
長寿館本館(左)と法隆殿
法師温泉は群馬県北部の上越国境に近い山間部、渓谷沿いに佇む温泉一軒宿である。以前は5軒ほど旅館があったというが、現在は「長寿館」のみが営業されている。
国道17号から分岐する渓流沿いの道をしばらく辿って到着すると、格式と威厳に満ちた長寿館の旅館建物が現れ、二階部分に見える渡り廊下がまず目につく。本館と法隆殿とを結ぶもので、建物はこのほか、新館、別館、薫山荘と増築が重ねられた。明治初年築の本館及び法師之湯(浴室)、別館が登録有形文化財となっている。また旅館は「日本秘湯を守る会」の会員ともなっている。
今回は、古い町並や集落を巡るネット仲間との年一回の定例会として、この旅館が選ばれた。私自身も以前より泊ってみたい旅館の上位に位置しており、宿泊できるのを非常に楽しみにしていた。
早速玄関を潜ると、ロビーまわりはほぼ建築当時そのままと見られ、吹き抜けになった帳場まわりが見事だ。当時としては斬新な構造であり建て方だったに違いない。正面には神棚、達磨、柱に大きな年代物の時計が見える。達磨が片目なのは商売繫盛を願ってのもので、まだそれが成就していないという意味だろうか。
我々の泊るのは薫山荘の2階で、渓流を挟み本館の建物が正面に見える。渓流にも渡り廊下があり、薫山荘と別館の客はこの趣深い廊下を渡って浴室や食堂に向うことになる。この薫山荘は昭和50年代になって増築された比較的新しい建屋である。しかし、床の間や広縁なども省略されずに設えられ、格式ある旅館の一室として十分な空気が漂っている。5名での宿泊なので10畳+6畳のゆったりとした部屋であった。ちなみにこの文章を作成するためたまたまネット検索をしていて知ったのだが、国鉄の企画切符「フルムーン」のポスター作製のため1982年に高峰三枝子さんが宿泊した際、この部屋に泊られたとのこと。ポスターは「法師之湯」で撮影されたもので、廊下にもそれが貼ってあった。
少し休憩後、さっそく各自温泉浴場に向う。目指すはやはりもっとも有名な「法師之湯」だろう。鹿鳴館風と表現されるその浴室は1世紀以上にわたり旅客を受入れてきた。
混浴とのことで少々緊張しながら向ったが、入浴しているのは男性ばかりだった。女性専用の時間も設けられているので、その時間に利用されているのだろう。それはともかく、少し暗めの照明にアーチ形の窓に外からの光が絶妙に差し込み、幻想的ともいえる浴室内だ。壁も床も浴槽も木張りで、八つに仕切られた浴槽はそれぞれに湯温が少しずつ異なり、敷かれた砂利からは新鮮な湯が気泡とともに湧き出ている。貴重な足元湧出の温泉だ。
続いて夕食の時間まではカメラを手に館内巡り。まずは渡り廊下を伝い法隆殿に向うが、館内は案外見た目が新しい。後で聞いた話で平成初頭に建て替えを行ったらしく、館内では最も新しい建屋である。しかし外面は極力以前の建材を用いたとのこと。渡り廊下は本館二階から法隆殿一階がつながっているのだが、法隆殿は倉庫などに使われていると思われる構造の上に建屋があるので、正面から見ると三階建にも見える。
別館の空き部屋を少し覗かせてもらったりしているうちに食事の時間となり新館一階の大広間へ。宿の資料によると部屋数は40余りあり、今日もかなりのお客が泊られている。会席風の献立は後から次々と運ばれ、質量ともに十分だった。欲を言えば、山菜や川魚などもう少し地物が供されればなお良かったと思ったが、そうすれば料金がつり上がってしまうだろう。
翌朝には「玉城之湯」にも入って見たが、広い露天風呂を従えていて法師之湯とはまた違った開放感のある浴感だった。もう一ヶ所「長寿之湯」があるがこちらには入るタイミングを逸してしまった。
朝の法師之湯は入浴客も少なく、じっくり足元湧出の湯を味わった。気泡が盛んに出ている箇所に来てみると、足裏に湧いてくる感触がある。付近に降った雨や雪が地下水となり、熱源に触れながら地下をゆっくり移動してここに再度出て来るまで50年を要するのだという。その年月に思いを馳せながら至福の入浴となった。
(2025.05.31宿泊)

本館正面(法隆殿より)

本館(1枚目の反対側より)


玄関回り


ロビー部分は吹抜けとなっており豪華さを感じる


泊った薫山荘の部屋


本館と別館・薫山荘を結ぶ渡り廊下


別館の部屋

本館と法隆殿を結ぶ渡り廊下

法隆殿(土台部分があるため実質三階に見える)
渡り廊下から見る本館

法師之湯(JR東日本のサイトより)


法師の湯で撮影されたフルムーンのポスターが


夕食

朝食

玄関先には年代物の旅行会社等の協定板が
# by mago_emon3000 | 2025-06-08 19:10 | 関東・信越の郷愁宿 | Comments(0)