部屋の様子



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泊った部屋から本館玄関棟方面(翌朝撮影)



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本館側の玄関(現在は使用されていない)



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本館の階段と廊下



次にはやはり温泉である。むろん、この温泉も楽しみの一つである。というのも館内には個性的な多くの浴室があり、いずれも現代風に改修されることなく使われているからだ。特に本館一階の「ローマ式千人風呂」は円形の大きな浴槽が特徴で、千人はオーバーとしても100人程度は入れそうに思える大浴場である。時間により男女入れ替えとなっており夕方は女性用となっているため、まずはその隣の「あたたまり湯」に入ることにした。楕円形の小さめの浴槽で、縁に丹念に貼られたタイルに趣を感じる。これはこれで落着く最初の一浴だ。源泉温度は60℃を超える熱い湯で、沢の水で温度調整を行っているとのこと、あたたまり湯ということでやや熱めに設定されている。


夕食は、別館横の二階屋でいただくことになっている。この部分にある客室が今は食事処となっているようで、個室なのでじっくりと味わうことが出来る。内容も期待を超えるものであった。分厚い馬刺し、蟹の出汁でいただく小鍋、アユの塩焼、豚肉のしゃぶしゃぶ風、山菜数種・・・それにとろろそばや汁物が続く。他に国産牛のステーキ付きの献立などもあるようで、食事内容には力を入れられているようだ。


食後腹が落着いたところでローマ式千人風呂に向う。開放感のある広い浴場、この存在だけで旅館が大勢の団体客などで賑わっていたことを証明している。柱のタイルが剥がれていたり、年季と温泉の成分の影響か一部変色したりしているのもそれはそれで風情がある。ぬるめの湯なのでじっくり浸かり、また終始「独泉」状態だった。当日は10名ほどの客と2名の教習合宿生といった宿泊陣容であった。

ローマ風呂は翌早朝も朝風呂として入った。朝の時間は男女別がなくいわゆる混浴となっている。湯上りに朝日に明るみが兆した浴場前の廊下を見ると、これもまた実に渋い風情ではないか。


朝食はフロント横の部屋が会場で、ガラス張りの明るい雰囲気だった。帰ってから得た情報によると、この部分はかつて「ダンスホール」だったのだという。団体客、社員旅行客などが主体だった頃の名残であろう。夕方になると各方面からのバスが発着し、陸羽東線を利用する個人客などもあっただろうし、往時の賑わいは如何ばかりかと思いを馳せるに十分なものがある。


朝改めて館内を見て回ると、装飾品や備品、案内看板などが以前のまま配置、掲示されている。あえてそのままにしているところが良いのだろう。どこか潔さに似たものを感じる。一方で廊下や階段は光沢を帯び、日々の清掃が行き届いていると感じた。別館の一隅に「オランダ風呂」と名付けられた浴室を発見したので、そちらにも入りに行った。窓が大きく明るい浴場で、無人のぬるめの湯に浸かっていると、外からは早くも蛙の鳴き声が聞こえてきた。


最後に外から一通り旅館建物を見ると改めてその複雑さを感じ、明治初期の本館、大正、昭和に入ってから建築された別館と、長きにわたり建増しが重ねられ歴史の重積が感じられた。それだけでも文化財級と言っても言い過ぎではない。設備云々と言われる方は向かないかと思うが、温泉が好きで伝統的な旅館の感じが嫌いでない方にもっと泊りに行っていただきたいと思った。

(2024.04.13宿泊)


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本館1階 ローマ式千人風呂とあたたまり湯がある



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あたたまり湯(男女別)




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別館の廊下 旅館の以前の写真などが掲示されている




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夕食をいただいた部屋 客室の一部を利用し個室で提供される




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夕食




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ローマ式千人風呂




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別館のオランダ風呂




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本館にはふかし湯と書かれた扉があったが使われていないようだ




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朝食




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館内に昔ながらの案内板や注意書きなどがあるのも風情を感じる




