人気ブログランキング | 話題のタグを見る

1300年もの歴史を誇る老舗-粟津温泉・法師



1300年もの歴史を誇る老舗-粟津温泉・法師_a0385880_13250259.jpg

旅館正面(玄関棟)


「加賀温泉郷」という呼称は加賀市に属する山中・山代・片山津温泉、小松市の粟津温泉を指しており、いずれも大型の温泉地で多くの宿泊客を迎え入れている。

粟津温泉には北陸最古の温泉旅館「法師」があることは随分前から情報を得ており、実際宿泊した人のレポートを見て、イメージを膨らませ何時か泊ってみたいと目論んでいたところ、この程実現の運びとなった。北陸地域の探訪はしばらく時間が空いていたこともあって、機が熟した感が兆していた。


粟津駅から北陸鉄道のバスで15分ほど、温泉街の中心に到着する。付近にはビル型の温泉旅館も見られ、歓楽的要素はなくとも温泉地らしい華やかさが感じられる。そして飲食店などの並ぶ通りを抜けると、突当りに緑に囲まれたひときわ厳かな構えが見えてきた。「法師」の玄関棟である。

粟津温泉の開湯は1300年前もの昔といわれ、法師とはここに初めて湯屋を建てた人の名「雅亮法師」に由来し、以後代々法師を名乗り現在は47代目にも及んでいる。老舗の中でも極めつけの歴史の古い旅館である。


館内に入ると、一見よくあるやや高級な大型旅館のロビーのように感じるが、この玄関部分の棟は築100年以上の歴史を誇り、建材もほぼそのままという。確かに玄関をくぐってすぐの所の天井を見上げると武骨で頑丈な梁組が見られた。中庭に面しては一段高くなった座敷があり、申し込めば宿到着後ここで茶の接待をくけることが出来るのだという。座敷内を見ることは可能というので上らせてもらったが、立派な床の間や欄間のある特別な空間といった風情だった。


私が案内されたのは「秋の館」と呼ばれる8階建ての5階の十畳間だった。中庭に沿った廊下に沿い向かう中庭には延命閣と呼ばれる離れがあり、玄関棟とともに登録有形文化財となっている。それにしても、秋の館なる宿泊棟にたどり着くまで相当な距離がある。庭が広大でその周囲をぐるりと囲むように複数の宿泊棟と廊下が巡っているからだ。部屋から見おろすと、まるで森の中に建屋が浮んでいるようにも見える。新し目の部屋だが、清潔で窓も大きく取られ好感が持てるものであった。


少し休憩しやはりまず温泉をと部屋を出たが、この浴場もまた延々と廊下を進んだ先にあり、45人の先客があったが広大な浴室のためゆっくりと利用できた。立派な植込みの中に露天もある。湯量が多いため循環なのは仕方ないが、硫酸塩泉という泉質で欠航を良くし老廃物を排出する効果や、神経痛、皮膚病などに効能がある。湯は無味無臭で、露天の石に若干析出物が付着している程度である。温泉らしさはやや薄いものの長湯や繰り返し湯には向いている。


1泊朝食のプランであるため夜は歩いて数分の所にある鮨屋に入った。今朝採れたという鯵の刺身、ハタハタの揚物など日本海らしい海産物や地酒を味わうことが出来満足だった。


朝食会場は下の階の個室に案内されている。部屋に入ると中央に壁があって左右に個室が並ぶ造りで、もう片方では別の客が食事する形になっていた。客室にしては変った造りなので当初から食事会場用に設計されたものと思われた。品数多い献立は傍らに図解が添えられており、ユニークかつもちろん美味なものばかりだった。

配膳してくれたのは外国人女性スタッフであった。フロント係や部屋案内も外国人従業員によるもので、ここにも人手不足の影響が来ているように思えた。


食事後、中庭を一通り散策。旅館のサイトによると「蓬莱思想」に根差したものという。残念ながらすぐ理解できないので少し調べると中国由来で、仙人や不老不死の象徴とされ、その影響を受けた日本庭園では池泉庭園という池や築山、島を配置したものが多いとのこと。確かに立派な鯉の泳ぐ池、小高い丘のようなものが築かれており、木々も風格ある老木が多く、最近になって造園されたものではないことは確かだ。重量感のある石灯籠にも眼が留った。


