
京都市街地から山陰本線で30分余りのところにある園部。古くは山陰街道が横断し商業町・宿場町として発達し現在も古い町並としてその面影が見られる。今回は旧街道沿いにある旅館「合羽家」を予約している。合羽屋と表示されたネット情報もあり表記にばらつきがあるが、「合羽家」が正式な屋号の表記である。
付近は今では南丹市と呼ばれるように丹波地方に位置しており、京都市付近とは異なる風土の地域だが、山陰本線や専用道によって交通の便がよく、郊外といえるところだ。町並自体は何度か訪ねたことがあって、旅館の位置も外観も記憶に残っている。旅館建物の何軒か西側に交差点があって、そこから先は今では大規模に道路拡張が行われている。一部は古い建物を曳家で残したようだが旧街道沿いらしい風情はほぼ失われている。旅館の辺りから東側が辛うじて残り、伝統的な建物が所々見られる状況だ。
17時半頃旅館前に到着したが、建物内は真っ暗なままだった。周囲は既に暗く、少々不安になり宿に連絡すると、女将らしい方が出て来られ今帰って来たばかりだったとのこと。何とか安堵して間もなく玄関先が明るくなった。
玄関を潜り長い続き土間を抜けると一旦中庭のような所に出て、庭に面した廊下の奥に二間続きの部屋があり、そこに案内された。旧街道沿いらしく間口に比べかなり奥行きの深い敷地である。部屋は真っ暗だったが電灯をともすと床の間や欄間の意匠が見応えのある和室であった。しばらくしてお茶と茶菓子を持ってこられ、差し出された宿帳に記帳したが、このところ月に1・2件の客の入りのようだ。今では素泊りのみで、時々古くからの常連客が利用する程度という。
旅館・旅籠として街道が現役の頃の江戸末期に創業という生粋の老舗宿で、玄関の雰囲気と続き土間の様子から商売をされていた様子である。合羽家さんは醤油の醸造業も携われていたようで、中庭には当時の土蔵が残っている。
通りに面した建屋は江戸の建物らしいつし二階だが、客室棟は平屋で、中庭に面してL字型に5部屋ほど連なっている。案内された部屋と続き部屋が最も格式高いと思われ、反対側は裏庭に面していた。これがなかなか本格的なもので、枝ぶりの良い松に苔むし風格を感じる石灯籠群、その他各種植込みがあり、今では零細なこの旅館のこと、維持だけでも大変だろう。
情報では90歳ともいわれるこの6代目の女将さん一人で終始応対され恐縮してしまったが、旅館として現役ではなくなる日も遠くないのではと思えた。京都市街地に30分余りという位置から宿泊施設の需要そのものが余り高くない中で、これまで奮闘されたことがむしろ奇跡的ともいえる。
出発時は玄関先まで出られ見送っていただいた。少しでも長く宿を続けていてもらいたいと思いながら山陰街道を駅に向い旅館を後にした。
(2025.12.13宿泊)

屋号の表示は控えめだ

「郵政省指定旅館」の標板

玄関付近の様子

続き土間が奥に連なる


一旦建物外に出、中庭に沿いに客室が


案内された部屋と続き間

部屋に掲げられていた書

裏庭を望む廊下

立派な裏庭

山陰街道沿いの町並
# by mago_emon3000 | 2025-12-30 10:52 | 近畿の郷愁宿 | Comments(0)































