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# by mago_emon3000 | 2024-05-05 17:46 | 北海道・東北の郷愁宿 | Comments(0)

石油採掘の際湧き出た温泉-新津温泉



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新津温泉の外景 浴場は右奥にある



現在は新潟市の一部となっている旧新津市。鉄道の要衝として発達した歴史とともに、新津油田は国内随一の産油地として有名であった。今では採掘は行われていないが、「石油の里」として産油施設や石油王と呼ばれた邸宅が知られている。

市街地の一角に、産油地としての歴史が十分に感じられる施設がある。その名は「新津温泉」。旅館の建ち並ぶ温泉地ではなく、1軒の共同浴場だけのいわゆる温泉銭湯である。

しかしこの温泉、温泉好きの方をはじめ一部の愛好家の間では有名で、その理由は、湯に強い石油臭があるからである。というのも、もともとは石油を採掘しようとして温泉が湧いたため温泉施設として整備されたということで、県内にはこのような温泉が幾つかあるという。


好奇心半分ながら夜行明けの朝風呂に丁度良いと思い、新津駅から10分ほど、ややわかりにくいが商業施設の裏手といったところにあった。しかし、その佇まいはだだっ広い空地の奥の方に古びた建物が見られるだけで、いかにも地味な感じだ。

受付の叔母さんに料金を支払うと、浴室までは長い廊下がある。昭和感たっぷりの趣で、障子を開けると大広間があった。簡素ながら舞台もあり、もしかするとこの二階屋は宴会をはじめ宿泊できるようになっていたのかもしれない。

脱衣所に入ると、すぐに入れ替わりの2名の客とすれ違い、浴室には先客1名があった。既に石油のような香りが漂っており、噂通りといったところだ。楕円形の浴槽には意外にも澄明な湯が満たされ、かけ流されている。正直な所、臭いというほどではないと思った。どちらかというと、薬品といった香りである。

先客が上がると投入される湯の音だけとなった。投入口にナイロン袋がかぶせてあるので少し見ると、中に黒っぽい析出物が入っている。湯の花というにはやや硬く、石油滓なのだろうか。新鮮な湯は心持ち硫黄の匂いも感じられるようであったが、泉質としては「ナトリウム-塩化物・炭酸食塩泉」だという。少し口に含むとかなり塩辛く、石油臭も相まっていかにも濃厚な温泉成分である。

しかし意外にも肌触りが滑らかで、皮膚病への効能や美肌効果もあるという。私はしばらく独特の浴感を味わった。


実は、この新津温泉は間欠泉で、3・4ヶ月に一度と頻度は低いが定期的に温泉の建物の床付近から湯を噴出し、館内にはその時の画像が掲げられていた。何とも激しい勢いで建物は大丈夫なのかと思うほどである。建物の前が広く空いているのも、間欠泉の影響を考慮してのものではないかと思われた。

帰ってから少しして新津温泉のことがSNSで投稿されているのを見た。それによると私が訪ねた直後に間欠泉が活動したという。もしかすると、間欠泉の活動前だったから私が入った時には比較的湯に癖が少なかったのか。いずれにしても相当個性的な温泉であり、近くを通った際には訪ねて見る価値のあるところだ。

(2024.04.12訪問)



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玄関前の風景




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長い廊下が印象的 襖の左側には大広間がある




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朝の日が差して穏やかな風情の浴場 新鮮な湯が静かに投入されている




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間欠泉が活動した時の写真が掲示してあった




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裏手には新津川が流れ浴後散策するのもお勧めだ


# by mago_emon3000 | 2024-05-01 21:16 | 関東・信越の浴場 | Comments(0)

北前船の恩恵を受け小柄ながらも豪勢な宿-酒田・最上屋旅館



酒田の町は日本海側有数の港町として大きく発展し、江戸期には北前船の寄港もあって商業も集積した。震災や度重なる大火などもあり町並からそれが感じられる地区は少ないが、市街地の西部、日吉町付近には料亭建築などかつての栄華を伝える建物が幾つか見られる。