1000年を超える超老舗とはいえ、大型旅館の部類に入る当館は全て伝統的な建物で構成するという訳にはいかず、歴史を強く感じることのできるのは基本的に玄関付近だけなのだが、そのインパクトはかなり強い。また廊下の所々に中庭を望むことのできる休憩所が設けられており、庭と反対側の面にも小さな坪庭が設えられているなど、老舗らしい細やかな工夫・配慮がなされていた。大浴場入口付近から見える能舞台も厳かだった。

2025.10.18宿泊)




1300年もの歴史を誇る老舗-粟津温泉・法師_a0385880_13245971.jpg

高級感漂うロビー 




1300年もの歴史を誇る老舗-粟津温泉・法師_a0385880_13245795.jpg
天井の梁組



1300年もの歴史を誇る老舗-粟津温泉・法師_a0385880_13245566.jpg


1300年もの歴史を誇る老舗-粟津温泉・法師_a0385880_13245307.jpg

中庭側には趣ある座敷が




1300年もの歴史を誇る老舗-粟津温泉・法師_a0385880_13245061.jpg

泊った「秋の館」の部屋




1300年もの歴史を誇る老舗-粟津温泉・法師_a0385880_13244818.jpg

座椅子横には脇息が備えらえていた




1300年もの歴史を誇る老舗-粟津温泉・法師_a0385880_13244603.jpg

部屋から見ると中庭を廊下が巡っているのがわかる




1300年もの歴史を誇る老舗-粟津温泉・法師_a0385880_13244382.jpg



1300年もの歴史を誇る老舗-粟津温泉・法師_a0385880_13244138.jpg

浴場入口と付近から眺める能舞台



1300年もの歴史を誇る老舗-粟津温泉・法師_a0385880_13243891.jpg

このような廊下が館内を一周している




1300年もの歴史を誇る老舗-粟津温泉・法師_a0385880_13243637.jpg

廊下の途中から見る坪庭




1300年もの歴史を誇る老舗-粟津温泉・法師_a0385880_13243319.jpg

朝食




1300年もの歴史を誇る老舗-粟津温泉・法師_a0385880_13243100.jpg

朝食の図解




1300年もの歴史を誇る老舗-粟津温泉・法師_a0385880_13242669.jpg




1300年もの歴史を誇る老舗-粟津温泉・法師_a0385880_13221311.jpg




1300年もの歴史を誇る老舗-粟津温泉・法師_a0385880_13221091.jpg

池や築山、巨大な石灯籠などのある立派な中庭




1300年もの歴史を誇る老舗-粟津温泉・法師_a0385880_13220791.jpg




1300年もの歴史を誇る老舗-粟津温泉・法師_a0385880_13220318.jpg


# by mago_emon3000 | 2025-10-26 13:31 | 東海・北陸の郷愁宿 | Comments(0)

大正時代築造の岩風呂も―皆生温泉・海潮園



美保湾越しに大山を望む風光明媚な場所に位置する皆生温泉。米子市郊外への出張の機会を利用して旅館を調べていたところ、「海潮園」という和装の佇まいの宿が目に留り予約した。皆生温泉はこれで三度目の宿泊となるが、いずれも出張を利用してのものである。


皆生温泉は全体にはビル型の大型旅館が目立っており、情緒ある温泉街といった雰囲気は淡い。そんな中で「海潮園」は通りに面し町家風の二階屋を構え、異彩を放っているといっても良いだろう。


内装は一度大幅に改装を行ったらしくそれほど古い旅館の感じがしないが、部屋を案内いただいた男性従業員に築年数を聞くと「約60年前」との答え。部屋も布団を敷く部分が嵩上げされたようなユニークな感じだったが、木造旅館の温かさが感じられた。


温泉浴場は珊瑚湯、浜の湯と呼ばれる男女入れ替えの大浴場と家族湯があり、73度という高温の湯が加水されながら掛け流されている。その中の目玉は大正時代に造られたという皆生温泉最古の岩風呂だ。今は浜の湯の露天風呂として使われており、浅場と深場を織り交ぜた特徴ある造りだった。当日は他に数組の客があったようだが、浴場には他に客はなく朝夕ともじっくり堪能することができた。


