笠岡は小さい町ながら井原市などの内陸部の地域も後背地に持って港として発達し、地味ながらその歴史を感じさせる古い町並も残されている。今回、駅北側の市街地にある「辻与旅館」を予約し宿泊する機会を得た。
16時頃玄関をくぐると、今日は他に何組か客があるらしく夕食の準備等で忙しそうにされていたが、女性従業員が出て来られ部屋に案内いただいた。部屋は玄関から左に向ってすぐの8畳間で、和室ながら布団が敷かれるとともに机と椅子が置かれていた。
旅館の創業は明治初年に遡るといい、それ以前は廻船問屋を営んでいたという。笠岡は山陰方面からの陸路の終点でもあり、石見の銀なども積出されていたため海運業が発達、その一翼を担っていたのだろう。長年創業当時の建物で営業されていたが、30年ほど前駅北側の大規模な再開発により、旅館建物の建て替えが必要となった。御主人は建て替えたくなかったらしいが政策なので従わざるをえず、今の建屋になったという。
しかし館内の滞在感覚からして、平成になって建て替えられたとは思えない居心地を感じる。案内された部屋もむろん新しいのだが、あちらこちらに細かい造作といったものが感じられ、老舗旅館の格式を保とうという御主人の工夫のほどが伝わってくるようだ。再建にあたって以前の建材をなるべく多く再利用したということで、上り框の一枚板もそうだというし、2階への階段から見える太い梁組、柱の一部なども。確認できなかったが玄関の戸も30年物とは思えないし、家具什器も旧建屋時代のものが一部置かれているようだ。
当旅館は駅至近で料亭としての利用もあり、数多くの常連客があったが、最も有名なのが犬養毅元首相だった。遠縁にあたる辻氏が経営するこの宿に足繫く通ったとのことで、三代目の辻与左衛門氏(女将の談)の名前から屋号を取ったとのこと。驚いたことに、部屋にも古い写真や書簡のようなものが所狭しと掲げられている。
廊下にも、他の部屋にも二階廊下にも犬養氏関連の写真類がある。目にできるのは一部に違いないだろうし、その収蔵量は資料館級といってよいかもしれない。とりわけ玄関をくぐると目に入る毛筆の書は、女将からの説明内容は忘れてしまったが価値の高いものだという。公務に就いている数々の写真、辻胸太郎氏に宛てた手紙、サインのある扇子その他多数。
旅館はまた、笠岡出身の日本画家・小野竹喬も常連客で、氏に関連する写真等も掲示してあった。
食事は二食付で予約した。公式サイトで旅館名に四季の懐石という語句が添えられるように、料亭としても創業した歴史も味わいたかったからである。
檜風呂での一浴後部屋で休憩していると、料理が運ばれてくる。部屋食なのが有難い。また胡坐を組むのが苦手なので机と椅子で食事できるのも有難い。品数少な目のコースだったが、蟹や各種造り、鯛の煮付けにノドグロの焼き物その他、魚中心の十二分な食事内容だった。近くの寄島町の地酒「喜平」との相性も良かった。
翌日の朝食も品数多く手作り感が強いもので、具沢山の味噌汁など美味しくいただくことができた。帰り際「わざわざ泊っていただきありがとうございます」の返答に「いえいえ、良い1泊になりました」と自然に言葉が出た。
出来得れば創業当時の建物時代に泊りたかったが、宿の歴史を感じるにも十分なものがあった。
(2025.11.01宿泊)

旅館建物

玄関の戸は建替え前から使われていたものだろう

再利用される上り框の一枚板

玄関付近

案内された一階の部屋

他の部屋(会食用か)

檜風呂


魚中心の夕食

朝食

二階部に使われる旧建物時代からの梁組




犬養毅元首相に関する写真その他が数多く掲示されていた
(木堂とは氏の雅名)
# by mago_emon3000 | 2025-11-16 17:43 | 山陽の郷愁宿 | Comments(0)






























