「最上屋旅館」は駅からは西に1kmほど、商店と住宅が混在し、比較的飲食店も多い界隈にある。

最初目にした時はビルの間に挟まったような、いかにも窮屈な感じで建っているという印象だった。しかし黒板塀をまとった姿は、周囲の新しい建物とは異なった重厚な歴史を秘めた建物のように感じられる。


ご主人の案内で早速部屋に向う。建屋の全体像は見えないがかなり奥行き深い建物で、部分的には三階建となっておりその部分に一部屋だけ客室がある。屋根裏部屋とも称されるそうで今回この部屋に興味を持ち、予約時に希望しておいた。

むろん屋根裏ではないのだが細く急な階段の先に位置し、踊り場の所に古びた扉があるのもその印象を強めている。部屋は間仕切りを挟んで四畳半が二間ある。面白いのは小さな床の間などの意匠が仕切りを挟んで左右対称となっている点で、廊下に面しては立派な欄間もあり、小さくまとまっていながらも格式を感じさせる部屋であった。


ご主人から日和山公園の桜と落日が見事と教えて貰い、歩いて10分足らずの小山に登ると、丁度日本海に夕日が没するところであり、また満開の桜に映えて少々幻想的な風景が展開しており多くの客が訪れていた。今日は金曜日、夜桜見物の客や高校生などで公園は賑わっていた。宿の夕食は頼んでいなかったので、帰途に素朴な地場の居酒屋で味わいながら大将から地元の様々なことを聞くことが出来た。


部屋に戻り食後酒を嗜んでいるとくつろいだ気分となった。三階の部屋は通りから奥まった位置なので静かである。どことなく土蔵の中の様な雰囲気だ。今の時期はよいが、夏場はさすがに暑いらしく昨年エアコンを導入したとはご主人。館内は風呂まわりこそ更新されているものの、二階・三階へは全て急な階段を昇降する必要があり、お年寄りや足腰の不自由な客には向かない。しかし古い部分をあえて変えないご主人のこだわりが感じられるものである。洗面所などへの案内板、玄関ロビーに置かれた古色蒼然とした金庫、部屋には骨董価値のありそうな置物など、博物館に似た趣も感じる。


翌朝町並を探訪した後の朝食は手作り感があふれるもので、米飯も米どころだけあって美味く、しっかりとお代りをした。


出発前、ご主人からざっと館内を案内いただく機会を得た。玄関付近の天井には屋久杉の板が使われており、それもウズラ模様?という外見上非常に高級とされる材なのだそうだ。確かにウズラの羽の模様のようにきめ細かい年輪模様が見える。玄関から奥に向う廊下に使われている板は、気付かなかったが10m以上はありそうな1枚板が使われておりこれも驚いた。

2階部分の他の部屋も案内いただいた。見るからに豪勢さを感じる黒光りした柱や梁、欄間の意匠、これらは先代が商いをされていて各地の材木を取り寄せたためだそうで、秋田杉など有名な木材がふんだんに使われているという。

昨夕から館内のあちこちを歩いていると、一切きしみ音がしないことに気付いていた。それも柱や梁など建物の各部材が良質でどっしりとしているからだろう。


通りから見るといかにも小さな宿といったイメージだったが、館内に入るとその印象は見事に覆される。インパクトのある外観に惹きつけられても、内部は大したことがないといった宿も少なくないが、それらとは全く対蹠的な旅館といえるだろう。

「日本ボロ宿紀行」で紹介されているからか、当日も数組の客があった。いつまでも続いてほしいものと思いながら後にした。

(2024.04.12宿泊)


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旅館正面




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玄関の様子 




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玄関の天井に用いられる屋久杉の板




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奥に連なる廊下は10m以上の一枚板が使用されている




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案内された三階の部屋 




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間仕切りを挟んで四畳半の部屋が二間続きとなっている 意匠は左右対称




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三階につながる階段 間に扉がある 上から見るとややひねった構造か