温泉場の行き帰りに館内を一通り回ってみたところ、意外と客室数が多く、一階には大広間もあった。廊下には絵画が多数飾られているのも印象的だったが、それについては聞き忘れた。


朝食のみのプランで、夜は宿の人に教えて貰った近くの居酒屋を利用した。1階の個室で頂いた朝食はアカモク(海藻)で出汁を取った豆腐鍋、カレイの一夜干し、茶碗蒸しにシジミの味噌汁など、品数豊富で期待以上の内容だった。

また観光で泊りたいと思わせる宿である。

2025.09.08宿泊)


大正時代築造の岩風呂も―皆生温泉・海潮園_a0385880_19365092.jpg

海潮園の建物外観




大正時代築造の岩風呂も―皆生温泉・海潮園_a0385880_19364795.jpg

玄関付近




大正時代築造の岩風呂も―皆生温泉・海潮園_a0385880_19364339.jpg

客室




大正時代築造の岩風呂も―皆生温泉・海潮園_a0385880_19364050.jpg

大浴場(珊瑚湯)




大正時代築造の岩風呂も―皆生温泉・海潮園_a0385880_19363635.jpg

大浴場(浜の湯)




大正時代築造の岩風呂も―皆生温泉・海潮園_a0385880_19363294.jpg

浜の湯の露天風呂




大正時代築造の岩風呂も―皆生温泉・海潮園_a0385880_19362907.jpg



大正時代築造の岩風呂も―皆生温泉・海潮園_a0385880_19362321.jpg

廊下には数々の絵画が



大正時代築造の岩風呂も―皆生温泉・海潮園_a0385880_19361950.jpg

中庭に面した休憩室




大正時代築造の岩風呂も―皆生温泉・海潮園_a0385880_19361695.jpg

朝食



大正時代築造の岩風呂も―皆生温泉・海潮園_a0385880_19424785.jpg


# by mago_emon3000 | 2025-09-14 19:43 | 山陰の郷愁宿 | Comments(0)

門前の一等地に貴賓を迎え―琴平・虎屋別館




門前の一等地に貴賓を迎え―琴平・虎屋別館_a0385880_11353963.jpg

虎屋別館の建物正面




虎屋旅館は琴平門前にある旅館の中でも創業400年を数える老舗中の老舗といってよい宿で、参道の一番目立つ所に格式ある佇まいを誇っていたが、今は建物が取り壊され通りの反対側にうどん店を兼ねた小さな宿泊施設として再開している。

一方、虎屋別館はもともとの虎屋旅館と参道を挟んだ少し小高い所に江戸末期に開業、賓客の宿泊所として使われてきた。歴代天皇も3代にわたって泊られた歴史を持つが1975年に閉業した。長年活用されていない状態だったが、2023年に虎屋旅館跡地の再開発に携わる団体が別館の修繕に着手、2024年に宿泊者の受け入れを再開した。

当然私は別館への宿泊を所望するところで、昭和天皇などの宿泊実績のある「菊の間」を予約しておいた。


宿の位置はまさに参道の石段の登り口付近という一等地だ。旧虎屋旅館の場所が空地になっているのがやや寂しさを感じる。一方で通り向うの高台の別館は伝統的な構えを今に残している。以前の様子は良く覚えていないが、参道に面して往時そのままの門が残され、「政府登録国際観光旅館」「天皇陛下賜御宿泊」と書かれた看板類が掲げられている。

門をくぐり移転再開した虎屋旅館の建物をかすめるように進み、別館への古びた石段を登ると、二階建の厳かな建物が現れた。実はこの建物内には経営者や従業員は常駐しておらず、参道沿いにある店舗でチェックイン手続等を行う仕組になっていた。到着後旅館建物に移動して部屋の案内や全体の説明は受けるが、以後は客自身が部屋や玄関の施錠・開錠を行い出入りする。


「菊の間」は豪勢極まりない部屋であった。三間続きの和室が襖で仕切られ、最も広い十畳の座敷は金箔を施された天井をもち、柱や梁は太く光沢を放っている。一見書院のように見える二畳部分は「武者隠し」と呼ばれ、天井に鳳凰の彫刻がある。欄間の意匠も様々で凝っていた。この部屋は最大10名宿泊できるとのことで、何とも贅沢な気分になる。


修繕工事前はかなり傷んでいたとのことで、原形を活かされ貴賓を迎えていた頃の輝きをよく取り戻したものと感心する。一方で、この菊の間には専用のバス・トイレが具備されている。清潔で近代的なホテルに引け劣らないものだった。また廊下の窓ももとの木製を維持しながら、サッシ窓も併用されセキュリティー対策も行われていた。また玄関から少し入った所には共有スペースとして休憩所があり、簡単な炊事もできるようになっていた。


このように現代の宿泊客、外国人観光客にも快適なように、修繕に当り様々な工夫がなされているのを感じた。原形を改変されているともいえるのだが、残念には感じなかった。最低でも水回りは近代的に改装したほうが良いとは、これまで色々な古い旅館に泊った私も思う所である。


二食付で予約したが、食事場所は参道沿いにあるレストランでとのことで、夜はステーキ定食、朝は和定食をいただいた。新しい内外装の店で旅館とはやや不釣合いな印象を抱いたが、外部団体による経営に切り替わっていることもありこれはやむを得ないだろう。清潔感もあり好感の持てる店内だった。

2025.08.30宿泊)



門前の一等地に貴賓を迎え―琴平・虎屋別館_a0385880_11353515.jpg




門前の一等地に貴賓を迎え―琴平・虎屋別館_a0385880_11353156.jpg

参道沿いの門




門前の一等地に貴賓を迎え―琴平・虎屋別館_a0385880_13221582.jpg

旅館への石段




門前の一等地に貴賓を迎え―琴平・虎屋別館_a0385880_11352686.jpg



門前の一等地に貴賓を迎え―琴平・虎屋別館_a0385880_11352315.jpg

玄関付近




門前の一等地に貴賓を迎え―琴平・虎屋別館_a0385880_11351912.jpg

案内された部屋 十畳間手前より




門前の一等地に貴賓を迎え―琴平・虎屋別館_a0385880_11351407.jpg

十畳間奥より




門前の一等地に貴賓を迎え―琴平・虎屋別館_a0385880_11350965.jpg

続き間より



門前の一等地に貴賓を迎え―琴平・虎屋別館_a0385880_11350422.jpg
個性的な欄間の意匠




門前の一等地に貴賓を迎え―琴平・虎屋別館_a0385880_11345728.jpg



門前の一等地に貴賓を迎え―琴平・虎屋別館_a0385880_11345425.jpg

床の間と「武者隠し」




門前の一等地に貴賓を迎え―琴平・虎屋別館_a0385880_11344572.jpg



門前の一等地に貴賓を迎え―琴平・虎屋別館_a0385880_11344139.jpg

二階の別部屋




門前の一等地に貴賓を迎え―琴平・虎屋別館_a0385880_11345051.jpg

二階より階段を見下ろす




門前の一等地に貴賓を迎え―琴平・虎屋別館_a0385880_11342769.jpg

一階の共有スペース




門前の一等地に貴賓を迎え―琴平・虎屋別館_a0385880_13263822.jpg

参道沿いにあった虎屋旅館(2017年)


# by mago_emon3000 | 2025-09-07 13:34 | 四国の郷愁宿 | Comments(0)

大山寺の宿坊として400年の歴史-山楽荘



大山寺の宿坊として400年の歴史-山楽荘_a0385880_11563774.jpg

石段下より見上げる玄関付近



鳥取県西部、伯耆富士とも呼ばれる大山は信仰の山でもあり、中腹にある大山寺はその象徴であった。各方面から大山寺に向う参道がのび、街道集落が発達した。その終点がこの門前町で、全ての人が目指したところだ。門前街入口の駐車場付近では牛馬市が盛大に開かれていたというから、大層なにぎわいだったのだろう。

駐車場付近から参道は一直線の坂道となって寺に達している。両側には土産物屋や旅館などがあるが、次第に緑が濃くなりやがて大山寺の山門が見えて来る。

本日宿泊する「山楽荘」は、その山門近くにある宿坊である。宿坊としては400年もの歴史があるといい、大山寺の山内十ヶ院のひとつ「観證院」という称号が付され、最も格式ある佇まいを保っている。

旅館建物は参道から少し奥まった位置にあり、その部分は駐車場となっているが樹々が鬱蒼とした感じで、厳かな風情を漂わせていた。玄関は石段を上った少し高いところにあり、「山楽荘」とやや控えめな屋号の表示が宿坊らしい佇まいだった。