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食堂と頂いた朝食




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案内板と彫刻飾り



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対峙する階段



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二階の別の部屋 秋田杉など上質の木材が多用されている


# by mago_emon3000 | 2024-04-27 15:48 | 北海道・東北の郷愁宿 | Comments(0)

川沿いに連なる明治期の旅館建物-浜田市・津茂谷旅館


浜田市は深く入り組んだ湾の奥に城が構えられ、その城下町として町が造られたところである。漁業も盛んで、石見地方を代表する町として発展を続けてきた。

市街中心部、浜田川左岸一帯には城下町を想起させる京町、紺屋町などの町名が見られ、古い町並や繁華街などが展開している。その一角、浜田川に面した所に今回泊る「津茂谷旅館」がある。

旅館建物は三棟が連なった形となっており、対岸から見るとその様子がよくわかる。最も下流側に他より一段屋根の立ち上がりが低く小柄な二階屋、それに次いで二棟の二階建が連なり、下流端の建物に正面玄関がある。屋根は下流端(以後、受付棟)が石見系の赤瓦で、その他は銀瓦だ。


16時半頃玄関を潜ると意外と若い男性(30代位?)が出て来られ、部屋や風呂場などを手際よく案内していただいた。ロビーを抜けるとまず階段を上って客室棟二階に向う構造となっており、奥の客室棟一階部にある客室や風呂場もそこを経由するようになっていた。詳しく聞かなかったので違っているかもしれないが少々ユニークではある。

案内された部屋は中央の棟、川に面し、対岸は市役所など官庁地区となっておりやや殺風景だがそのような地区に明治・大正期そのままの姿で旅館が現役で営業されているのは稀有なことといってよいだろう。


各棟は屋内で一体化しているのだが、廊下に段差や階段があることで建物の違いを知る。ちなみに受付棟が最も古く築120年とのことで、その約10・20年後に上流側に建増ししたのだという。改装のためそのような古い建物とは感じないのだが、目を細部に向けるとあちこちに長い年月を感じるものがある。その一つが所々に置かれた昔ながらの家具だ。調度品や装飾品も適度に配置されていて、大切に扱われていたことがわかる。奥の棟の客室に降りて見ると、そちらにも玄関があった。かつては別々の受付だったか?色々想像させるものがあった。


この旅館では夕食は提供されないが朝食はいただくことができる。希望の時間に受付棟の食堂に向うと、案外広い厨房があり、女将さんと思われる女性と最初に応対された男性が準備をされていた。丁寧に手づくりされた品々で、この朝食も宿の名物と言えるだろう。


宿を出る前少し女将さんとお話することができたので尋ねると、やはり男性は息子さんとのこと。ご主人の姿は見えなかったが、家族のみで経営の小規模宿だから続けられているのだろうと思った。女将さんによると、付近は以前賑やかな町の中心で、他にも複数の旅館があったという。


旅館のHPを見ると、その冒頭に「やどらしくない宿」とある。それは家族経営で一般家庭のような味わいを指しているようで、リピート客も多くいるに違いない。朝食付きで一般的なビジネスホテルの素泊りよりも安価な値段であるので、利用価値が十分あると感じた。

風呂場や御手洗いは新しく更新されているので、快適に過ごすことが出来る。それらが古いままというのも個人的には魅力があるものと思うが、衛生面にもかかわる場所であり、不満に感じる御客も少なくないだろう。これは私も賛同したいところだ。

(2024.03.23宿泊)


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浜田川対岸から見た津茂谷旅館




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手前から受付棟、二棟の客室棟




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改装された玄関回り




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客室へはこの階段で向う




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泊った客室




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柱の継ぎ跡



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棟境の階段



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最上流部の客室棟



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最上流部の客室棟玄関




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廊下の一角には古い箪笥が




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朝食会場と手作りの朝食


# by mago_emon3000 | 2024-04-07 14:01 | 山陰の郷愁宿 | Comments(0)