早速僧侶の格好をした方(以後ご主人と呼ぶ)に部屋や風呂場などの案内を受ける。玄関から左手の二階、こざっぱりした八畳間だった。角部屋で参道方面の緑が二方向に見渡せ、明るい部屋だ。ご主人に聞いてみると建物自体は戦後になって内外装とも大きく改められたが、玄関に向って右側の部分は屋根がトタンで覆われ茅葺だった名残が残っており、古い姿を残している。広い仏間もあり、申し込めば座禅や写経の体験もできる。

当日の他の客は私とほぼ同時に到着したご夫婦一組と、女性の一人客のようだった。


大山寺の宿坊として400年の歴史-山楽荘_a0385880_11571743.jpg

大山寺の参道(旅館付近)



食事はその古い棟部分の個室を案内された。この旅館の食事の特徴は、宿坊だからもちろん精進料理なのだが、その食材は基本的に大山で採れた山菜を主体としていることだ。というのも、付近は土地がやせているため野菜があまり育たないそうで、その代わり多く採れる山菜をメインにしているとのこと。しかしそれを求めて泊りに来られる客もあるようで、私も今回楽しみにしていたもののひとつである。

一通りの説明を受けたのに忘れたものが多い。メモしておけばよかったと今更ながら後悔しているが、山うどやコシアブラ、ゼンマイなどが少量ずつながらさまざまな調理法で登場した。そんな中に根曲竹の煮物もあった。東北地方や信越などもう少し寒冷な地方のものというイメージがあったが、この付近の標高のあるところでは採れるのだという。

朝食には温野菜サラダというのが出てきて、私にとっては少々珍しい食感だった。野菜は麓の方の畑で栽培されているものだという。

大山寺付近の標高は800mほど。朝夕は暑さを感じることなく、快適な別天地といったところだ。朝は大山寺と門前街、宿坊街を散策した。参道では多くの登山客とすれ違った。ただご主人によると、最近の猛暑続きでここでも日中は30度を超える日があり、何時もよりは暑いとのことであった。

2025.07.05宿泊)




大山寺の宿坊として400年の歴史-山楽荘_a0385880_11563150.jpg

玄関に向って右側は茅葺だった頃をうかがわせる








大山寺の宿坊として400年の歴史-山楽荘_a0385880_11562429.jpg

ロビーの風景




大山寺の宿坊として400年の歴史-山楽荘_a0385880_11561908.jpg

案内された部屋




大山寺の宿坊として400年の歴史-山楽荘_a0385880_11560566.jpg

到着後まずは汗を流した風呂




大山寺の宿坊として400年の歴史-山楽荘_a0385880_11561681.jpg



大山寺の宿坊として400年の歴史-山楽荘_a0385880_11560924.jpg

二階部分の廊下




大山寺の宿坊として400年の歴史-山楽荘_a0385880_11560360.jpg

一階廊下 座禅なども行われる仏間




大山寺の宿坊として400年の歴史-山楽荘_a0385880_11555777.jpg

食事した部屋




大山寺の宿坊として400年の歴史-山楽荘_a0385880_11555499.jpg

山菜精進料理の夕食




大山寺の宿坊として400年の歴史-山楽荘_a0385880_11553519.jpg

朝食




大山寺の宿坊として400年の歴史-山楽荘_a0385880_11563355.jpg


# by mago_emon3000 | 2025-07-21 12:33 | 山陰の郷愁宿 | Comments(0)

駅の開業とともに―田布施・友末旅館


駅の開業とともに―田布施・友末旅館_a0385880_18443561.jpg

田布施駅方面から見た友末旅館


柳井から山陽本線で下関寄りに一駅の位置にある田布施町は田園地帯の中に市街地が展開し、一部に立派な商家建築などで構成された古い町並も見られる。

その旧市街地から少し西に外れた位置にある田布施駅前に、いかにも駅前旅館といった風情で営業されている旅館がある。本日はこの「友末旅館」を予約している。


唐破風が格式を感じさせる玄関をくぐると40代くらいの御主人が出て来られた。まず私の目に留ったのが真正面に見える二階への階段だ。廊下の途中や奥から二階へ向う構造が一般的だろうが、この階段は誰の目にも特徴的なものとして映るだろう。

この階段の話から伝統的な旅館に泊るのが好きだとお話しすると、ただ古いだけですがと恐縮されながら宿の歴史も少し聞くことが出来た。田布施駅の開業に合わせて営業を始めたとのことで、駅は明治301897)年開業であるから、同時であれば創業130年近くになる。内装は手が加えられているものの、建物自体は当時のままなのだそうだ。なお、二階への階段は戦後になって設置されたという。しかし、擬宝珠調の飾り物もある立派なもので、年代は違えども光沢を放っている。


階段を昇って右手の6畳の部屋に案内された。シンプルな部屋だが意外にもベッドが置かれている。宿泊客用の部屋は2階の6部屋ほどだが、客を入れているのはその半分のようだった。物置等に使われている部屋もあり、それらを紹介しながら恐縮されていたが、こちらも余り見られたくない場所まで見せてくれたご主人に何だか申し訳ない気持だった。以前は地域の集まり等での会合も盛んに行われていたといい、その名残の広間も見たがそちらも使用されていない模様だった。しかし、正面側の部屋などは立派な欄間や床の間もあり格式を感じられるものであった。


この旅館は最近ランチに力を入れて居られるらしく、検索してもほとんどがその話題で宿泊情報はほぼ出て来ない。ご主人によると数ヶ月に1度程度泊る常連客と、後はちらほらといった程度という。かつては駅前旅館として商用客はじめ多くの宿泊客を迎え入れたであろうことを思うと寂しい気がする。私はこの旅館に泊る目的で宿泊した人の記事をネットで見たことでリストアップしていたはずなのでそういった客はあるかと聞いたところ、ほとんどないとのことだった。旅館と名乗ってはいるものの宿泊施設ではなく食事処として機能しているようだ。その様子から宿の食事も期待できるかと思っていたところ、私一人だけだと食事の準備が難しいのか、予約時に素泊りでとお願いされた。ランチ同様にある程度の人数でないとやはり材料の手配など難しい面もあるのだろう。


そうした話をご主人としていると、大女将?さんが玄関横の小部屋に案内される。今はお客は入れない部屋のようだが創業間もない頃の旅館の写真が飾ってあった。蒸気機関車による煙害や火の粉が敬遠され、町の中心から外れた位置に駅が置かれた例は多く、ここも古い町並の見られる街区からは少し距離があり、全体写真を見ると駅前にはわずかな建物が連なっているだけである。そんな中で、友末旅館の立派な建物が目立っていた。

ふと見ると猫の親子が。いつのまにか棲みついていた野良猫だそうだが、困ったことに身ごもっておりここを最適な出産場所と身を落着けてしまったのだそうだ。初対面の私に対しても全く警戒する気配がなく、野良猫とは思えないようなおとなしい親子猫だ。4匹の子は1ヶ月ほど前に生まれたそうで、里親を探しているとのこと。

そういえば館内のあちこちに絵画が掲げられていたが、その点については聞き忘れた。


2025.06.14宿泊)



駅の開業とともに―田布施・友末旅館_a0385880_18443223.jpg

旅館正面




駅の開業とともに―田布施・友末旅館_a0385880_18442880.jpg

二階への階段




駅の開業とともに―田布施・友末旅館_a0385880_18442318.jpg

階段を二階から見おろした様子




駅の開業とともに―田布施・友末旅館_a0385880_18441946.jpg

階段を上った付近の風景




駅の開業とともに―田布施・友末旅館_a0385880_18441591.jpg

案内された部屋




駅の開業とともに―田布施・友末旅館_a0385880_18441274.jpg



駅の開業とともに―田布施・友末旅館_a0385880_18440849.jpg

隣の部屋(床の間付)




駅の開業とともに―田布施・友末旅館_a0385880_18440343.jpg

道路側の部屋




駅の開業とともに―田布施・友末旅館_a0385880_18435910.jpg

二階廊下




駅の開業とともに―田布施・友末旅館_a0385880_18435557.jpg

玄関わきの部屋に飾られていた旅館創業頃の写真




駅の開業とともに―田布施・友末旅館_a0385880_18434893.jpg

住み着いて出産した猫


# by mago_emon3000 | 2025-06-23 18:46 | 山陽の郷愁宿 | Comments(0)